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【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.36 地球上で一番高い場所

シェルパが先に出発した。

迷わずに進んでいく背中を追うように、ケイイチも出発する。

ヘッドランプに照らされた足元を確認しながら、一歩一歩確実に進む。

前を見れば、先行者のランプの明かりが揺れていた。

その先に、黒く浮かび上がるエベレスト。

そして無数の星。

現実とはとても思えない景色の中に、ケイイチはいた。

踏み出す足が雪を踏む音だけが、ケイイチを現実へと引き戻す。

頂上へ向かって張られたロープに、自分の身体に巻いたロープを固定し、万が一に備えながら進んだ。

稜線は細い一本道だ。

足を滑らせれば、どこまでも落ちてしまう闇がそこにあった。

強い風が右から左からと吹き荒れていた。

ロープを握る手に力が入る。

風はさらに威力を増し、身体が持っていかれてしまう。

ケイイチはそこから進めなくなった。

細い一本道に両膝を着き、両手を着き、完全に身体を雪の上に横たえた。

とにかく、この風が収まらなければ動けない。

雪の冷たさが、分厚いダウンのスーツ越しに伝わってくる。

耐えられるだけ、待てるだけ、待とう。


そのまま時間が過ぎていく。

ふと身体の右側から空が薄紫色になっていくのが見えた。

星が姿を消し始め、少しずつ明るくなっていく。

紫色の空はゆっくりと上方へ広がっていった。

ずっと暗闇の中を歩かなければいけないのかと勘違いしていた。

夜は明けるのだ。

真っ暗な闇が少しずつ光を帯びていく。

眼下に山々が見えてくる。

暗闇から、自分がいる場所が、全てが炙り出されていく。

右側は断崖絶壁。

左側は急斜面。

完全に周りを見渡せるほど明るくなってきた。

ヒマラヤの雪化粧した山々が次々と見えてくる。

複雑な地形を作り出している峰々の向こう側、大地の遥か遥か向こうに強烈なオレンジ色の光が見えた。

夜明けだ。

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この舞台で見る夜明けが、この世のものとは思えないほど神々しかった。

この景色を見ることが出来る者がどれほどいるだろうか。

ケイイチの中には不思議なほどに力が漲っていた。

紫色だった空が、すっきりとした透明感のある青に変わっていく。

オレンジ色の優しい光が満ちていくのと同時に、あんなに荒れていた風が止んだ。

そして、辺りはシーンと言う耳鳴りが聞こえるほどの静寂に包まれた。

太陽が、動きなさいと語りかけているように感じた。

ケイイチはゆっくりとうつ伏せていた身体を起こした。

足に力を入れて立ち上がる。


傾斜の大きいところでは腕に力を入れて身体を持ち上げる。

それ以外のところでは足に力を入れて、着実に進んでいった。

ふわりとした雲が眼下に広がっている。

今まで見たどんな空よりも青く見えた。

遠くで雷が光っている。

音は聞こえてこない。

静寂の中で見る稲妻は、まるで映画のワンシーンのようだった。

ケイイチは真っ白い雪の上を歩いている。

雪の積もった稜線の上を歩いている。

足が雪を踏む音。

そして自分の呼吸だけが聞こえてくる。

自分の心の声が頭の中で反響していた。

あと、どれだけ行けば頂上に辿り着けるのか。

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最後の難関である岩場に差し掛かった。

エドモンド・ヒラリー卿が切り開き、彼の名前がついたその岩場には、たくさんのロープが下がっていた。

これを越えれば山頂だ。

今年張られた、鮮やかな色のロープを頼りに身体を引っ張り上げる。

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重い荷物、薄い空気、疲れ切った身体の中で、残った気力を振り絞り、なんとか岩場の上に上がる。

その先に緩やかな、幅のある稜線が見えた。

その稜線の先には何もない。

あるのは空だけだった。

それは、頂上を意味していた。

濃い青い空。

その下に似つかわしくないほどにカラフルな旗が揺れている。

タルチョだ。

人類がここまで到達したと言う証。

ここまで来てやっと、登頂できると確信できた。


苦しい呼吸の中、鮮やかな旗に引き寄せられるように、一歩一歩進む。

足を進めながら、昔のことを思い出していた。

とりわけ、ホームレス時代のことが巡った。

今まで走ってきた道。

今まで通ってきた国々。

今まで出会ってきた人々。

様々な思いがあった。

苦しい日々があった。

笑い合った夜もあった。

涙がこみ上げてきたが、泣くのは堪えた。

冷たい風の中で、音もなく揺れる色とりどりの旗の下に立つ。

荒い呼吸を整えながら、時計を確認する。

午前8時55分。

世界で一番高い場所に、ケイイチは立っていた。

今まで見上げていた、8000m級の山々さえも眼下に見える。

世界の丸さが見えた。


この瞬間を一生忘れないだろう。

この景色を一生忘れないだろう。

ここまでの道のりで、出会ってくれた人々に、協力してくれた人々に、心から感謝を伝えたかった。

海抜0mから、0燃料、0円で始めた挑戦。

000からMAXへ。


2005年5月31日、標高8849mに到着。

日本人として123番目となった。

そして、海抜0mから0燃料で登り切ったのは史上2人目だ。

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登山初心者のケイイチが登り切った。

たくさんの人の助けを借りて。

無謀とも思える挑戦に力を貸してくれた人たちがいた。

そして、最後に、運が味方をしてくれた。

天候だけは自分ではどうしようもなかった。

体力と精神力と、そして運。

ケイイチをこの場に導いたのは、間違いなく強い意志の力だろう。

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