【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.10 標高3000m越えの荒野②
それは4月23日に起こった。
いつものように、ケイイチは自転車を押して坂道を登っていた。
右腕で自転車を固定して、左側の腕の上に頭を乗せると、力を無駄に使わずに自転車を押すことができた。
前は見えない。
車はほとんど通らないので、特に危険は感じなかった。
先が見えないほどの坂道を登る途中、急に、太腿に違和感を感じた。
何だ?
頭を上げて、後ろを見ると、白い大きな犬が太腿に噛み付いていた。
音もなく近づいてきて、吠えることもなく噛み付いてきたのだ。
目が合うと、犬は口を離して、建物の方に戻って行った。
4本の牙がズボンを貫通して3カ所から出血していた。
まずい。
ケイイチはかなり焦った。
狂犬病は発病すれば致死率100%と言われている。
一刻も早くワクチンを打つしかない。
でも、チベットの小さな村にワクチンがあるとはとても思えなかった。
一度、ヒッチハイクでクンミンまで戻るか、決断が迫られる。
引くことも勇気のいることだ。
数秒、時が止まる。
「進むんだ、意地でも」
ケイイチは謎の強い決意をしていた。
引き返す勇気がなかっただけかも知れない。
死ぬかもしれないと言う不安が頭の中をぐるぐる回ったが、近くの集落に向かった。
集落の中でオロオロしていると、公安らしき人が出てきた。
ケイイチは焦った。
チベットに不法入境しているからだ。
とりあえず、犬に噛まれたことを紙に書いて説明した。
公安の人は問題ない、と書いた。
そんな簡単に問題ないと言われても。
ケイイチは当惑する。
とにかく命がかかっているので、できるだけ簡潔に伝わるように、狂犬病が心配だと書く。
俺も2ヶ月前に噛まれたけど生きてるから大丈夫だ、と返ってきた。
狂犬病には潜伏期間がある、と必死に伝えるが、大丈夫大丈夫と宥められる。
「とりあえず飯でも食べていけ」
そう言われて、ご馳走になることにした。
お腹が空いては何もできないことは、身に染みているのだ。
公安の人の家を離れて、できるだけ考えないようにしながら前に進む。
自分が進むしかないのだ。
誰も、代わりには進んでくれない。
町外れにテントを張ったが、不安が頭を支配してなかなか寝付けなかった。
少し進んだ先の小さな町に診療所があった。
まだ不安だったので、診察を受けることにした。
紙に犬に噛まれた、狂犬病が心配だと書く。
医者に傷口を見せると、チベットには狂犬病はない、と言い切られた。
雲南省にあるのにチベットにないわけがない。
日本のガイドブックには、チベットで犬に噛まれたらすぐ病院に行けと書かれているのだ。
現地の医者を信じるか。
日本のガイドブックを信じるか。
大都市であるクンミンまで戻ると言う選択肢がなかったので、現地の医者を信じることにした。
もし発病したら、両親へ遺書を何とかして渡して、見つからないところで死のうと決めた。
身体が自然に還れるように、などと言うことを考える。
実はその後、2度、犬に噛まれるが、ラッキーなことに狂犬病を発病せずに、旅を続けることができている。
発病していないので、遺書も書かずにすんだ。
この旅の話を聞いていると、ケイイチはとても運がいいことがわかる。
この後も何度もそんな場面に遭遇する。
5月15日、ラサに到着する。
カメラのバッテリーを充電したくて、町の中にあったインターネットカフェに入った。
すると、カウンターのところで何やら叫んでいる男性がいる。
よく聞くと日本語だった。
どうやらインターネットに接続できないと文句を言っている。
数ヶ月ぶりに日本人に会った。
ケイイチが男性に「日本人ですか?」と声をかけると、カウンターの店員が「こいつは何を言っているんだ」と訊いてきた。
ケイイチは男性が言っていることを紙に書いて、カウンターの店員に見せる。
結局、インターネットが繋がらないことは解決せずに、別のインターネットカフェに移動することになった。
この出会いが、ケイイチの旅を大きく変えていくことになる。
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