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[小説] 陽光が月肌を撫でる。 (3)

 会場前に着くと、そこにはたくさんの人がいた。こんなにたくさんの人がバレエに興味があるのかと思うと、僕は不思議に感じた。

 チケットであるスマートフォンに表示されたQRコードを係の人に提示して、入場した。パンフレットを2枚受け取り、差し入れを係の人に渡すため、また別の列に並んだ。たくさんの人が並んでいて、意外と時間がかかった。

 僕らの番になると、係の人は付箋を僕に渡してきて、渡したい人の名前と僕らの名前を書くことを要求した。そういえば、僕は女の子の友達の友達の名前を知らないなと、そこで初めて気がついた。

僕は誰を見にきているのだろうか。女の子に付箋を渡して、名前を書いてもらった。

「名前ぐらい教えておくべきだったね、失敗した」

と女の子は口角を美的にあげて、僕に言った。

 僕らは、座席を探した。ホールはやはりとても混雑していて、こんなにもバレエが人気のあるものなのかと再び驚かなくてはならなかったほどだ。なかなかいい席が見つからず、結局は舞台に向かって右側の席に二人で並んで座った。

 入場時に受け取ったパンフレットを見ると、今日公演予定の演目が記されていた。一度目を通したけれど、僕が見慣れているような単語はなかった。

かろうじてチャイコフスキーの『くるみ割り人形』が目に留まった。女の子も、くるみ割り人形しか聞いたことがないらしく、(これもまた不思議なのだが)女の子は声を出して笑い出した。

女の子が笑っている顔というのは、可愛いと相場が決まっている。その顔を見ているだけで、不思議ととても幸せになれる。


 いよいよ公演が始まった。聞いたこともない音楽が流れ始めて、僕は少々萎縮した。だけれども、舞台袖から現れた数名のバレエダンサーたちのその優美な動きに心を奪われた。

四肢はしなやかに躍動し、バレエダンサーたちが意図していることではないのかもしれないが、彼女たちが白鳥であるかのように感じた。白鳥が舞台上で羽を羽ばたかせ、大空に飛び立たんとするようだった。

その美しさに圧倒されていて、僕はしばらくバレリーナたちから目を離せずにいた。正直、この優美さを文章に表現するのは僕には手に余ってしまう。

音楽と踊りは相互に影響しあって、それぞれが溶け合って一つの芸術へと昇華していた。

 僕はその優美な舞に見惚れていると同時に、女の子の表情がどのようになっているのか気になっていることにふと気がついた。

僕が横に振り返ると、女の子の横顔は舞台から届く華やかで、少しだけ淡くなった光に照らされていた。

彼女の大きくてたっぷりと潤いを含んだ瞳、すっと高い鼻、そして機智に飛んだ話を語る唇。それらがはっきりと薄暗がりの中に浮かび上がっていた。

女の子はバレエに集中しているようで、僕に見られていることに気がつかなかった。


 しばらく女の子を見つめていた。さすがに僕は長い間見つめすぎたのだろう。女の子は僕に気が付いて、僕に目線を移した。

振り返る女の子の顔は、陽の光がゆっくりと月の表面を優しく撫で、月を満ちさせていくみたいに、段々とその全体が明らかになっていった。僕と女の子は目があって、その時間を共有した。


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舞台上の光の動きに合わせて、浮かび上がる女の子の輪郭や瞳の煌めきは刻々と変化していた。

 どれくらい互いを見つめあっていたか、それは時間的意味を持たないだろう。悠久に感じられる時間でもあったし、同時に瞬間にも思えた。

一般的な時間概念とはかけ離れた場がそこにはあったからだ。2人だけで共有された場。あるいは、僕はその間に高次的な感覚を備えていたのかもしれない。

 バレエダンサーのその優美さ、しなやかさに白鳥を含む雄大な自然を感じるとともに、女の子の姿を具体性を持って感じることができるようになっていた。僕の五感が僕の意識を介さずに、バレエの全てを(あるいはそれ以上を)吸収したがっているみたいだった。

