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【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.20 旅の道連れは手品⑥

2003年12月3日、ブッダガヤを目指す。

季節外れの田畑には何もなく、枯れた平地が見渡す限り続いていた。

もちろん道路もどこまでも平らで、真っ直ぐだ。

自転車で走るのはとても快適で、どんどんとスピードも上がる。

午後3時に、チャイを飲むために止まった。

店のおじさんにブッダガヤまでの距離を聞くと、「まっすぐ10km、左に15km」と教えてくれた。

とても的確な道案案内だな、と思いながら、ケイイチはチャイをすすった。

言われた通りに進んでいくと、ブッタガヤに入るゲートがあった。

街の中は、他の聖地に比べて賑やかで、観光地化されていた。

華やかな雰囲気の街にたくさんの人が行き交っている。

色鮮やかな中国寺や、独特の形をしたタイの仏教寺が道の両側に並び、不思議な雰囲気を作り出していた。


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ブッダガヤの見どころは、なんと言ってもブッダが悟りを開いたと言う菩提樹だろう。

側にマハーボーディという名の寺院が建てられて、そこを見るためにたくさんの人が集まっていた。

ここでブッダが悟りを開き、その教えが世界中に広がって、今もなお信じられている。

目に見えぬ力。

壮大なストーリーと圧倒的な存在感が、時代を越えて信じられる要素となっているのだ。


インドからバングラデシュに向かう。

インドは国土が広く、27つの州に分かれていた。

州境をまたぐと、言語や生活習慣、食べるものが変わるのが、とても、興味深かった。

カルカッタのある、ウエストベンガル州に入ると、海が近いので、魚介類のカレーがあった。

チャパティと呼ばれるナンのような食べ物も美味しかった。


寝る場所を探していると、知り合った人から「ダバで寝てるといい」と教えてもらった。

ダバというのは、幹線道路沿いにある、長距離トラックの運転手が泊まる仮眠場所のようなところらしい。

「道路沿いにトラックが沢山停まっているところがあったら、そこがダバだ」と言う。

言われた通りに、道路沿いに進んで行くと、確かに、トラックが沢山停まっている場所があった。

日本の海の家のような作りの建物だ。

ドアはない。

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自転車を停めて、中に入ると、木のベッドが並んでいた。

「ここで寝てもいいか」とジェスチャーで訊いてみると、「ティケ」と返ってくる。

ヒンディー語でYESと言う意味らしい。

昔、日本に沢山あったドライブインのような感じで、食堂のようなものが付いていて、とても安い値段で食べることができた。

メニューはなくて、料理を作る人に、何があるのかを訊くと言うスタイル。

野菜のカレーとか肉のカレーとか、種類は少なかったが、15ルピー(日本円で36円ぐらい)でお腹いっぱい食べられた。

建物の脇には水瓶が置かれていて、身体を洗ったり、洗濯ができたりもした。

洗った服は天気が良ければすぐに乾いた。

ダバでの宿泊はインド国内の移動を格段に楽にしてくれたのだ。


2003年12月16日。

カルカッタから80km西にある国境から、バングラデシュに入国した。

実は、バングラデシュについては、首都がダッタで、インドのビザが取得できると言うことしか知らなかった。

国境はとても厳重で、今までの国境越えとは全く違う雰囲気だった。

鉄のゲートを開け閉めしながら、一人一人パスポートを確認している。

国境の様子は、国同士の関係性をよく表しているのだ。


イミグレーションを出ると、見渡す限りの平野だった。

菜の花が咲いている。

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外国人の旅行者が珍しいのか、道ゆく人たちがケイイチを見ていた。

立ち止まると、1人、2人と人が集まってくる。

数分すると、何もしていないのに人だかりになった。

手品を始めると、後ろの方の人たちは高い台に登ってまで見てくれていた。

人が多すぎて混乱になりそうになると、勝手に仕切ってくれる人が現れた。

白い線を引いて、ここから出ないように、と人々を制御してくれた。

手品が終わると、帽子にコインを集めて、「これだけ集まったぞ」と差し出してくれた。

国民性なんだろうか。

国が変わると色々と変化があって面白い。


バングラデシュでは、手品で集まるお金で十分に食べるものを買うことができた。

気持ちにも余裕があったので、孤児院などのNGO団体を訪れて、手品をしたりもした。

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滞在は予定よりも長くなる。

もはや、予定よりも長くなることが当たり前のようになってきた。

その国それぞれの生活に触れて、ケイイチは暮らしに溶け込んでしまう。

人々と交流しながら毎日を過ごすことに違和感が無くなってしまい、先に進むことを忘れてしまいそうになるのだ。

年を越すと、近江さんからEmailが届いた。

そのメールには、「ムンバイで会いましょう」と書かれていた。

インドに戻らなくては。

ケイイチは出発の準備を整えた。


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