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昭和のステレオ

昭和のステレオの無駄としか言いようがない存在感に惹かれて仕方がない。
私が物心ついた時には音楽は既にmp3などのデジタルオーディオをPCや携帯で聴くかYouTubeで聴く時代だったから、当然家電店にこんな物は売っておらず、似た質感の物はあってももっとコンパクトでWi-FiだとかBluetoothだとか今時の接続だから機械の裏側を覗いたらゾッとするぐらいワクワクする配線の渦など無縁だ。
やたら大きいスイッチやダイヤルやカリカリとクリック音が鳴るグラフィックイコライザーのツマミもついていないから全然萌えない。

関西に住んでいた頃、元町という街に薄暗くて怪しげな魔窟の様な商店街があって、商売してるのかどうかもわからない以前に物置なのか産廃置き場なのかもわからない一角が点在していて、昭和のステレオやら無線機やら私の子宮をくすぐる物体が乱雑に山積みされている場所があった。
それらの物体は値札が付いている物もあったけどやはりゴミ同然だったようなので、ホコリとダニしかいなさそうな空間ではあったけど、そこにいるだけでマイナスイオンに包まれたかのごとく何故か心が落ち着く場所だった。

これといった用事もないけど足繁く立ち寄ってはカビ臭いガラクタを眺めていたそんなある日、ガラクタの山の奥からこれまたガラクタのようなお爺さんが幽霊のように現れて声をかけてきたので危うく失禁するところだった。
中学生ぐらいの小娘がしょっちゅうステレオを眺めに来ていたからその界隈で軽く話題になっていたらしく、どうやらこの魔窟界隈で一番不気味なのは私だったようだ。
何故いつも来てるのかと聞かれても何故かわからないけど惹かれてやまないとしか答えようがなかったんだけど、お爺さんはへえそうかいみたいな顔をしてどこかへ行ってしまい、程なく近所のこれまたガラクタのようなお爺さん達をユラユラと引き連れて来て産廃の山の物色を始めた。
どうやら生きていそうな部品を集めて私にステレオを組んでくれようとしているらしい。
遭難して絶望しているところに屈強な救助隊が現れたらこんな気分なのか、いやちょっと違うか、などと心騒がしい私には目もくれず片っ端からガラクタを開けてあれよあれよという間にきちんと音が鳴るコンポーネントを仕上げてくれた。
お爺ちゃん達はそれぞれ持論やこだわりが強くて組み上げてる最中は小競り合いが絶えず、チューナーやデッキやイコライザーはトリオやらアカイやらラックスやらごちゃ混ぜだったけど、スピーカーはタンノイという聞いた事も無かったメーカー、アンプはサンスイC2301という機種を満場一致でチョイスしていた。
お爺ちゃん達はそんなにヒートアップしたら脳溢血にならないかと心配になるぐらい熱っぽくあれこれ蘊蓄を語ってくれたけど私にはさっぱりわからなくて自分の無知を少しだけ恥じた。
聴き比べてみろと言われて他のスピーカーとアンプの組み合わせも聴かせてくれたけど、どの端末で聴いてもさほど変わらないデジタルオーディオとは明らかに違っていてとても驚いた。

なすがままで組み上げてもらったはいいけどどうやって運ぼうか、そもそもいくら払えばいいのかなどと戦々恐々としている私を尻目に、さっきまでいたのにいつの間にかいなくなっていたオヤジ狩りにボコボコにされた三船敏郎のような刺青だらけのお爺ちゃんが乗り付けてきたブラジルの麻薬カルテルが使ってそうなサビサビでボロボロのキャラバンに問答無用でステレオもろとも乗せられてお爺ちゃん達の狂おしくヘタな歌を聞かされながら家路についた。

既に両親とも死んでしまっていたから私一人しかいないので結局運び込むのもセッティングも最後までお爺ちゃん達に任せてしまった。
ちゃんと音が鳴るのをもう一度確認したお爺ちゃん達は新開地でおっぱいでも拝んで帰ろうやなどと下品な笑いを残して颯爽と帰ってしまった。


やっぱこのままじゃいかんよなとモヤモヤしていたので後日炭酸煎餅を買ってお店だか産廃置き場なんだか結局わからない例の場所に行ってみたけど妖気漂うガラクタの奥に声をかけてみる事も出来ずに1時間程待ってみたけど気配が感じられなかったのでとりあえず一旦立ち去って中華街の広場で炭酸煎餅を食べた。
帰りにもう一度立ち寄ってみたけどやはり気配は無くお爺ちゃん達とはそれっきりになった。

ステレオは一年ぐらいで音が出なくなってしまった。
それでも捨てる気にはなれずに部屋のかなりの面積を我が物顔で占拠させたままにしていたけど、東京に引っ越す事になり部屋はより狭くなる事もあって処分した。
然るべき処分手段だとそれなりにお金がかかってしまうから、いつも軽トラで不用品を回収して回っている柄の悪いお兄さんに持っていってもらったけど、荷台に乱暴に投げ込まれるアンプやスピーカーを見ていたら少し涙が出た。

何年か経ってから出張で関西に行った時に一瞬だけまた立ち寄ってみた。
その界隈は当時から既にその傾向ではあったけど、小洒落たカフェやいかにも若い経営者が運営していそうな雑貨店が更に増えていて、鬱蒼としたアンダーグラウンド感はあまり感じられなくなっていた。
異界の入り口のようなガラクタ置き場も完全に姿を消していた。


自分が学んだり経験して得た知識は人の為に使えと言葉は無くとも教えてくれた優しいアベンジャーズ達の思い出は、処分する時に未練がましく山水のアンプから外してまな板として使っているウッドパネルに染み込んでいる。

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