 くるみ割り人形が始まると、聴き慣れたメロディーに少し安心感を覚えた。ピアノとフルート、そしてクラリネットの三重奏で奏でられるその音色は、春の陽が入る窓際の温もりを感じさせた。そこにバレエが加わることにより、更に高次に複雑化した美になっているようにみえる。

それは、数学の世界における三次元と四次元のちがいみたいなものだろう。ベクトルの成分が一つ増えるのだ。

 終焉とともに巻き起こった拍手は、幕が降り始めるとより一層大きなものになった。幕が降り切った後も拍手は鳴り止まない。(後で聞いたことだけれども、これはカーテンコールで、拍手をし続けるのは慣例であるらしかった)

 その後幕が再び上がり始め、演者たちが手を繋いで壇上に並び、我々に向けてお辞儀をした。僕ら観客はそれに対して大きな拍手で応えた。

 女の子は僕の方に振り向いて、ご飯を食べながら感想を言い合おうと提案してくれた。僕は断る理由なんてないから、その提案に乗った。

  ホールを後にして、近くのレストランに入った。ここは和食のお店で、女の子が以前SNSで発見していたらしく、前々から気になっていたのだということだった。

僕は何を注文するか考えるのを放棄して、嬉々とした表情を浮かべて食い入るようにメニューを見る女の子に夢中になってしまっていた。

僕は気を取り直して、メニューに意識を向けて、吟味した。僕は、マグロのカツがメインの定食に決めた。女の子は豆腐のハンバーグに野菜のあんかけ、それと五目ひじきが一緒になっているセットを注文した。

 僕らはいろいろな話をした。概ね、互いに聴き手と話し手という役割を守って会話が進んだ。けれども、僕が少しばかり積極的に自分から話す場面もあった。

 初めてバレエを鑑賞した2人なので、会話に用いられる語彙がとても少ない。そのため、側から見たら幼稚だっかもしれない。

それでも僕らは、拙い言葉で必死にそれぞれの感想を述べた。何とかこの想いを伝えようと、言葉を頭から必死に引っ張り出した。お互いに、お互いの拙い言葉からさらに多くのことを吸収しようとした。何を言いたいのか汲み取ろうとしたのだ。それはとても有意義だった。

 女の子との会話がいつもそうであるように、それが質的な重さをもつものとして価値を持っていた。それが手に触れることのできるものとして、確かに感じられた。

 僕は、公演中に目が合ったときのことを女の子に尋ねようとした。けれど、喉まででかかった時に、その言葉を飲み込んだ。その言葉が、その場に放り込まれた時、どんな影響を場に及ぼすのか、なぜかとても怖くなったからだ。

このまま、言葉を僕の中に閉じ込めておくべきであるような気がした。しかし、一方で、僕はこのことをいつか必ず女の子に尋ねなければいけないということも悟った。

 やはり、人気のレストランであるため、レストランが混雑しており、僕らは長居し辛い空気を感じ取らないわけにはいかなかった。食事も終わり、そろそろ店を出ようということになった。

 会計を済ませ、外に出る。暦の上ではもう春なのだけれど、夜はちょっぴり冬の気配を感じる。僕と女の子は駅を目指して、寒さから逃げるように、少し足早に街を歩いた。

 僕らは別れ際、次に会う約束をした。待ち合わせは学校の最寄り駅前のいつもの交差点だ。時間は七時。女の子はいう、「東京は夜の七時からが本番なの」
東京は夜の七時だ。

 女の子と別れた後、僕は1人でこの都会の雑踏を歩いた。その街は、女の子と歩いていた時とは違う見え方をする。様々な人の様々な感情渦巻くこの街は僕に何を与えてくれるのであろうか。

僕はふと気がつく。女の子と別れたとき、僕の中の何かを女の子がそのまま持っていってしまったのだと。

それが何なのか、僕はまた問い続ける必要がありそうだ。

「東京は夜の七時からが本番なの」

僕の頭の中で、幾度も鳴り響く。


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