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「ありふれた教室」【映画感想文】

※内容に深く触れたネタバレ有り感想文です。

問題に直面したときに、「この方法だとちょっとマズいかもしれないな?」と思っても、どうにか打開したければ、ちょっと正しいばかりではない方法を取ってしまうのは、やったことがなくてもその心境の理解はできる。

「ありふれた教室」は、そんな風に正当性にちょっとばかり欠けるものの、正義のために「良かれと思って」取った行動によって、単純な校内の盗難事件がどんどんと泥沼化して、じりじりとした蟻地獄に落ちていく様子「のみ」をひたすらに追った作品でした。

ドイツの学校制度そのものは、日本のそれとはだいぶ異なっているようで、観ていて最初はそれに戸惑います。当たり前に多様な人種の生徒が席につき、自主的な発言と活発な議論が行われています。そして教師は「不寛容」精神のもと、生徒に事件の犯人を教えるよう厳しく指導もします。

そんな異なる風土は、けれど、物語の進行とともに、ただの背景と化していきます。

犯人と目星を付けられた方法が正当と言い切れない手段であったために、教師の卑劣を訴えていく親の強気。指導方法を巡る教師同士の諍い。ゆらぐ教師の弱目に付け入るかのように、幼い傲慢さを覗かせていく生徒。

そんな学校という密室での人間模様の圧迫感は、日本と変わりないもので、ひとりの教師の目線で冷静に描かれていくのもあり、彼女の揺らぎや絶望がそのままダイレクトに伝わってくるようにも感じました。

この主人公の教師のプライベート描写を一切排したのが、特にこの映画では特徴的に感じました。

家族や恋人関係などすべての彼女の個性を排除しきったため、彼女には「追いやられていく教師」というキャラクタしか与えられず、それ以外の要素での感情移入を阻みます。その効果があって、彼女の陥っていく後先のない状況にぴったりと共感できたようにも思います。

映画やドラマなどフィクションにおいて、人物がどういった個性を備えているかという要素はキャラクタを観客に親しませるのに必須のようにも思えますから、その描写のきっぱりとした排除は、新鮮な割り切り方に感じました。

内容に少し触れていきますが、

事件の真相については結局明らかにされはしません。
真相を追う映画ではなく、事件によってかき乱される人間模様をむき出しに描くことに注力した物語だったので、そのことには不満はありません。

この物語は、「どうやっても」真相を導けなくなった、そのどん詰まりに至る過程だけを丹念に描ききったお話だったからです。

象徴するのが、ラストカットです。

まるで王様のような堂々たる彼の姿には、すがすがしいまでの断絶、絶望、勝敗が明示されていて、圧倒的な無力感に打ちのめされる思いがしました。

どうすればよかったのか。
その正解はもしかしたら、あったのかもしれませんが、もう取返しはつかない、それだけが確かにわかる。

99.9%の「疑惑」は、0.1%の「隙」に覆されて、もう有罪とは永遠にならない。むごいけれど、きっと、「ありふれた」話なのでしょう。

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