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【掌編小説】新鮮な日の出

「ごめんね、つき合わせちゃって」

 大晦日の深夜、いや元日の早朝というべき時間帯に私は車を運転しながら助手席の彼に声をかけた。

 私たちは海へ向かっていた。海に近づくにつれて高い建物がなくなり、闇が頭の上から覆いかぶさるように迫ってきた。いや、こちらが吸い込まれるように闇へ向かっているのだ。一人だったら恐怖心さえ感じただろう。私は助手席に座る彼をちらっと見た。

「いいよ、どうせヒマだし。でもなんでいきなり初日の出?」

 車の中は暖房で暑すぎるくらいなのに、彼は寒い、と自分を抱きかかえる仕草をした。

 今朝、私は年末のテレビ番組が年明けの初日の出を映しているのを見た。

 ここ数年、日の出の時間に起きたことなどなかった。来年の日の出は見に行こう。もう明日だけど。誰か一緒に行ってくれないかな。

 ぱっと思いついたのが彼だった。

「新鮮な日の出が見たかったから」

「新鮮?」

 彼は首を傾げた。

「着いたよ」

*******

 車から降りると、外は冷えた。幸いなことに風はなかった。見上げた空は実に澄んでいて星が眩しく、宇宙はすぐそこにあった。

 砂浜に出るために堤防を越える必要があった。ぼくは懐中電灯の明かりをつけた。明かりは、コンクリートの堤防の幅のせまい階段を暗闇から浮かび上がらせた。懐中電灯は手のひらに収まるサイズではあったが、足元を照らす分には十分な明るさをぼくたちに提供してくれた。

「用意がいいね」

「そりゃ何年も虫取りしてるからな、夜の森で。ほら、きみが使いな」

 ぼくは彼女に懐中電灯を差し出した。

「いいの?」

「ああ」

 砂浜に出ると、波打ち際まで行こうということになって、ぼくたちは歩を進めた。

「砂に足を取られないように気をつけた方がいい」

「うん」

 スニーカーを砂に埋もれさせないように慎重に浜を歩きながら、ぼくは車での会話で疑問に思ったことを彼女に尋ねた。

「ね、なんで新鮮な日の出なの? ふつう、元旦の日の出は初日の出って言うと思うけど」

*******

「だって初めてじゃないもの。太陽は毎日昇ってくれてる。大昔から、それはそれは律義にね」

 私は淡々と話した。

「いろいろリフレッシュしたかったのかな。だから新鮮なんて言葉、使ったのかもしれない」

 目の前に広がる海はすべての闇を吸い込んだように暗く、うねるような低い音をたてていた。足元を照らす懐中電灯の明かりが心もとなく感じて、私はななめ前を歩く彼の肘をつかんだ。

「なに?」

「怖いよ」

 立ち止まった二人に冷たい潮風が吹き付けた。

「ねえ、夜の森に行くのって怖くないの?」 

*******

「怖いよ。実際に危険だからね。ライトをつけないと真っ暗で足元も見えないし、嫌な虫もたくさん出るし、ネコだかタヌキだかがいきなり草むらから出てきて眼の前をすごい速さで横切っていったこともある」

*******

 自然とかけ離れたところで生活していた私にとっては日の出を見るのもレジャーの一環だったけれど、彼は私よりずっと自然と親しんでいたのだ。彼には大学の頃からそういう自然体なところがあったことを思い出して、私はちょっとした嫉妬心と尊敬を覚えた。

「ケガしないようにね。そうだ」

 私は彼の肘から手を離して、上着のポケットからそれを取り出した。

「はい、カイロ」

*******

「おお、ありがと」

 そう言ってぼくはわずかな時間、彼女の手に収まったカイロを見つめた。ぼくは手袋をしている。そして寒がりのぼくは、実は手袋の中にカイロを仕込んでいた。だが、そんなことをあえて言う必要があるだろうか。

 ぼくは手袋を外して、カイロを差し出す彼女の手を包んだ。

「こうしていたら迷惑かい?」

*******

 私の氷のような手に彼の温もりが伝わった。

 驚きはなかった。ただ、首を横に振ってもうなずいても、二人の関係はこれまでとは変わるのだと思った。

 彼は緊張した面持ちになって私の言葉を待っていた。

「迷惑」

 彼がすぐに視線を落とした。

「……じゃないよ」

 私は笑った。

「ごめんね、あの、口が回らなかった。寒くて」

 寒さが二人を近づけてくれたのに、私は寒さのせいにした。本当は、ずっと好きだった、って言いたかったんだよ。

*******

 心がじんわりと温かくなって、それが全身に広がっていった。彼女がぼくの恋人になった。彼女の何から何までが愛しかった。

 ポケットに突っ込んだ手袋が熱い。ああ、そうだ。ぼくは手袋の中にカイロを仕込んでいたのだった。だが、そんなことをあえて言う必要があるだろうか。もちろん、ある。ぼくの恋人には、そんなことであっても話したいんだ。

「実は手袋にカイロを入れていた」

 ぼくは手袋からカイロを取り出して彼女に見せた。

「ええ、なんだあ」

 彼女は困惑とも落胆ともつかない顔をした。

「いや、いいんだ。きみのカイロの方が100倍くらいあったかい」

 このカイロは捨てられないな。そう僕は思った。カイロはやがて冷たくなるだろう。でも、今日のこのときを彼女と過ごした記憶は永遠に冷めることはない。

 日が昇り始めた。ぼくたち二人にとってこれほど新鮮な日の出はない。だけど、朝日そっちのけでぼくは彼女の横顔を見ていた。

(了)


※年始にちなみ、創作仲間さんと即興・リレー形式で書きました。
皆様にとって今年が素敵な年になりますように。


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