見出し画像

#MTK_漂流詩 福男

 私の朝は早い。
 というよりも、意図的に早くしているといった方がいいだろう。日の出の頃には目覚め、軽く汗を流し、メールのチェックをし、シャワーを浴びた後、家族と食卓を囲む。淡々としているのかもしれない。しかし、その緩やかな時間から確かな価値を嗅ぎ取ることが出来る自分が、私は好きだ。非常に気分がいい。
 そもそもこのスケジュール自体が、ある種私の努力と成果の証である。22時に床につけるようになったのは幾つの頃だったか。使われる側から使う側になることで私の生活は激変した。
 勿論、まだまだ至らぬ身である。気を遣うべき相手、より立場が上の相手というのは当然存在する。けれど、そういった方というのは概ね人間が出来てらっしゃるので、こちらの要望をある程度は聞いてくれるものだ。そも、私以上のお歳ながら輝かれている面々ばかり、夜分に連絡を受けることはほぼない。それは私の時間の使い方とも合致する。都合がいいのだ。
 朝食の席を彩るコーヒーの香りから、私は己が幸福を嗅ぎ取る。この世界の中から、自分にとっての幸福を繊細により分ける。それが出来るか出来ないか。世界というのは存外残酷だ。すぐに落伍者が決まってしまう。不幸な人間というのは概して、自ら不幸になりに行くものだ。
 そういう意味で、私は自らの五感に自信がある。そうやって成り上がってきた。幸せになるべくして幸せになってきた。
「○○、髪が跳ねているよ。こちらへおいで」
 娘の名を呼ぶ。その声色はなるべく厳粛に、けれど柔らかに。この子の素敵な父に相応しいものとして。
 娘が照れたようにはにかむ。花がほころぶようなその様を目に留める。今まで幾度となく見てきた当たり前の光景だが、その中にこそ幸せがあるのだ。
 娘の髪を撫でつける。さらさらと、やわらかな肌触り。良い、非常に。得も言われぬこの心地よさ。月並みな表現すらも出てこない。
 素晴らしい。これが私の娘なのだ。
 素晴らしいよ、本当に。
 私の朝は早い。
 私は、時間をかけてこの煌びやかな朝を咀嚼する。よく味わわねば、損というものだろう。

 何時の頃から、夏が嫌いになったのだったか。
 生命の爆ぜ舞い踊る様は美しいが、過ぎたるは猶及ばざるが如し。華々しい命は、同時に死をも予見させるものだ。燃焼も、腐敗も、反応としては同じ。初めてそれを知った小学生の時分から、過度な熱量への嫌悪はくっきりとした輪郭で私の中に鎮座している。そう、夏は全てが腐り落ちていくようで。思い返すに、燃焼の話をしてくれた理科の畔柳先生は、滝のような汗をかいてらした。生命活動という燃焼の激しさを物語るそれに、嫌悪感がないと言えば嘘になる。
 今では、先生のお歳を追い越してしまった。けれども、ここにいる私はそれ程腐っていないし、錆びてもいない。
「ははははは」
 目の前で消えかけの蝋燭が笑っている。私以上のお歳ながら輝かれている面々ばかり、燃え尽きる直前の蝋燭が最も明るい。呵呵と声を張り上げて、赤赤と辺りを照らすのだ。燃えて燃えて燃えて。
 よきかな。
 これはこれで、よきかな。燃えていただこう、華々しく美しく。私は、そうやって温かくなった世界の中から己が幸福を探すのだ。
 よきかな。
 腐りかけのゲテモノも、美味で乙なものだろう。お世話になっているお歴々も皆楽しそうだ。精一杯幸福を探している。幸せを啜っている。それでいいのだ。素晴らしい。自分で自分の幸せを見つけられる人間は素晴らしい。このような方々と時間を共に出来て幸福だ。彼らから私もより深い経験を得よう。幸せになる方法を深く深く学ぼう。
 うむ。歪みなく、素晴らしく、幸福だ。

