見出し画像

【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.29 エベレストの前哨戦でアイランドピークへ

2005年1月、カトマンズまで順調に戻り、エベレスト挑戦の準備を始める。

実は、決めていた登山会社から手続きの条件として、一つ、ミッションを課せられていた。

それは、6000m級のアイランドピークへの登頂に成功すること。

画像2

高所登山が他の登山よりも過酷な理由になる「高山病」を発症する体質かどうか。

それを自分自身の身体で確認してこいと言うのだ。

赤城山にしか登ったことがないケイイチは、登山のスキルであるザイルワークなども習得する必要がある。

さらに、1月に登ることで、雪山登山を体験すると言う意味もあった。

これをクリアしないと、そもそもエベレストにたどり着くことができない。


まずは、雪山登山に向けて、道具を揃えなくてはならなかった。

ネパールはではエベレスト登山用の道具を入手することができるが、コピー商品が多いと教えられていた。

適当に作られた寝袋でも、-10度対応などと書かれている。

しかし、本当に-10度でそんなものを使ったりしたら大変なことになる。

登山道具で偽物を使うと命に関わるのだ。

登山初心者で知識もないケイイチのために、シェルパのペンバがついてきてくれた。

ペンバは、正規品を取り扱っている中古品屋にケイイチ を連れて行ってくれた。

エベレスト登山を終えた人たちが、帰国前に登山道具を売って帰るらしい。

そのおかげで、ケイイチはかなり安く、しっかりした道具を揃えることができた。

画像1


アイランドピーク登山に行くには、通常ならルクラまで飛行機で移動する。

2800mぐらいの地点だ。

そこでシェルパと待ち合わせをすることにして、ケイイチは自転車でルクラに向かった。

あくまでも自力での移動にこだわったのだ。

山道を自転車を押して登る。

体力をつけると言う目的ももちろんあった。

飛行機だと1時間で着く距離を1週間かけて歩いた。

高所登山出発の街と呼ばれるルクラでペンバシェルパと合流することができた。


初の標高6000mに挑む。

どんな世界なのか。

一歩一歩踏み出しながら、先導してくれるシェルパの足跡を辿りながら、ケイイチはずっと必死だった。

画像3

真冬の高所登山。

5500mでもかなり風が冷たかった。

自分を奮い立たせながら、雪煙で霞みそうになるペンバを追いかける。

5800m辺りで、先行していたペンバが、雪が深くてこれ以上は登れないと言った。

これ以上進むと雪崩の危険があると言うのだ。


下山だ。


その言葉にケイイチは愕然とした。

ここまでの必死の道のりの全てが無駄だったと言われたようだった。

あと、たった300mなのに。

どうしてもいけないのか?と訊くと、無理だと返された。

明日はどうだ?とも訊いてみたのだが、雪質はそんなに急に変わるものではない。

山のプロフェッショナルのシェルパに従う他なかった。

登頂を諦めて撤退するには勇気がいる。

その判断はとても難しい。

時間もお金もかけてきたのに、と言う思いとの葛藤だ。

これからエベレストに挑戦しようと言うのに、6000mにすら登れないのが悔しかった。

もし、エベレスト登山で同じような状況になったら、どれだけ悔しいだろうか。

それでも、撤退する、と言う選択肢を見失っては、命に関わる。

その勇気を忘れるわけにはいかなかった。


3週間かけたアイランドピーク登山は登頂できずに終わったが、ペンバシェルパは、「ケイイチはエベレストに挑戦できる」と、会社に報告してくれた。

おかげで、登山会社との手続きを進めることができた。


いよいよ始まるんだ。

あの日見た、あの山頂に向かう挑戦が。

言いようのない高揚感がケイイチの身体中を巡っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?