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カリの日本人宿「だるま」 南北アメリカ自転車縦断 コロンビア(2)

朝食は中米ではたいていビスケットを食べていたが、コロンビアは街中にパン屋があちこちにある。しかもなかなか美味しいので、それを買って食べることが多い。イバゲのパン屋で買ったパンも美味しかった。

イバゲを8時前に出発。前日もイバゲまで長い登りだったのに、この日もひたすら登り坂。一体どこまで登るのか。

景色はその分最高で、山々が連なりがどこまでも続く。所々に竹林があったのには驚いた。谷間を優雅に飛んでいる大きな鳥はコンドルだろうか。

この日は土曜日なので車が多い。また何よりも驚いたのは、道路沿い1km ~ 2kmおきくらいにライフルを持った兵士が立っていることだった。

どうやら兵士が道路沿いに立つのは週末だけのようだったが、それにしても物々しい。この国の別の一面を垣間見ることができた。(サイクリングしている分には何の危険も感じなかったけど。そもそもこんなに兵士を配置したらゲリラの登場する幕はないだろう。)

途中の町の食堂で昼食にする。ちょうどお昼時で、車でやってきた人たちで一杯だった。具沢山のスープとバナナにチーズを載せて焼いたもの。バナナは熟す前のものらしく固かった。美味しい。これで3,000ペソ、150円。

ここでも英語を話すコロンビア人の女の子に話しかけられた。コロンビアは世界の人々に「危険な国」と思われているため、訪れる観光客は少ない。観光客が珍しいからだろうか、地元の人に声を掛けられることが他の国よりも多い。

彼女は私が「アラスカから自転車旅行をしている」と知って驚いていたが、どうして「一人」なのかはどうしても理解できないようだった。「アラスカら南米の一番端まで自転車で一緒に走るほどクレイジーな友達はいないから」と言ったら笑ってはいたけれど。

しかし彼女も非常に可愛い。若いコロンビア人女性は本当に美人が多い。(まあ、だからおばさんとのギャップがすごいわけですが、、、なんてデリカシーの無いことを書くのは本当はまずいのだろうけど。)

食堂を出てからも登りは続く。峠らしいものが全く見えない。前方のカーブを曲がると更に高い山が登場する。

まだ北の端とは言え、さすがアンデス山脈。伊達ではない。

途中何度も休憩して、最後はもう走れなくなりひたすら自転車を押して歩く。

ヘロヘロになりながらもなんとか峠を越えて、そこからは一気に20㎞の下り。下っている途中でポリスチェックがあった。(コロンビアでは1日に2回~3回くらいある。)彼らはたいていフレンドリーで、パスポートを見せるだけなので何の問題もないのだが、このときはヘルメットと工事の人が付けるような蛍光色のゼッケン(?)を身に着けるように言われた。確かに自転車の人はそれらを付けている人が多い。ゼッケンはオートバイの人は全員付けている。

そのときは適当に「分かりました」と言って、その後付けることは一切しなかったけど(笑)。

下りきって着いた町、カラルカの宿に泊まったのだが、チェックインする前に二人組の女の子に声を掛けられる。しかし話を聞くとどうやら一人がもう一人を指して「買わないか」と言っているようだった。「No」と言ったらすぐにいなくなったけど、今回の旅行で直接営業をかけられたのはこのときが初めてだった。

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次の日はトゥルアまで。昨日とは違い、道は平らか下り坂でものすごく快適。平野部分はサトウキビ畑が多い。

日曜日なのでサイクリストも多い。コロンビアは自転車競技が盛んなため、(もしかすると日本以上に)サイクリストに優しい国である。

トゥルアで1泊して次はカリへ。

カリに向かう途中の食堂のテーブルに一人で座って食事をしていると、お店のおばさんが私の前の席に座っていろいろ話しかけてくる。スペイン語なので意思疎通には苦労したが、「カリはボニータ(可愛い女の子)が一杯よ💕」と言って手を唇に持って行って「ちゅっ」とやっていた。

相手がおばさんだけにあまり説得力はなかったが(笑)、確かに私のガイドブックにも「カリの女性は特に美しいことで有名」と書いてあった。(日本で言うところの秋田、だろうか。)

もっとも、私がカリを目指していた理由は別にあって、カリに「だるま」という名前の日本人宿があると聞いていたからだった。

確かにコロンビアの女性は美しい。でもそれよりも日本人の女性に出会いたい。日本人の女性とまともに会話をしてそこそこ仲良くなれたのはメキシコのサン・クリストバル以来だからもう4か月近く前のことである。

期待を胸にカリの「だるま」に到着。

宿泊者5人は全員男だった(笑)。

※※※※※

「だるま」には5泊した。

一番仲良くなったのは宮古島に住んでいてサルサダンスを学びに南米にやってきたN君で、彼とは一緒に近くの山に登ったりした。(ちなみに、カリは「サルサダンスの首都」らしい。)

また、「だるま」には女性の宿泊者はいなかったが、宿主の長女さん(当時25歳)がいて、彼女も宿泊者に交じって毎晩(皆ヒマ人なので(笑))朝方3時くらいまで雑談で盛り上がっていた。

ちなみに長女さんは17歳まで日本にいたためスペイン語は日常会話しかできないそうで、現地では日本語の先生をしていた。男勝りという感じの人だったが一緒にいて楽しい人だった。

ちなみに、カリの女性が特別美しいかと言うと、個人的にはよく分かりませんでした(笑)。

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3月26日、8時に「だるま」を出発。N君が見送ってくれる。今後彼も南下するのでまたどこかで会えるかもしれない。

この日はポパヤンまで140㎞ほど走る。カリは標高1,000mだが、途中標高2,000mの峠を越える。(ポパヤンは標高1,700mほど。)

この日は土曜日だったので、やはり数キロごとに兵士が立っていた。

坂道を登っている途中で後ろのタイヤがパンクする。原因は良く分からず。グアテマラ以来のパンクだから久しぶりだった。

道沿いの食堂で昼食休憩。カルネ・アサダという牛肉料理とスープ、ライスで5,500ペソ。280円くらい。コロンビア(の安食堂)にしては高い方だが、美味しいし、なによりものすごい量で食べきるのに苦労する。どうやら、自分が自転車乗りであることを知ったお店の人が量を増やしてくれていたようだった。

出発間際に、家族連れにコロンビアのお菓子を沢山頂く。コロンビアでは走っている途中でも、わざわざ車が停まって食べ物や飲み物をくれたり、ということが頻繁にあった。

夕方、土砂降りの雨にあい、全身びしょ濡れになりながら、ポパヤンに到着。ガイドブックに載っていた宿に行く。部屋はドミ形式(相部屋)で他に西洋人が3人いた。

シャワー&洗濯後に街に出てみる。街中も十字路ごとに兵士がいる。ポパヤンはゲリラが活動する地域に近いこともあり、警備はかなり厳重だった。

夜のポパヤンは建物の白い壁が黄色い灯にともされてとても綺麗。特に全体真っ白の大聖堂が暗闇に浮かび上がっているのはこの世のものとは思えないくらいだった。


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