落書き 1話完結 (読了3分)
あらすじ
結婚の打ち合わせで実家に帰省したハルヤと婚約者のよし子。話は子供のころに命を落とした弟の話に。弟は何者かによって絞殺されていたが犯人はつかまらないままだった。兄のハルヤは弟から気になる話を聞いていたというが…。
落書き
風が心地よかった。半分空けた窓から初夏の生暖かい風が入ってくる。助手席のよし子の髪と白いシャツが風に揺れた。ハルヤは車を長時間運転して、額に少し汗をかいていた。
「何もおとがめないんだ、そんなことしても」
「田舎じゃ子供のうちはそうなんじゃないかな、色々盗ったよ、ブドウ以外にも、ビワとか、柿とかね、みんな学校の帰りに盗って食べてたよ、たぶん大人はそのことを知ってたと思うんだけど、一回も問題になったことなんかないよ、そういう時代だったんだろうね」
ハルヤはよし子と一緒に、車で東京から山梨に向かっていた。結婚の段取りを組むためだ。ハルヤの実家が山梨の山間部にあった。よし子の実家は長野だが、ハルヤの父親の体調がすぐれず移動が困難だというので、ハルヤの実家の近くの会場で式を行う予定だった。この日は親と、式場などの打ち合わせをするために実家に帰ることになったのだ。
ハルヤとよし子はともに三十五歳だった。お互いの親には、すでに何回か会っていた。
車の中では、ハルヤが子供の頃、他人の畑に実ったブドウや柿を、学校帰りに盗んで食べた時の思い出話をしていた。よし子は楽しそうに聞いていた。しかし、ある話になると少しトーンが変わった。
「帰ったら弟さんにも挨拶しておかないとね」
「ああ、墓参りは久ぶりだからな」
ハルヤの弟、トシキは小学生の時に亡くなっていた。町内の祭りの日に何者かに絞殺され、近くの林の中で発見された。殺人事件として捜査が行われたが、結局犯人は見つからないまま時効を迎えたのだった。よし子には何回かトシキの話をしていた。
「手掛かりは何もなかったんだっけ?」
「その時は、なくもなかったけど」
「なくもないって言うと?」
「ジャイアンツの帽子さ、その日弟がかぶっていたジャイアンツの帽子をかぶっていた先輩がいたんだ、祭りの日に、でもその先輩は自分のだって言い張って、その通りだった」
ハルヤはその時のことを思い出しているのか、遠くを見る目をして言葉を絞り出した。
「ジャイアンツの帽子って、弟さんのなの?みんな持ってたんじゃないの?」
「たぶんね、でもハルヤは親には買ってもらってないと思うんだ、野球はやってたけど」
「じゃあなんで、帽子をかぶった子が犯人だと思ったの」
「ハルヤはジャイアンツファンじゃなかった、でも祭りの日、かぶっているのを見たんだ」
「それなに?よくわからないよ」
「ま、いいよ、俺もわかってる訳じゃないし」
ハルヤは無理に話を終えた。よし子もそれ以上は、そのことを突っ込まなかった。
高速道路を降りて三十分ほどするとハルヤの実家に到着した。
「いらっしゃい、よし子さん、この度はおめでとう」
「ありがとうございます、今日はお世話になりますね」
よし子は笑顔で母親と接していた。
「きれいになってるじゃん」
ハルヤは子供の頃にトシキと使っていた子供部屋を覗いて言った。母親が後ろから荷物を持ってついてきた。
「そうよ、もうずいぶん処分したわよ、今残っているのはあなたとトシキが使っていた机と、トシキの着ていた野球のユニフォームとかカバンくらいのもんかな、押入れの中の物も全部処分したわ」
ハルヤは部屋に入ると机や引き出しを物色した。
「ほんとだ、何もないな」
ハルヤが押入れを覗くと奥の壁に文字のようなものが見えた。そういえば、兄弟げんかをすると、いつもトシキはふさぎ込んで押入れに閉じこもっていたな、ハルヤは記憶をたどった。懐中電灯と、本とかランドセルを持って、トシキは押入れに閉じこもったまま、中の布団で寝入っていたことを思い出した。
ハルヤは押入れに体を半分入れて、奥の壁に顔を近づけた。壁の文字は、子供の頃に書かれた落書きのようだった。
九月三日、オニイとケンカ、なんでいつもこうなんだ。九月四日、そろそろなかなおりしたい、ごめんなさいオニイ。
こんなの書いてたんだ。ハルヤは思いがけない壁の落書きに胸がいっぱいになっていた。
トシキが狭い押入れの中で、横になって壁に落書きをする姿を思い浮かべていた。
九月八日、こんどのどようびは町内祭りの日だ、とても楽しみだ、オニイといきたいな。
ここまで読み、ハルヤは涙がこぼれそうになっていた。でもこの次の日にあいつは死んだんだっけな。
九月九日、今日こそかりてたジャイアンツのボウシかえさないと、あいつオレのこと殺すっていってた、わすれないようにしないと。
壁の落書きはここで終わっていた。
了
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