画像1

 こんなところに神社があったのか。
 石段を登りながらしみじみと考える。普段なら通らないようなビルとビルの狭間を覗いてみると、鰻の寝床が如き光景がそこにはあった。拝殿は意外と奥の方にあるようで、幾ら左右に木々が茂っているとはいっても、夏場に上るには骨が折れる。けれど、かわいいかわいい娘たってのお願いとあらば、断るわけにはいかない。むしろ、これもまたいい経験であり、幸せなことなのだろう。気がつかなかったことに気が付けるのは、きっと得難い経験に違いない。
 その娘はというと、度々振り返ってとりとめのないことを口にする。内容はありふれた差し障りないもので、取り立てて気にするほどのものでもない。ただ、いつものことながらこの子は大変に可愛らしい。かわいいかわいいなどと、まるで七五三祝いの子供へかける言葉だが、この子にはそれが合っているのだ。不思議としっくり来る。
 そうして、軽やかな足取りを眺めていると。
「お父さん、あのね」
 不意に、娘の空気が変わった。
 なんとなくわかる。ああ、これはよくない空気だと。不穏なそれをまといつつも、相変わらず可愛らしく美しいのは流石私の娘だが、それでもこれはよろしくない。この空気に冒された世界の中から幸せを見つけるのは、非常に難しいのだ。
「やめなさい」
 意外なほどに素早く、静止の言葉が。
 娘の瞳が揺れる。いや、突如辺りを覆った雲の影に隠れ、その顔はぼかしを施したように見えにくい。なら私は何が揺れているのを見たのか優れた私の五感が受け取ったのは、あの子が何を揺らす様か。
「いや、違うんだ。それはその、ここで言わなければいけないことなのかと。別に登り切ってからでもいいし、なんならお家に帰ってからでも話せるだろう?」
 そう。何もこんな中途半端なところでなくてもいいではないか。ぶるぶると、瘧のように体が震える。ここでは座りが悪い。息も上がり、光も途切れ、足場も決して良くはない。万力のような音が頭蓋の奥で鳴り、五感と脳と精神が遠くへ引き剥がされる。
 何もここでなくてもいいだろう。ここでは、幸せを見つけにくいではないか。
「ううん。ここじゃなきゃいけないの」
 どうして。何故、もしやお前も自ら不幸になりに行く不心得者なのか。
「ここでこの間。学校の子が死んじゃって。事故って言われてるけど、もしかしたら……って。だから、気になったの」
「おぉ……」
 おお、そうか。
 そうなのか、なるほど、そうかそうか、そう来たか。
「そうだったのか……それは……」
 見つけた。幸せを見つけた。
 なんということだ。素晴らしい、それ以外の言葉がない。娘はかくも美しいか。眼窩の奥に光が舞う。変わらず五感は私から遠いままだが、その距離などものともしない圧倒的な幸福が全てを塗りつぶしていく。
 よきかな。
「おいで、それは辛かったね。お友達のことを考えて、ここまで来たのか」
 なんという慈愛。あまりの神々しさに目は焼かれ。
 なんという悲劇。溺れるほどに英雄的な現実が口内までなだれ込み。
 なんという胆力。耐え難い死と向き合う凛然とした気概が肌を刺し。
 なんという賛美。内から湧き出る歓喜の声に耳は潰れ。
 なんという幸福。芳しい幸と福が鼻腔を蹂躙する。
 私の娘は、完璧だ。
 抱き寄せるそれの目に浮かぶ涙こそ、私の至上の幸福が結実したものと言えるだろう。やはり私は、間違えてなどいなかった。私は幸せを見つけられる人間なのだ。
 気が付けば、私の目にも涙が輝き、顔を出した太陽がその雫を燦燦と照らしていた。まるで我々を寿ぐように。

 あるいは、燃やし尽くすように。
 腐らせるように。


――――――――――――――――――――――――――――――――――
こちらの小説は、私が海月-Mitsuki-という名義で発表した楽曲『かわいいとか病む』の世界観に基づいて書かれたものです。
もしよろしければ是非曲の方もお楽しみいただければと思います。

かわいいとか病む MV
https://youtu.be/Kpcpu-2tBvE
かわいいとか病む lyric Video
https://youtu.be/-ZyxXASl1O4

Illust & Design dir. by ABYSS:
 ​https://twitter.com/ABYSS56052854
Music production & writing. by 海月-Mitsuki-
 https://twitter.com/Mitsuki_LP

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?