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【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.37 エベレスト下山に潜む危険と登山の終わり


エベレストの頂上では、登頂の余韻に浸る暇もなかった。

山頂は3畳ほどの狭いスペースで、景色を眺めている余裕もない。

何より、標高8000mより高い場所は「デスゾーン」と呼ばれていて、滞在しているだけで、身体の細胞が破壊されていくのだ。

15分ほど写真を撮ったりした後、下山の準備を始める。

登山では、下山中の事故も多い。

重力に任せて足を運ぶので、登りよりは体力は使わないが、危険度は変わらないのだ。

ベースキャンプまでは気が抜けない。

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下山の準備をしながら、ケイイチは今後のことを考えていた。

エベレストの頂上に立ったことで、一つの旅が終わった。

次の旅を始めなければならない。

それは、まさにこのエベレストの頂上からしか始められない旅であるべきだった。

ケイイチが考えていたのは、この世界最高峰の頂から、また海抜0まで戻る旅だ。

同じ道を通るのではない。

次のテーマは、水の流れを追うこと。

エベレストで溶けた雪は、小川を作り、やがてガンジス川へと流れ込む。

その水の旅を追い、ガンジス川を船で降る。

それが、ケイイチが設定した新な旅だった。


とは言え、まずはベースキャンプまで戻る。

それが目下の目標だ。

ロープを辿りながら稜線を歩く。

下ると言うことは、視線は下を向いているので、その高さが否応なしに目に飛び込んできた。

落ちたら死ぬな。

その不安と、夜通し歩いた疲労とで、足取りは重たかった。

ザイルを使いながら慎重に降りる。

ふと、視線の先にキャンプ4が見えた。

やっと着いた。

そう思ったケイイチは、少しだけ気を抜いてしまった。

14時間、歩きっぱなしだったのだから、仕方のないことだった。

キャンプ4に着く手前、一部だけザイルが張られていない場所があった。

まっすぐキャンプ4に向かって歩いているつもりだった。

シェルパ達は自分のペースで降りてしまったので、前後には誰もいない。

地形の関係でキャンプ4が見えなくなってしまったが、まっすぐ歩き続けた。

ふと、氷の上に残っているはずの、アイゼンの跡がないことに気がついた。

氷にしっかりとアイゼンを噛ませながら進む。

おかしいと思いながらも、まっすぐ進むしかなかった。

足を止めて、自分の居場所を確認しようと顔を上げる。

ケイイチは愕然とした。

いく先にあるはずのキャンプ4が、左側の崖の向こう側にあったのだ。

いつの間にか右側に逸れてしまっていたらしい。

ケイイチとキャンプ4の間には落差1000mにはなりそうな崖があった。

このままでは落ちてしまう。

そう気がついた時、怖さで身体が動かなくなってしまった。

その場に座り込む。

ピッケルを氷の割れ目に刺して、なんとか身体を持ちあげ、キャンプの方に向かって手を振ってみるが誰も気づいてくれなかった。

とりあえず、消費し続けている酸素が心配になったので、酸素を止める。

すると、指先から痺れてくるのがわかった。

これは本当にヤバイ。

もう助からないかもしれない。

滑ったら死んでしまう。

でも、このままここにいても死んでしまう。

いくしかなかった。

一歩一歩、足を氷に蹴り込んで、滑らないように慎重に慎重に身体を動かした。

なんとか急斜面の崖のエリア抜けて、雪原に入る。

早く正規のルートに戻りたかった。

辛うじて付いていた、自分のアイゼンの跡を辿っていく。

気力を振り絞って歩いていくと、他の下山者が見えた。

助かった。

そう思うと、緊張していた身体からも、少し力が抜けた。


キャンプ4のテントに着いた時にはもう午後4時を回っていた。

まだ標高8000mと言う高所で、胃腸の活動も弱く、食欲もなかった。

雪を溶かして作ったスープと、カロリーメイトのような物を食べて、早々に横になる。

身体はとても疲れているのに、寒くてよく眠れなかった。

風も強く、テントは一晩中揺れていた。

長い長い夜だった。

ひたすら身体を丸めて、夜が開けるのを待つしかなかった。

緊張は解れはしなかったが、体を横にしていただけでつかれはかなり取れたように感じる。

次第に外が明るくなるのがわかった。

夜明けだ。


翌日は、キャンプ4を出発して、一気にキャンプ2まで降りる。

シェルパたちは、テントを片付けると、さっさと降りていってしまった。

重たいザックを背負い、ケイイチのペースはかなり落ちていた。

途中、別の隊のシェルパが後ろからやってきて、ケイイチを追い越そうとした。

追い越すためには、ザイルに繋いでいるロープを一度外さなければいけない。

