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理屈じゃない、気持ちの話

今日は朝から仕事で6:00起床。朝焼けが気持ちいい。ハロウィンの仮装(カチューシャ)をする。

夕方、リビングで父が録画していたNHK MUSIC SPECIAL、サザンの回を見ていた。画面の向こうで桑田さんが『Relay~杜の詩』を歌っている、「コミュニケーションしよう」と。

『どうする家康』で、小田原を平定したあと江戸に国替えになり、三河の地を離れざるを得なくなった家臣団たち。本当は嫌だ。自分たちの故郷を、大切な場所を、守るために戦ってきたのに。江戸なんて行きたくない。

嫌だ!嫌だいやだ!!なんで江戸なんかに行かなくちゃいけないんだ!三河を離れるなんて嫌だ!

家臣団たちの叫びをとにかく受け止め続ける大久保忠世。一日中、ぶつかりつづける家臣団と、受け止め続ける大久保忠世。お互いへとへとになって、最後は、仕方ない、となる。

『忘れられた日本人』(著:宮本常一)の中に、対馬の寄合の話があった。何か村の決めごとをするとき、とにかく何日も何日も話し合う。集まって、それぞれ思い思いに言葉を発して、日が暮れてその日は解散して、また次の日に集まって、思い思いにしゃべって、また解散して、また次の日集まって。そうして繰り返しているうちに、自然とものごとが収まる方に収まっていく。皆が納得する。そういうような話だった。

『どうする家康』のシーンも、『忘れられた日本人』の対馬の話も、知恵というか、理屈ではない気持ちの部分に折り合いをつけるための最適な方法というか、むかしの人たちはこうして対立する考えにも折り合いをつける術を持っていたんだな、と思った。それに比べて、と思ってしまう、ここ最近。

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