【意志あるところに道がある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.8 疾走アジア編⑥
バンコクに戻ってきた。
賑わう街中を自転車を押しながら歩く。
行きたい場所があった。
前回バンコクに来た時に知り合ったキット・ブットさんの旅行代理店だ。
入り口の前に立つと、中にいたキット・ブットさんがこちらに気付く。
にこやかに挨拶をしながら、シンガポールで貨物船に乗れなかった話をした。
「I told you 言っただろ」
とニヤニヤしながら言われた。
「トライしたかったんだ」と答える。
自分でやってみないと納得できない。
そういう性格なのだから仕方ない。
「チベットのことは調べたのか?」
キット・ブットさんは、思いの外ケイイチのことを心配してくれているようだった。
「インターネットで調べたら、キツそうだ」と伝えると「今度はちゃんと考えないとな」と優しく笑ってくれた。
キット・ブットさんとは、バンコクを出る前にもう一度会った。
ケイイチの自転車を見て「君が乗っているのは自転車のような乗り物だね」と言う。
ケイイチが苦笑いをすると、「それを自転車に変えないか?」と言われた。
その時乗っていた自転車はブレーキが壊れていて、これからの道のりを考えて新調したいと考えていた。
半分援助してくれると言うので、一緒にホームセンターのようなところに行って、日本円で4500円くらいの自転車を買った。
3代目の自転車。
もちろんママチャリ。
いつも、旅のことを聞かれて、インドまで行くと言うと、この自転車で行くのか?と言うリアクションがもらえるのが面白かったので、あえてのママチャリだ。
これでどこまでも行ける気がした。
テントもタイ滞在中に買うことができた。
これで凍えることはないだろう。
シンガポールの人たちに、心の中でお礼を言う。
たくさん助けられている。
だから、たくさん助けようと思う。
ペイ・フォーワード。
ケイイチの旅が、なんとなく形作られてきた気がする。
2003年2月11日、タイの北部からラオスに入国。
イミグレーションで出国の手続きをすると、国境間を移動するバスに乗るように指示された。
ケイイチは自転車を乗せることができるのか、と心配が頭をよぎったが、全く問題なかった。
なんと冷蔵庫を持ち込んでいる人もいた。
しかも、人は10ドル。自転車は20ドルと言われ、自転車ごと、車内に乗り込んだ。
ラオスに入国して、最初に見たのはイミグレーションの行列だった。
1人1人に時間がかかっていて、3,4人の列がなかなか進まない。
ようやくケイイチの番になったので、パスポートを差し出すと、入国のスタンプを押されて返される。
これで入国できる、と思って渡されたパスポートを見ると出国期限が2月27日になっていた。わずか16日しかない。
カウンターの上に、もう一度パスポートを置いて「おかしい」と言うと、新しいスタンプを押してくれた。
これは、列も進まないな、と納得する。
ラオスの道は舗装されていなかった。
どうしても進む速さが落ちてしまう。
急ぐわけでもないので、田園風景を楽しみながら、ゆっくりと進んでいった。
ラオスを北に抜けて、中国に再入国して、チベットを通るルート。
最初の目的地はビエンチャと言う街だ。
ビエンチャまでの道はすぐに分かった。
なぜなら道が一本しかなかったからだ。
ラオスはとにかく田舎だった。
人がにこやかに寄ってくる。
家に泊まっていけ、と言ってくれる。
英語で話しかけてくれた青年と話が弾み、日が暮れてきたので、彼の家の庭にテントを張ってもいいか、と訊いてみた。
すると家に泊めてくれると言う。
その日は電気がない夜だったので、ろうそくを灯して、話を続ける。
近所の人がどんどんと集まってきた。
ガヤガヤしていると、警察官が呼ばれてやってきた。
警察官の家に来いと言うので、大人しく従うと、パスポートなどを確認して、120円払わなければいけない、と言われた。
外国人が民泊することがいけないようだった。
国それぞれにいろいろなルールがあるな、と思いながら、120円を支払った。
3月12日、中国に再入国。
日本を出発して、1年が経とうとしていた。
あっという間だったように思う。
毎日が必死だったからかも知れない。
同じ日は1日としてなかった。
出会った人々の優しさに支えられてここまできた。
ここから、ヒマラヤ山脈を越えていく。
自転車で、だ。
過酷な道になることはわかり切っている。
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