ロープを外した瞬間、シェルパは足を滑らせて崖に落ちていってしまった。

咄嗟すぎて、何もできなかった。

崖の方に落ちていったシェルパは、何本も残っている古いロープを辛うじて掴み、落下を止めた。

危なかった。

慣れているシェルパでさえ、一瞬の気の緩みで危険にさらされるのだ。

ケイイチは一層気を付けて、ゆっくりと降りて行くことにした。


順調にキャンプ2まで降り、頂上アタックへ向けて出発してから6日目、ベースキャンプに戻った。

ベースキャンプの手前にあるアイスホールが、かなり危険な状態になっていた。

気温が上がって、氷が溶け始めているのだ。

ゆっくりと落ちていく氷塊に気を付けながらアイスフォールを降り、最後の氷塊を抜けると、見慣れた入り口が見えた。

そして、見慣れたシェルパ達がウォーと叫びながら歓迎してくれた。

1人と1人と熱く握手を交わす。

今期、同じ隊から挑戦した17人のうち、登頂できたのは3人だけだった。

そのうちの1人が、赤城山しか登頂したことがないケイイチだったのだ。


日本人のチームのテントで衛星電話を貸してくれると言うので、日本の両親に連絡をした。

両親は、登頂成功を喜ぶと言うよりは、無事だったことにホッとしたようだった。

親というものの愛情の深さを、改めて思い知る。

その後、シェルパ達がささやかな祝杯をあげてくれた。

2ヶ月間凍っていたビールはなんだか変な味がした。

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シェルパ達は踊っていた。

エベレスト登頂した隊がベースキャンプに戻ってくると言うことは、今期の仕事が終わったことになる。

今日で、この登山隊も解散になる。

この上ないハッピーエンドになった。


ベースキャンプからカトマンズへは、ヘリコプターで50万円ほどで帰れる。

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が、もちろんケイイチは歩いて山を降りる。

全てのテントを回収したベースキャンプは、とても広く感じられた。

1ヶ月半ほどの間に、たくさんのドラマがあった。

もうきっと、2度と訪れることはないだろう場所に、ケイイチは深く深くお辞儀をした。

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日本人のチームの方が、残っていた食糧をザックに入り切れないほどくれた。

ヘリコプターを見送り、下山の途に付く。

標高5000mは空気が濃くて仕方なかった。

体が軽くて仕方なかった。

来るときにあった不安や心配はもうない。

山を下る足取りは軽かった。

川の流れを見ながら、雪解け水を追いかけるように歩く。

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相変わらず山の中を歩いていたが、緑が生い茂り、花が咲いている。

心を弾ませながら、散歩気分で歩くことができた。

すれ違う人はノースリーブ姿で、夏が近いことを思い出させてくれる。

自転車を預けてあるジリと言う小さな街まで、10日ほどかけて戻った。


2ヶ月もの間放置されていた自転車に空気を入れて、久しぶりに漕ぎ出した。

自転車を漕ぐのと登山とは違う筋肉を使う。

筋肉痛になるかも知れないと思うと笑えた。

来る時と同じ道を通り、来るときに知り合った人たちに挨拶をしながらカトマンズを目指す。

180km続く山道を自転車で抜けていく。

カトマンズでは、相変わらずアツコさんのお家にお世話になる予定だった。

アツコさんは、すでに登頂したことを知っていて、「おめでとうございます」と言って出迎えてくれた。


エベレスト の疲れを癒す日々は、あっという間に過ぎていった。

天気予報を見て一喜一憂することもない毎日。

命の危険を感じる過酷な状況はもう何もない。

腑抜けた、平穏な日々だった。

日に日に強くなる日差しの下、なんとなく、自転車を漕いでいた足を止めた。

自分の掌を眺めるためだ。

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片方の手に5本の指が付いている。

両方で10本。

頭の中で「開け」と命令すれば開くし、「閉じろ」と思えば閉じる。

動く掌を見ていたら、急に、生きて帰ってきたんだと実感できた。

心が身体に追いついたと感じた。

腑抜けていた時間の中で、身体はカトマンズの街に確かにあったのだが、心はまだ過酷な日々の中にいたのだ。

夢から覚めたように、しっかりと、ケイイチの心が身体の中にあることが確認できた。

この瞬間にようやく、「エベレスト登山が終わったんだ」と思った。


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