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[小説] 陽光が月肌を撫でる。 (2)

 当日、LINEに「ちょっと早めについちゃったから、先にカフェ入ってます。気にせずゆっくりきてください」とメッセージが届いていた。

普通、男の方が早く着くべきなのでは?と感じずにはいられなかったが、もう10分前に着くことになる電車で体を揺られている。時すでに遅し。まさか、女の子が1時間も早くついてるなんて、いくら何でも早すぎないか⁉︎


「ごめん、もう少しかかります」と返信し、引き続き薄汚れたビルの外壁を横目で眺めながら、鈍行列車に揺られた。

今日はバレエの公演に行くということで、いつもは着ないような黒いシャツにブラウンのジャケット、そして黒いスラックスと革靴という格好をしていたので、人の目がいやに気になり、とても恥ずかしかった。


 僕は、実に女の子より50分遅くカフェについた。女の子の姿を求めてキョロキョロしていると、ツンツンと袖を引っ張られる感触があった。

目を袖先に向けると、女の子の可愛らしい手があった。手から腕へ、そして肩へ、そして女の子の顔へと目線を移すと、女の子はその唇に微笑を浮かべながら、僕の方を見つめていた。灯台下暗し、どうやら彼女の席は入り口のすぐ横らしかった。

「十分前行動なんだね」

と女の子はいう。悪戯な笑みを口端に浮かべている。


「いや、遅くなってごめん。まさか君が1時間も早く来るとは思ってなくて」

「5年も遊んでるのに、なかなかわからないのね」

「君はなかなかに難しいんだよ。人類が未だに天気を予報することしかできないのと同じくらい。しかも確率的にしか予報できないんだ」

女の子は笑った、奇妙に感じるほどに。女の子の笑いの沸点は、エベレストの山頂ぐらいに低い。何でこんなに笑うのかというのも難しいことの一つだ。

女の子は本当に天気みたいなものだった。確率でしか予測できないし、予測の範疇を超えることがあった。ある意味で、ある程度コンピュータの力を借りることができる天気予報よりも、一般的に女の子は難しいのかもしれない。

 女の子はコーヒーの二杯目を頼み、僕も同じのを一杯頼んだ。それらと一緒に、僕はプリンを、女の子はイチゴのタルトを頼んだ。


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  女の子は黒い花柄のロングワンピースの上にビックシルエットのローゲージカーディガンを羽織って、足元はやはりマルジェラのtabiブーツという格好だった。女の子の方は概ねカジュアルな服装だから、フォーマルな僕は張り切りすぎていると思われたかもしれない。

  ビューティフルピープルのビニールサコッシュバックの中には、文庫本が2冊ほど入っている。女の子は相当な読書家で、外出する時には本を何冊か持ち歩くことが常だった。

 女の子は最近買った本について熱心に僕に説明した。遠野遥の『破局』だった。大学生カップルが破局していく様を描いた作品らしい。女の子は主人公である男子大学生の行動原理が些か理解できないみたいだった。

僕に、この行動は理解できる?だとか、こういう考えって男の子にとって一般的なの?だとか、いろいろと質問を投げかけてきた。女の子は一回の読書で多くを吸収しようとしたし、伏線や物語が何のメタファーなのかを正確に理解するのを好んだ。

僕はそのためによく質問攻めにされるのだ。時に彼女は哲学めいた、非常に返答に困るような質問をしていることがある。だけど、その難解な命題の答えのようなものを導く過程において、いろいろと思考するのを僕は楽しいと感じることができた。

女の子が納得するような答えを出せるか、いつもヒヤヒヤしながら返答するのだけれど、女の子はいつも僕の意見を尊重してくれるので、その点において僕が落ち込むことはなかった。僕はそのことに結構感謝していた。

女の子がいつも質問をしてくれるから、それに答えるだけでいいのはとても楽だからだ。僕は話が上手な方ではないし、話のネタになるような生活をしていない。

だから、女の子が僕に質問して、僕がそれに答えるというシステムは僕には居心地がいい。多分、僕らのそのようなある意味においての役割分担というのが、この長きにわたる交友にポジティブな影響を与えているのは明らかであろう。

 プリンもタルトもコーヒーも、そっくりそのまま僕らの幸福へと変換されると、そろそろ会場に行くのにいい時間ということになった。

僕らは会計を済ませ、バレエ会場へと向かって歩を進めた。

途中の洋菓子屋で女の子の友達の友達への差し入れとして、クッキーとマドレーヌを買った。僕も食べたいなと思ったけれど、さっきプリンを食べたのだと思い出して、自制することとした。


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この話の続きは....


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