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遠望8

撃墜された飛行機からパラシュートで群馬と新潟の県境の山に降りた米兵は戦後もずっと隠れて住んでいた。が、彼には美人の孫がいた。

 撮影スタッフ全員が、四人の親と一人の子供の暮らしに思いを寄せていると沈黙が続き、大きな家にふさわしい柱時計がぼーんと鳴る音で三宅が我に返った。
 

「今も康一さんは週末に山へ行かれているのですか?」

「毎週末ということはないですね。変わりに今は美貴が行ってくれていますから淋しくはないと思います。そのお陰ですかね、つい最近二十歳になったばかりなのにもうワイン好きになってしまって」
 急に集まった全員の視線にたじろぎ、

「だってこっちでも山でも、お爺ちゃんたちが勧めるんですもの。断ると悪いかなぁと思って。いきなり変な紹介しないでよ。美貴は山のお爺ちゃんからどんなこと教わったの?とか、そういうこと言ってよ」
 姫野が笑いながら、

「大丈夫、私も二十歳の時にはワインが好きになっていたわ。両親が好きだったお陰ね。で、美貴ちゃんは山のお爺ちゃんからどんなこと教わったの?」

「姫野さんだ〜い好き。子供の頃は木登りとか食べられる野草とか薬草とか教えてもらって、あと魚を捕る為の罠の仕掛け方とか。さすがにヘビのさばき方は教わらなかったな。今は、今は〜やっぱり、ワインの飲み方かな?」
 全員が爆笑し、オチを効かせる話し方に大筒が関心して、

「美貴ちゃん、卒業したら群馬放送のアナウンサーになってよ。みんなを笑顔にする才能は絶対合ってると思うよ」
 姫野が大きくうなずいているのを見て、

「姫野さんと一緒にお仕事が出来るのは幸せかも。その時になったら考えますね。でね、ちょっとだけ昨日お父さんが話したことで修正したいことがあるの」
 その言葉に突然空気が変わった。ソファーに深く腰をおろしていた正一は体を起こし息子の康一の顔を見て聞いた。

「なんか事実と違うこと言ったのか?」
 康一が美貴に何かを言おうとすると、

「そうじゃないの。お爺ちゃんの英語力のことよ。昨日お父さんは英語を忘れてしまっていると言ってたけど、実は二年前から映画のDVDを持って行ってるの。それでお爺ちゃん、かなり英語を思い出してきているわ。一緒に見ながら教えてくれるの。だから、今のお爺ちゃんに教わっているのはワインと英語なの」

「どんな映画を持って行っているの?」
 母の今日子が聞いた。

「う〜ん、いっぱい持って行ったけど。失敗しちゃったなって思ったのはスターウォーズかな。初めは映像の凄さに驚いていたけど戦闘シーンになると止めちゃったの。私たちと違ってやっぱりリアルに感じてしまうみたい。サウンドオブミュージックは何度も何度も繰り返し見たいというのでDVD買っちゃった。意外なのはブレードランナーが凄い好きなの。人間が人間のようなレプリカントを作り、そのどちらにも寿命があることに共感しているみたい。あと、スタンドバイミーと、フィールド・オブ・ドリームスもDVD買っちゃった。毎回泣きながら見ているわ」

「そうか」
康一は黙り込んだ。
正一も何かを考えるように天井を見上げている。

「あなた、どうしたの?」
と、今日子が聞くと、

「ここ数年は美貴やお父さんが足繁く通ってくれているから僕はほとんど日帰りだった。食べるものを置いて、ちょっと話してすぐに山を降りていたから親父が映画にはまっていたことを知らなかった。もしかしたらお袋の変化にも気づいていないかも知れないな」
 あまり聞いたことのない寂しい康一の声に正一が言った。

「仕事をしているんだからしょうがないさ。お前はよくやっているよ。兄さんも姉さんもお前には何一つ不満はないさ。もちろん私たちだって。実際、私やお前が行くより美貴が来てくれる事がはるかに嬉しいのさ。美貴だからこそ映画を見せようという発想にもなるんだしな。ブレードなんとかという映画、私は聞いた事もないぞ」
 美貴が立ち上がり康一の後ろについて、

「お父さんもたまには映画を見ると良いのよ。働き過ぎよ。今度、みんなで見ようよ。お父さん、プロジェクター買って!ねえ、お母さん良いでしょ?みんなで大画面で映画見ようよ」
 今度は今日子の後ろに立って肩を揉んだ。
越谷親子のやりとりを聞いていた三宅は、

