【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.22 インド最南端から見える景色②
2004年2月25日、ヒッピーの聖地と言われるゴアに到着。
近江さんとも無事に会えた。
浜辺で乾杯する。
近江さんは電熱ポットを持っていたので、色々、食べ物を温めてくれたりした。
魚市場に行って魚を買ってきて捌いてくれたり、インドでは禁忌とされている牛肉を見つけて買ってきてくれたり、日本食を振る舞ってくれる。
日本食を食べれることはとてもありがたかった。
何より、近江さんの元気そうな様子に、ケイイチは安心した。
そのまま数日、浜辺で野宿をして過ごしていた。
寝転がると砂が柔らかく、月明かりが優しく照らしてくれていた。
波の音は決して煩くなく、行き止まりの道なので人も少ない。
すぐに海に飛び込むことができたので、シャワーもいらなかった。
どういうわけか、日本人の旅行者が寄ってきて、一緒にご飯を食べたりした。
近江さんも、アラビア海を臨むその浜辺をとても気に入っているようで、名残り惜しそうにしていた。
タケシくんが出発し、近江さんと2度目のサヨナラをした。
「また世界のどこかで」
そう約束して見送る。
2人と分かれたが、新たな仲間ができた。
「マサシ」くんと「ケンタロウ」くんはこの浜辺で知り合って、一緒に行きたいと言ってくれたのだ。
ケイイチは、すっかり、「旅は道連れ」の魅力にハマっていた。
この2人との旅はハンピという街までとなった。
そして、別の人物が自転車旅に参加したいと言ってくれた。
次はなんと「ユー」ちゃんと言う女性だ。
一瞬、「おお」っと喜んだが、ちょっと待てよ、となる。
この過酷な旅に女性が大丈夫だろうか。
ユーちゃんは「アフリカもキャンプで旅をしていたから大丈夫」と言う。
明確に断る理由もなかったので、じゃあ、と言って一緒に走り出した。
数km進んだところで、丘に差し掛かる。
少しだけ上りがきつくなるのだ。
そこで「遠回りかもしれないけど迂回したい」と言われた
峠でもない、丘で。
どうしても「上り道は嫌だ」とユーちゃんが譲らなかったので、仕方なく回り道を進んだ。
この先どうなるのか不安しかなく、彼女との旅は早々に終わりになった。
インド南部に入ると、街の雰囲気がかなり変わった。
言葉や食べ物、人々の性格。
南の人たちはずいぶんと穏やかだった。
「チャイでも飲んで行きなよ」と呼び止められることがほとんどなくなった。
北部では、もうほっといてくれと言いたくなるほどに声を掛けられたのに。
手品をしても反応が薄くなった気がする。
寂しいぐらいだ。
気候もグッと暑くなった。
日中、日の高い時間は木陰で休んだ。
そうしないと、日射病になってしまいそうだった。
あんなに快適に寝泊りできていたダバもなくなった。
仕方がないので、野宿をする生活に戻った。
2004年3月30日。
ケイイチは記者会見を受けていた。
2,3人の記者が来るのかな、と思いながら、朝から丁寧に髭をそる。
持っている中で、一番綺麗なTシャツを着た。
会場になっていた公民館のような建物に入って、座って待っていると、20人ほどの記者の方々が入ってきた。
ケイイチは「意外と多いな。。。」と思いながらも、向けられるマイクにのびのびと返答することができた、とブログに綴っている。
路上で手品をすることで、大人数に囲まれることに慣れていたのだろう、と思う。
そして、確固たる意志を持って旅を続けている。
その心の強さがあったのだろう。
「なぜこの旅を始めたのか?」と言う質問に、「人のもつ意志の力を証明したいからです」と答えている。
この時の新聞記事は、この先ケイイチの旅のお供の一つになって、ケイイチの旅をいちいち説明しなくてもいい、と言う付加価値がついた。
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