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リズム社長

 大学を出てこの会社に入って三年目。仕事や人間関係で煮詰まったらいつでも辞めようと軽く考えていたがすっかりはまってしまった。なにしろ社長がビョーキなのだ。いや、正真正銘の病気だ。その病気を社員が受け入れて、より仕事をしやすく利用しているところがたまらない。社長のビョーキはチック症だ。ビートたけしが首を小刻みに右にカクカクしていたが、社長は右手に持っているハンコを常に押し続けていないと落ち着かない。いや、死んでしまうかもしれない。去年の社員旅行で電車の中で寝ながら背もたれの倒したテーブルにハンコを押し続けている社長の右手を、通路からそっと掴んで止めた女子社員がいた。しばらくすると社長の息が荒くなり、呼吸困難になって口から泡を拭いて飛び起きた。彼女はすぐ逃げたが社長は「何が起こったんだ」と呆然としていた。

 釣り好きの社員が「社長のあだ名をマグロちゃんにしよう」と提案した。マグロは泳ぎ続けていないと死んでしまうらしい。社長もハンコを押し続けていないと死んでしまうかも知れないと僕たちは思った。

「社長決済は要らんかー?押すぞー。早く押させろー」

 今日も社判を持って社内を回っている。三十人ちょっとの会社なのでそんなに社長のハンコは要らないのだが、何とかして押させようと皆んな知恵を絞っている。それが楽しいのだ。プリンターのインクがきれました新しいのを、でポンッ。コーヒーのカートリッジが残り少ないですでポンッ。十分休憩してきますで四人連続ポンポンポンポンッ。すかさず三十分休憩してきますでポンッ、と行くかと思いきや「長過ぎる。却下」と言われてどっと笑いが起きたりで楽しい。ちゃんと見てるようだ。

 お昼の時間が社長は一番嬉しい時間だ。二十数人が一斉に「ランチに行ってきます」で、ポンポンポンッと小気味よく押している。社員がほとんどいない昼食の時間だが心配ご無用。社長の奥様手作りのお弁当二人分を、社長お気に入りの秘書山野さんが弁当を食べながら餅つきの要領で一口ごとにチラシの裏にハンコを押させている。

 以前、山野さんが風邪で二日間休んだ時は大変だった。イラついた社長は歩きながら壁にポンポン押し、すれ違いざまに社員の顔にポンッ!はっと気づいて「すまん」と言いながらポケットに千円をねじ込んだ。それを見て社長の前をうろつく者が増えた。四人のポケットに千円を入れた後、経理の武田さんが十万円を銀行へ両替に走ったと聞き、二日で八千円を稼いだ猛者もいた。それでも社長がピリピリしていると会社は楽しくない。普段社長がポンポンとハンコをつくテンポが良い音で、仕事がはかどっていた事に皆んな気がついたのだ。

 我が社は様々なプレス機の設計図を作っている。小さいものは携帯の絞り機。一枚の板に圧力を掛けて形にする。大きいものは車体。社長のビョーキはそこから来たかも知れないが、得意先に社長は人気がある。工場の中を廻りながら小気味良くハンコを山野秘書の持つステイックボードに押す姿が見たくて大勢の社員が見にくる。

 そんな社長がコロナのオミクロンに罹患して入院、二週間休んだ。完全回復して出社した社長を見て全員が驚いた。ポンポン押す動作をしていないのだ。コロナは予想外の副作用をもたらした。社長は長年のチック症が治りご機嫌だが、普通に静かに歩いている社長はかえって社員の覇気を低下させてしまった。それを感じた山野さんがある日社長にプレゼントを渡した。誕生日でもないのに、でも嬉しそうに箱を開けるとそれはタップシューズだった。山野さんの意を理解して椅子に座り靴を履き替えると社員が集まってきた。なんとなくテレビで見たような動作をするとそれなりの音が響いている。会社の床は硬くてタップに合っているようだ。元々テンポ良くハンコを押していたので、リズム感はあるようで、

「よし、タップ教室に通って気持ち良い音を出せるようにするぞ。興味のある者は一緒にやろう。入学金は私が出すぞ。我が社にタップダンス倶楽部を作ろう」

 これからはポンポンという音から、タカタンタンという音に変わるのだろうか。僕もやってみようと思う。社内を数人がリズムを合わせて良い音を出しながらコーヒーを取りに行ったりして移動するなんて、まるでドラマのような会社じゃないか。益々この会社が好きになってきた。
                            完

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