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この外出自粛は、きっと未来という花のタネになる。

何年か前に仕事で金沢を訪れたときのこと。ふらりと入ったカフェで手に取った小冊子に、服飾デザイナーの鴨居羊子さんのインタビュー記事があった。

鴨居さんといえば、1950年代のなかばに新聞記者からデザインの世界に転じ、当時としては斬新な女性下着を世に送り出すことで女性意識の解放をうながした、いわば立志伝中の人。活躍されたのはおもに関西だそうだが、ジャーナリストだった父親の仕事の事情で、幼少期には北陸で過ごしたこともあったらしい。そのときの経験をもとに、記事ではこんな指摘をしておられた。

「文化はやっぱり北国から生まれるんでしょうね。この世を賛歌するんじゃなく、望むものが心の中にある」

前後の文章まではメモしておらず、ここで“発言”のすべてを引用して説明することはできないのだけれど、大つかみにいえば、この言葉の真意はつぎのようなものだった。

北国では雪が降る冬のあいだ、長く家のなかに閉じこもっていなければいけない。あれをしたい、これをしたいと思うものがあっても、雪で閉ざされたなかに出かけるわけにはいかず、しかたなく家のなかで、あんなことができたら、こんなことができたら、と妄想をふくらませる。理想の生活が心のなかに思いえがかれていく。北国で新しいもの、文化が生まれてくるのは、だからではないか──。

広告クリエイターやデザイナー、起業家など、ぼくはこれまで「つぎをつくる」人たちの本を手がけ、彼らのアタマのなかをのぞいてきた。その経験からいっても、すぐれた発想の根っこにはかならずといっていいほど、その人ならではの願いや怒り、不満などの個人的な想いがある。

“クリエイティブ”は遊びごころが大事だといわれるし、それはウソじゃない。けれど、華やかさや軽妙さ、洒脱さだけでは、のちに文化になるような芯を食った提案は生まれてこない。ひとりでもがき苦しんだり、大切な人と会う前に、少しでも好きになってもらおうと一心に服を選んだりするような切実な思いが、思考が、明日を変えてゆく。鴨居さんは、そんな創造の原型ともいうべきものを、北国の生活のなかに見いだしていた。

いまぼくらは、まさに鴨居さんがいう「冬の北国」に近い状況におかれている。やりたいことはあるが、うかつに外に出かけるわけにもいかない。事情を考えると、それはしかたがないことだし、もちろん納得してもいる。

ただ、アタマでわかってはいても、やっぱりにぎやかな場所に出かけたいし、友人ともふれあいたい。旅にも出たいし、あれこれ飲み食いしながら、みんなで笑いあったりもしたい……思いはつのるばかりで、ときにはやりきれなさがあふれ出しそうにもなる。

でも、そこで思いえがいたことこそが、新しいなにか、つぎの文化を生み出すタネになる。鴨居さんの言葉は、そう教えてくれている。目一杯しゃがんで力をためれば、高く跳べる。きっと事態が収束したのちには、時代の大きな飛躍が待っている。そのためにも、いまのうちにあれこれ妄想して、存分に夢をえがいておきたい。


鴨居羊子(かもいようこ、1925-1991)
大阪府に生まれる。読売新聞の記者を経て、1955年、女性向け下着のデザイナーとして独立。斬新で夢のある商品を送り出し、時代の寵児となる。文筆や絵画にも独特の才能をみせた。著書に『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』『下着ぶんか論』『午後の踊り子』『カモイクッキング』などがある。



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