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猿でも出来る作曲Life Act.4

まだまだ拙い録音技術ではあったが
この3曲を"武器"に

人付き合いの苦手な彼に変わって
私は口八丁手八丁でプロモーションを始めた。

当時、私はローカル局のラジオ職人をしていて
地元の音楽番組などによく投稿していたため

業界の方とそれなりに
精通していたことも手伝って

メディア関係の方に聴いていただけるよう
図々しくもこの自作曲MDを番組宛に送ると

何と番組で取り上げてくれた。

更に休日にはインディーズを取り扱ってくれるCDショップで音源の委託販売や

活動に関するPRなどを業界のプロの方々から
教えを乞う日々が続いた。

S氏の作るメロディは
以前にも増して音楽的センスに溢れ

ポップとロック、そして生音と機械が
ほどよく融合された独特のスタイルが特徴で

思っていた以上の反響があった。

元々S氏は
クラシックピアノを習っていたことで持ち得る
ベーシックな音楽知識に加え

テクノや打ち込み関係にも造詣が深く
そこにロックの要素を持ち込んだことにより

更に音楽性に深みが増した。

共にボーカルの癖が強い傾向があったものの
当時の我々の“勢い”を今になって思い返すと

もしも今のようなSNS隆盛の時代なら
一瞬でブレイクしていたかも知れない。

このような地道な宣伝の甲斐もあって

私とS氏との新たな二人の音楽ユニットは
地元を拠点に活動し

小さなライブ会場ながら
短いスパンで演奏出来るまでになった。

仕事と掛け持ちの音楽活動も
少しずつ軌道に乗り始めて1年が過ぎ

新たな曲をレコーディングして
更に活動の幅を広げよう、

そんな矢先にS氏から思いもよらぬ一言が。

「音楽に対するモチベーションが下がった」

少し前に結婚をした彼は
家庭での時間が増えるに連れ

音楽への情熱がまるで
潮が引いていくように冷めたのだと言う。

「悪い、オレ、音楽辞めるわ」

その一言で私は再び翼をもがれた鳥と化した。

"音"を作る人間がいなければ新たな曲は
産み出せない。

「申し訳ありません、活動を止めることになりました」

これまでお世話になった音楽関係者の方に
頭を下げて陳謝することで

私の "二度目の音楽生活" は幕を閉じた。

時に私は30代になったばかりの頃で
まだ音楽への夢を捨て切れないまま
サラリーマンをしていたが

さすがにこれで"終わった"と痛感した。

もうこれで思い残すこともない…

音楽を演ることはきっぱりと諦めて
これからは"聴くだけの人"になろう…

そう思いながらも心の何処かでは

またあのステージに立ちたい、
そんな願望があったのは否めない。


そして人生最大の2度目の転機が訪れた、

それは2度の音楽活動休止から10年が過ぎた
2015年のある日のことだった。

小学生の頃から『太鼓の達人』と言うゲームが大好きだった息子が中学生になり

当時の画像 (2013年頃)

そのゲームからの影響で東方系の楽曲や
様々なジャンルに触れたことで

"ボーカロイド"と言う
いわゆる初音ミクのようなアンドロイドを
ボーカルにして曲を作る

"ボーカロイドプロデューサー"

通称「ボカロP」のようなことをしてみたいと、ある日私に打ち明けてきた。

ー 俺の夢を息子に託してみようかな?

そんなよこしまな心も手伝って
即決で息子の夢を後押しすることに決めた。

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