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尾野寛明・中村香菜子・大美光代著『わたしをつくるまちづくり 地域をマジメに遊ぶ実践者たち』に寄せて ~わたしを大切にまちと共に生きる、小さな希望の書

コールサック社・2021年10月刊

1、共著のよさ

「まちづくり」と一言でいっても、行政や建物計画など大きなものから、ゴミひろいなどそのまちに暮らす人々の小さな活動まで幅の広い意味を含んでいます。この本は、その中で最も小さな単位、「わたし」という個人にスポットライトを当てたまちづくりをテーマにしています。

全国各地を旅しながらまちづくりの担い手育成塾を開催している専門家の尾野寛明さん。尾野さんが香川で出会い、まちづくりの実践者として共に成長した中村香菜子さん大美光代さん三名による「共著」です。読者の皆さんにとって、共著には、一人の作者による「単著」とは違った良さと、また難しさがあります。共著の良さとしては、一つのテーマに対して、読者が複数の著者の見方を通して考えることができることでしょう。逆に共著の難しさとしては、その複数の価値観やそれぞれの個性から、大きな意味で一つの良さを受けとることができるか、ということだと思います。

私(鈴木)は、この本の編集担当をつとめ、一冊が完成していく様子を伴走しながら見てきました。定期的なオンラインミーティングで対話を重ねながら、三名が少しずつ書き進めるという執筆スタイルで出来上がりました。

今回は、そんな編集者としての立場もふまえつつ、この本を作りながら、また一人の日常生活を送る読者としても、私が感じたこと考えたことを、綴ってみたいと思います。

まずは、この本の共著者たちの基本的な関係図を整理してみたいと思います。中村さんと大美さんの二人は、地方都市・香川県高松市で、それぞれ仕事に子育てに、日々一生懸命に生きていました。しかし、どうにも行き詰まり自分自身の生き方に対してモヤモヤが溜まり、どこか新しい環境を求めていました。ちなみに、どちらかと言えば中村さんは積極派、大美さんは消極派で、性格も真逆でした。そこに尾野さんという〝旅人〟が現れます。尾野さんはドラえもん的存在でもコンサルタントでもなく、問題をそっくりそのまま解決することはしません。しかし結果的には、中村さん、大美さんが自分と向き合い、まちづくりの場に出ていく手助けをします。中村さんと大美さんは今、地元の同志のように活動しています。

尾野さんはまちづくりの「先生」ではなく、三名の関係は基本的に平等です。もちろん、立場の違いがあるので完全に平等ということはありえないのですが、気の置けない友人のように率直な意見を言い合える仲です。

「はじめに」で中村さんは「個性バラバラの3人のストーリー」と言っています。そんな意味で、この本のテーマの一つが「多様性」だと思うのですが、「多様性の中から生まれるモノづくり、コトづくり、まちづくりとはどういうものか?」、そして「それはどのようにして可能か?」…そのひとつの答え・実践が、この本なのです。そして私は、いわば「ヨソモノ」として、三名のまちづくりプロジェクトに参加したような思いがしています。

このような「まちづくり的本づくり」を間近で見てきて、重要だと思ったことが二つあります。
一つは、お互いの信頼関係です。共著者の三名は、尾野さんが二〇〇四年に初めて高松にやってきて開催してきた「高松市地域づくりチャレンジ塾」以来の、これまでの実践的な活動を通して時間をかけて築かれていた信頼がありました。
もう一つは、言葉を尽くした対話です。この三名には相手の意見を聞く耳と、自分の意見を伝える口と、対話をする努力がありました。意見が異なるときも、粘り強く言葉を尽くして、折り合い地点を見つけました。逆に言えば、この「信頼」と「対話」が無くなったところには、多様性を基礎にしたモノづくり、コトづくり、まちづくりはあり得ないといえると思います。

そんな意味でこの本は、「共著」だからよかったのだと言えると思います。次に書くような時代を見据えた本の内容は、多様性と信頼を基盤とした関係の中から生まれてきたのです。