「ホントに皆さんの繋がりの強さと、お互いを思う優しさには心が打たれます。その中心にいらっしゃる山のお爺様とお婆様に早くお会いしたいです」
 言ってしまってから三宅はしまったと思い大筒の顔を見たが大筒は「大丈夫」と頷いた。

「そろそろ山へご案内していただきたいのですがその前に大事な事をお話しさせて下さい。第二次大戦中、米軍のパイロットだったお爺様が爆撃の為に群馬県上空を飛行中に撃墜されてパラシュートで山に降り、そのままアメリカに帰らず山の中でお婆さまと知り合って家庭を築き今に至る越谷家の皆様のことを発表する準備をわが群馬放送はしておりますが、まず全国のメディアには明後日の金曜日に告知しようと思っております。そしてその翌日の土曜日に記者会見を行いたいと思います。場所はまだ未定ですが日米合わせて数百人のメディア関係者が来ると思われますので市民会館などを候補に検討しています。早過ぎると思われるかも知れませんが迅速にやることが逆に早めに収束させる方法だと思っております。このスケジュールで許可いただけますでしょうか?」

 大事なことを伝える事が出来たという安堵と、自分たちの勝手なスケジュールを一気にまくしたててしまったということで大筒は家族の顔を見る事が出来ず柱時計を見つめた。
 暫くの沈黙のあと、七十八歳の正一が発言した。

「私と女房は記者会見にはいなくても良いですよね。こういうところにカメラが来て話しするのは良いけど、大勢の前は苦手で」
 大筒は正一と三恵子の目を見て、ゆっくりと三宅に顔を向けた。

「そうですね。皆様でと考えていましたがその方が良いかも知れませんね。記者達の質問を集中させたほうが長時間にならなくて良いかも知れません。そうしましょう。山のお婆様は下りる体力はありますでしょうか。不安でしたら私たち群馬放送の大道具のスタッフに籠のようなものを作ってもらいますのでそれにお乗りいただければと思います」

「え?姉もその場にいなきゃダメですか?」
 正一が思わずソファーから腰を浮かせた。

「はい。ご夫婦で参加願います。お婆様がいらっしゃらないとメディアは納得する事ができず、山のご自宅に大勢押しかけることが予想されますので」
 目をつぶって聞いていた康一が美貴を見ながら、

「籠は二つお願いします。親父も山を下りるのはとても久しぶりですからふもとまで膝がもつかどうか」
 康一のその言葉に三宅が反応した。

「え?下りたことがあるのですか?」
 三宅のあまりにも驚いた表情に康一は苦笑いした。

「そりゃ、何度もありますよ。二人で下りてきて車に乗せて高崎の町や周辺の町を夜のドライブに行きました。車からはほとんど下りませんでしたがね。一度、美貴が小さい頃に深夜の動物園に行った事がありました。夏だけの特別営業でしたが、孫を連れた三人連れというより子供が三人いるようでしたよ。とってもはしゃいで。美貴、覚えてる?」
 いつの間にか康一の後ろに立ち、肩を揉みながら聞いていた美貴は、

「うん。覚えてる。お爺ちゃんとお婆ちゃんが凄く喜んでいて、そのことが私もとっても嬉しかったから覚えてるの」
 笑顔で聞いていた三宅だったが大筒がふと気づくと泣き顔に変わっていた。

「三宅、なんで泣いてるんだ?楽しい話しじゃないか?」

「だって、人目を避け限られた夜を家族で過ごしていることを想像したら泣けてくるじゃないですか!」
 三宅らしくない言葉に大筒は手を叩いて、

「そうだよ三宅。その調子、その調子」
 その言葉に全員が笑った。

「なにがその調子ですか。全く。えっと、それでは確認ですが記者会見の参加者は山のお爺さまとお婆様。それから康一さんと美貴ちゃんの四人ということでよろしいですか?」
 康一が美貴をみて頷き、美貴も頷いた。それを見て大筒も大きくうなずいて、

「それでは豚肉を買いながら山へ行きましょう。わぁ、ついに会えますね。いやぁ〜、ドキドキしてきたなぁ」
 大筒が張り上げる大声に姫野と美貴が耳をふさいでいるのを見て三宅が、

「大筒さん、そういうのは心の中で叫ぶんですよ。心の中の声をホントに出してどうするんですか?」

 「あ、すまん」
一気に小さくなった大筒に美貴が手を叩いて笑った。

遠望9(2月19日)へ続く。1から読みたい方はこちら。


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