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*読了5冊目*『ハロルドとモード』

『ハロルドとモード』コリン・ヒギンズ著 を読んだ。

19歳と79歳の恋愛である。

ハロルドは19歳にしては幼すぎるなと思った。
母親を驚かせたくて自殺ごっこを繰り返したり。
そんなに家が嫌なら飛び出せる年齢だと思うが、彼はずっと家にいる。

この幼稚さは、おそらく純粋さから来るのであろう。
どうしようもないくらい繊細で臆病で、幼な子のようにピュアでやさしい。

この優しさは「他人に親切にする」という類の優しさではなく、「曇りなき目で真っ直ぐに世界を見る」というやさしさだ。

人は多かれ少なかれ自分というフィルターを通して世界を見ているものだが、ハロルド少年はそんな色眼鏡は持ち合わせていなくて、ただただ透明なレンズで世界を見ているように感じる。
だからこそ目に突き刺さってくる色々な景色が痛くて辛くて死にたくなるのだろう。

そして同じように透明なレンズで世界を見ているモードを見つけた。
透明なレンズには「世間の常識」や「私のプライド」や「損得勘定」などというフィルターがかかっていないので、ただありのままだけが見える。

その目で見つめ合った二人は、当然恋に落ちた。

モードの台詞の中にすばらしいものがたくさんある。

「毎日なにか新しいことに挑戦する、それがわたしのモットーなの。」

「だって同じ人間じゃないの」

「(どうやって神と話すのか?)生きることを通して。愛することを通して」

「"これもまた消えゆく”わ」

モードがナチスドイツの強制収容所に収容されていた女性であると示唆される場面がある。

モードが破天荒な生活を繰り広げている理由がここで腑に落ちる。
とにかく楽しく生きようと思ったのだ。
これから先の人生は生きたいように生きるのだと。

以前『夜と霧』という本を読んだことがある。
オーストリアの精神科医フランクルが、自身の強制収容所での体験をつづった手記だ。
想像を絶する悲惨な状況の果てに、著者は気づいたそうである。
「希望」がすべてを支えると。

強制労働の後に疲れた身体を引きずって帰るかえり道、沈んでいく夕陽を見て「美しい」と感じる心があるかないか、それが本当に生死の分かれ目だったと。

「人間はどんな過酷な状況にあっても、誰からも奪われない内面の自由を持ち、未来に向けて自分自身を作り上げ、今の自分の在り方を自分で決断できるのだ」と。

『ハロルドとモード』の中で、モードが「毎日が反抗よ。だけど身を守る道具はもう必要ない。わたし、受け入れることにしたのよ!」と言う台詞があるが、この「受け入れる」の中にはものすごい覚悟を感じる。
愛と言ってもいいかもしれない。

『夜と霧』を書いたフランクルも「それでも人生にイエスと言う」という言葉を残しているが、こうした言葉を言えるまでにどれだけの怒りと苦しみと嘆きと絶望を体験しているのかと思うと言葉を失う。

モードは、その人生経験で得た深い深い愛でハロルドを受け止め、そして言った。

「これもまた消えゆく」と。





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