2、語りたくなる6つのテーマ


次に、一読者として見れば、この本にはいまの時代にとっても重要ではないかというテーマが詰まっています。まずはそれを箇条書きにしてみましょう。

①普通の人とは何か?
②ダイバーシティ&インクルージョン第二章
③対話しながら考える
④資本主義とは別の道
⑤利他とまちづくり
⑥自分の頭で考えて行動すること


まずについて。この本の帯に「1人のカリスマより100人の普通の人!?」というキャッチコピーが書かれています。これは尾野さんの活動の中で生まれてきた言葉です。これまでカリスマ的な一人のスゴい人頼りだった地域づくりの場の常識を転換して、「毎年10名ずつ週末ヒーロー予備軍を発掘し、10年かけて100名の輪を作っていこう」(P.77)という考え方です。中村さんと大美さんはそんな「週末ヒーロー」の「普通の人」の役割を担っているのですが、尾野さんは二人の文章を「普通の人がここまで進化してしまったという勇気ある物語」(P.175)と言っています。ちなみに尾野さんは、中村さんは「前へ、前へ」大美さんは「後ろから」と、二人の性格の違いを例として、対照的なまちづくりへのアプローチを分析して説明しています。読者は、〝私はどちらかと言えばこの人に近いな〟というシミュレーションもできるようになっています。
さて実は私自身、この本作りに携わりながらずっと「普通の人」とは何だろうと考えていました。そしてなんとなくわかってきたのは、〝普通の人とは、実は普通ではない〟ということです。
もちろん多くの人はカリスマ的な飛び抜けた能力は持ち合わせていません。が、一見普通に見える人も、常識という服を着ているだけで、小さな勇気を出して一歩踏み出せば、また表現の方法を身に付ければ、さらに周りからの評価によっては、〝他の人にとっては普通ではない価値〟を生む存在になるのだと思います。画一的な学校教育によって私たちには、「普通」であることは良いことだという無意識の刷り込みがあります。それは確かに、集団生活を円滑に行う上で役に立ちます。しかし、「普通でなくてもいい」という考え方を、集団の共通の価値観としていくことも、同時に大切なのではないでしょうか。中村さん、大美さんのリアルなエピソードは、そんなことも考えさせてくれます。

について、第8章の座談会で中村さんが「多様性がめちゃめちゃ苦手」(P.233)という、率直で、少し意外な、印象的な言葉を残しています。今の世間では様々な場所で多様性が求められているのにも関わらず、です。ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(排除しない仕組み)という言葉について、「みんな違ってみんないい」「誰もが平等な世の中に」「お年寄りや障害者などに優しい手を」という理解は、どこか表面的で一方的で上から目線の感が否めません。ダイバーシティなどの言葉をどのように理解して世の中で実践するか、座談会では、回り道をしながらも対話が積み重ねられていきます。
その後の箇所で中村さんは、インクルージョンについて「排除しないというより、助け合えるみたいな言葉の方が近くない?」(P.238)と言っています。この本の特に中村さんと大美さんの章では、それぞれの実体験における失敗談や人としての弱さが吐露されています。反対に、今の時代には、失敗できない、自分の弱さを大っぴらにできない風潮があると思います。もちろん個人の全てのコンプレックスを共有する必要はないですが、自分と他人の弱さを受け入れ、補い合える関係性があった方が皆が生きやすいのではないでしょうか。

はその座談会で気付いた事です。私は実際にリアルタイムの座談会でも聞いていたのですが、文字に起こされるとより分かりやすいのは、対話の場には一人一人役割があり、協力しながらまだ見ぬゴールへ向かうようなところがあるということです。役割として、中村さんは問題提起型、尾野さんは整理・まとめ型、そして大美さんは橋渡し型、とでもいいましょうか。前の二人の役割は比較的分かりやすいと思いますので、大美さんの言葉をランダムで抜き出してみましょう。

