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スマホを持ち歩くのをやめてみる。あるいは、主体性についての話

ここ最近、ちょっと試していることがあります。
最低の必要なとき以外、スマホを身につけるのを極力やめてみています。

例えば、Macの前で仕事をしてるときとか、スーパーに買い出しへ出るとき。そんなとき、別にスマホなんてなくて問題ありません。

スマホを身につけるのをやめると、これまでいかにスマホを通してエネルギーを消耗していたかが分かります。

かの有名な、スティーブン・コヴィー博士の『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』の冒頭でも、

携帯電話は私たちの生活をますます複雑にしている。より多くのことが要求され、ストレスは増し、本当に疲れさせられる。

との一文があります。まさに、その通りだって思います。

スマホを持ち歩くのをやめると生活の質が向上する

スマホを持ち歩くのをやめたことで、実感したのは生活の質が向上したってことです。

一番の違いを感じるのが、休憩時間の使い方です。

仕事が一息ついて、軽い休憩を取ろうと思ったとき、何をするでしょうか?

以前はなんとなくスマホを手にして、TwitterやらYouTubeを開くことが多かったです。情報収集や勉強をして、休憩時間も無駄にせずインプットしている気分でいました。

それらを一切やめて、最近は軽く外に出て日光を浴びるようにしています。

ライターという仕事柄、脳と目を酷使します。外に出て軽い散歩でもすると、だいぶリフレッシュするってことを感じます。

また、食事の摂り方もだいぶ変わりました。

これまでは大抵YouTubeを開き、キンコン西野さんやブロガーのマナブさんなどのチャンネルを見つつ、なんとなく食事をすることが多かったです。
うん、なんて意識が高い笑。

こういうのは一切やめて、食事中は食事に集中することにしました。

とは言っても別に何か特別なことをするわけでもなくて、手を合わせて食事を頂き、よく噛んで食べる。ただ、それだけです。

でも、これだけで食事の満足度ってかなり上がるんですよね。そしてこういう習慣をつけると、なぜか自然と食事に気を遣うようになるようです。気づけば最近は腹8分目くらいの量で、炭水化物を減らして野菜を増やした食事をするようになりました。

スマホという嵐のような「情報の塊」を身の周りから遠ざけることで、自分にあった時間の流れを取り戻すことができるって感じます。

あえて単機能なもの、アナログなものを使う

しかしスマホがないと、少し物足りないことや不便なこともあります。

例えば、電車の中の過ごし方とか、あとはちょっと音楽が聴きたいとき、思いついたアイデアを書き留めておきたいとき、などなどです。

ただ、その望みって、別にスマホじゃなくても叶えられるんですよね。

メモをしたいなら、ペンとメモ帳を持ち歩けば事足ります。
モレスキンとかトラベラーズノートを使えば気分も上がります。

少し時間が空いたときには、Kindle PaperWhiteがめっちゃいいです。読書って本当に価値深いですよね。動画見るよりちゃんと自分の頭を使える感じがします。そして何よりスマホと違い目に優しい。

あと最近、引き出しに眠っていたiPodを引っ張り出してきました。これも思っていたよりかなりいいです。

「音楽を聞きたい」って望みを叶えるには、iPodで事足ります。
何より良いのが、スマホより全然軽くて薄いってこと。ポケットに入れていてもほとんど違和感ないのがすごく快適です。

改めて感じましたが、スマホって結構重たくないですか?
ポケットに入れていると、ポケットから重さが伝わってきます。
iPodだとそれを感じません。

KindleもiPodも、単機能でそれしかできないんですが、それが実にいいんです。

好きな音楽をBGMに、好きな本を読める。空き時間を充実させるのって、これだけあれば十分じゃないでしょうか?

他に必要なものがあるとしたら、コーヒーかビールくらいかな?

テクノロジーに依存せず、能動的に使いこなす

だからと言って、スマホの便利さを完全に手放そうとはさすがに思いません。完全になくそうだなんて、そこまで振り切った考えはできないです。

実際、いまやTwitterやYouTubeで無料に手に入る情報って、本当に有益ですよね。ネットリテラシーさえあれば、インプットの効率性だけで言ったら読書してるよりもYouTube見る方が有益かも知れないです。

もちろん、だからと言って「読書よりネットの方が価値がある」と言うつもりもまったくないですが、ちゃんと使い分けできるのがベストなのは言うまでもないですよね。

そんな中感じるのは、どれだけ価値のあるコンテンツが発信されていたとしても、僕自身が受動的に受け取っている時点で、やはり大した成果には結びつかないってことです。

それが脱スマホを推し進めている一番の理由かも知れません。

大事なのは、今自分にとって必要なこととか、本当にやるべきこととか、そういうことを自分の頭で考える時間です。

(あと、自分の感性で感じる時間ですね)

自分の強み、やりたいこと、自分の理想、現状とのギャップ。
あるいは市場が求めていることとか、自分が提供できる価値とか。

それは、どこを探しても見つかりません。コンサルを受けようが、インプットを増やそうがどこにも落ちてはいません。

常に自分の中だけに存在してるんです。

そう言うものと向き合って初めて、「本当に欲しい情報」や「自分にとってのSNSの使い方」が見えてくるわけです。

そこで初めてTwitterやYouTubeを、使う必要がある分だけ使うのがいいんだろうなって思います。

主体性を取り戻そう

結局大事なことは、主体的であること、これに尽きます。

そう言えば『七つの習慣』第一の習慣は「主体性を発揮する」でしたね。

何事においても、主体的に生きるのか、受動的であるのかでまったく変わってきます。誰しも頭では分かっていることだと思います。

ただ、そうは分かっていても、ちゃんと実践するのは意外と難しいものです。受動的な考えが身に染みてしまっている中、自分の主体性を見つけるのって思っている以上にできないものなんです。

だって、考えるベースとかマインドセット、それ自体が受動的なんだから。自分では主体的に考えているつもりでも、気付いたら誰かが考えた正解を探してしまっているんです。

そこから抜け出すには、とにかく情報の海から自分を遠ざけ、インプットを絞ってひたすら自分と向き合うしかない。そう思います。

自分の内なる声に耳を傾け、本音にフタをせず考えてみるしかない。それが主体性の第一歩です。

自分の人生を知らぬ間に誰かに依存し、捧げてしまうことがないように。
常に、いつでも主体的に、自分の人生を生き誇りたいものです。

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