「そうね。」「そうそうそう。」「うまいことまとめたな!」「それ、面白いなあ。」「あ、いいね。」

もちろん、大美さんは他にもきちんと内容のあるお話しをされている部分もあるし、また編集上あいづちを文字に残したということもあります。しかし、この座談会での大美さんのキャラクターは、人の話をよく聞き、肯定し、対話を円滑に進める潤滑剤、また橋渡しのような役割であることがわかっていただけるのではないでしょうか。一人の人が対話の中でいくつかの役割を果たし「対話をしながら集団で考える」実践が、この座談会で繰り広げられています。なお、自分と異なる意見の人と話す時に、相手の意見によって自分が変わりうるという謙虚な態度が無くては、このような対話型思考は成り立ちません。まちづくりの場の「対話の仕方」の好例として、様々なことが見えてくる座談会だと思います。

について、いま私たちが暮らしている資本主義システムの生活は、お金があれば便利で豊かな暮らしを送ることができます。その一方で、日々時間に追われ、「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」と呼ばれる、社会にとっても働く本人の人生にとっても無意味で有害な仕事が増えています。また、人類の経済活動を要因とする地球温暖化や環境破壊も進行しています。私たちはそれでも暴走する資本主義の列車から降りることはできないのでしょうか?
この本は、そんな資本主義とは別の道の可能性を示唆していると思います。それは単に資本の都市一極集中に対する地方振興という話ではなく、人がいかに生きるのが幸せかというレベルの話です。本当の幸せとは、合理的なシステム、そこでのルールに真面目に従って、このお金儲けゲームを続けていくことなのでしょうか。それとも、「余白」(P.188尾野さん)のある地域の場を築いていく中で、人と出会い、そこから新しい「わたし」を発見していくことなのか。そんな生きることの深い思索のきっかけに、この本はなりうるのではないでしょうか。

「利他」については、美学者の伊藤亜紗氏を中心とした東京工業大学の「利他プロジェクト」という研究グループがあり、その問題意識に通じ合うものがあるのではないかと思っています〈参考『「利他」とは何か』(集英社新書)〉。
従来的な「利他」とは、自己犠牲を基にした、「カリスマ」のまちづくりだと思います。しかし今の時代にとって大切な利他は、余白がある器なようなもので、利他と利己が交じり合ったものです。『わたしをつくるまちづくり』というタイトルにも、その曖昧さを許容する「新しい利他の姿」が地域の場で実践されているように思います。

最後に、「自分の頭で考えて行動する」は、自分は普通だと自認する人が苦手な事なのかもしれません。その人が何かを選択する時に「普通でいい」と思うと、周りを見回して多数派の意見を採用するので、個人の頭を使って考えることはありません。しかし、地域コミュニティの中で未知の人たちと接する時、人は自然に自分自身と孤独に向き合い、自らの頭で考えることになります。そしてその考えたことを元に何らかの実行に移す方法は、地域の仲間が相談にのってくれます。
地域とは、自分の頭で考えるスイッチを入れてくれる場所、とも言えると思います。「自分の頭で考える人の数が増える」→「考えた良いことを周りと共有する」という好循環が生まれれば、より多様性のある豊かな「まち」になるのではないでしょうか。

まちづくりは、人と関わり、また自分自身をつくる「選択肢」(P.230大美さん)のひとつです。それがまちづくりでなくても、自分と異なる人たちと共に、私自身がいきいきと生きるためのささいな一歩を後押ししてくれる本です。また私が挙げた六つの論点以外にも、周りの人と語り合いたいテーマが色々と生まれてくる本だと思います。
担当編集者としても、読者の皆さんの次のわたしづくりとまちづくりのきっかけになってくれたら、嬉しい限りです。

(文芸誌「コールサック109号」より転載)
(写真は2021年10月23日に高松市内で開催された記念会にて)

※コールサック社HP、全国の書店、Amazonなどのネット書店からも購入できます。


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