脳内思考の言語化試行#2 【中世ヨーロッパ】

地中海世界での初めての大きな共同体は古代ギリシア。

<1>古代ギリシアの特徴として、不思議なことがあった。エーゲ文明の時代は強力な王が存在していたのに、暗黒時代を経てポリスが建設されるようになると、王は存在せず、貴族社会であり、またポリス同士互いを併合することもなかった。王はどうした??(参考書とネット結構漁りましたが理由がわからず、ずっと不思議なのでどなたか知っている方いたら教えてください。)
<2>しかし代わりに「共同体意識」というものが古代ギリシアでは特徴的であった。その共同体意識を支えるものは何か。受験の模範的な回答としては ①デルフォイにあるアポロンの信託 ②オリンピアの祭典 ③ギルガメシュ王の物語を尊んでいた。※この共同体意識が芽生えた結果として、自民族を「ヘレネス」他民族を「バルバロイ」と呼ぶようになった。
<3>しかし、アケメネス朝からの圧迫に反発してミレトスがペルシア戦争を始めると、この平和な生活は崩れた(※領土拡大目的の戦争ではない)。時代を経てペロポネソス戦争が起こるが、ここで。その要因の1つが、ギリシア内での衆愚政治であった。ペリクレスはどんな立場な人でも役人となれる抽選制を確立したのであったが、それがギリシアの政治を混乱させたのであった。
<4>というわけでギリシアが滅亡すると、ヘレニズム時代が始まり、このヘレニズム時代の特徴の1つとして「個人主義」および「コスモポリタニズム」という価値観が探求されるようになったことがあげられる。この価値観は、古代ギリシアにおいての共同体意識が徐々に崩れ、最終的にポリス社会が完全に崩壊してしまった結果生まれた。人々は、今までのポリス単位での価値観に縛られず、個人として生きることを人々は探求し始めたのである。
<5>ギリシア世界は崩れたが、その後もギリシア人やギリシア文化はローマ帝国のもとで生き続きますね。このローマ帝国も、初めはギリシアと同じように、身分関係なしに参政権を求める運動から始まったわけだが、身分闘争が終わると、貧富の差の拡大を背景に、いわゆる「内乱の1世紀」の時代に入る。しかし、オクタウィアヌスがアウグストゥスの称号をもらったことを契機に帝政ローマが始まることでこの内乱は収まり、パクス=ロマーナ時代に突入する。しかし再び「3世紀の危機」のローマ帝国では軍人皇帝時代が続き、最終的に395年に二分割されますね。
<6>上記はローマ帝国の大枠だが、その実情、つまりローマ帝国で生きていた人々たちの生活については、2つの視点から見ていきたい。1つ目は、市民権を求める運動が活発化したこと。ローマ帝国の分割統治下で唯一市民権を持たない同盟市が起こした同盟市戦争によって、イタリア半島内に住む自由民全員に市民権が与えられた。そして、カラカラ帝はアントニヌス勅令を発布することで、ローマ帝国内全ての自由民にローマ市民権を与えた。つまり、ローマ帝国は都市国家の連合政権から領土国家になったわけですね。
<7>2つ目は、コロヌスつまり農奴、また被支配者や奴隷ついて。ローマ帝国では膨大な数の支配者や奴隷がいた。この人たちの間で生まれたのがキリスト教である。(のちの結論に使いたいからここに挿入しておくが、ユダヤ教も似た成立背景を持っていて、ヘブライ人がバビロン捕囚の苦しみ、そしてその後キュロス 2世による解放を経て「選民思想」「メシアの待望」を信じるユダヤ教が確立された)。このキリスト教はパリサイ派ユダヤ教の厳格な律令主義、つまり形式等を重視することを批判し、神は人間誰しもを平等に愛することや隣人愛の大切さを説いた。
<8>そして325年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、395年になくなったテオドシウス帝がキリスト教を国教化すると、急速にキリスト教が地中海世界に広まっていく。今まで弾圧されていたのに!!!って本当に驚いたけど、まぁ<7>を考えると、あんなに苦しい状況の中でもこの信仰があったから人々は結束して苦しみを生き抜けたわけだから、そりゃあ急速に広まるわな。そして今後の地中海世界では、皇帝は「神の代理人」という立場で権力を維持し、キリスト教およびその頂点に立つ教会・教皇と有力な王国は互いに結びつくことで自分たちの地中海世界での権力を強化しようと努めた。
<9>476年に西ローマ帝国が滅び、教会の力が不安定になったものの、カールやオットー1世の戴冠を経て、西地中海世界が独自のカトリック教文化圏を形成し、今で言う「西ヨーロッパ」が成立して。そして11-12世紀、面白い現象が起きます。中世農業革命によって生産余剰が発生し、商業が活発化し、生活に余裕ができたことで聖地巡礼といった外の世界に向かう機運が高まった。その代表的な形として十字軍が挙げられる。そして人の移動が活発化することでさらに商業が活発し、またムスリム商人など異民族との接触が増える。その結果商業ルネサンスが起こり、西ローマは経済的・文化的に繁栄し、かつ、イスラームの医学や数学など科学的な考え方、技術も流入する。しかししかし、同時期に、十字軍が失敗したのである。国内は、地中海世界を支えていたカトリック教勢力が "失敗" したのである。ここから一気に地中世界は変わっていく(いわゆる近代に移りますね)、これが11-12世紀の本当に面白い所。12世紀ルネサンスという経済的・文化的繁栄というもうハッピーハッピーな出来事と同時に、カトリック教世界が崩れ始めるんです。
<10>12世紀ルネサンスおよび十字軍を経て、教皇権が衰退していく。例えば、対比させるとわかりやすいなーと思うけど、カノッサの屈辱事件ではグレゴリウス7世がハインリヒ4世を屈服させたのに対し、アナーニ事件ではボニファティウス8世はフィリップ4世に"負けた"。カノッサの屈辱事件の時、ローマ教皇は背後に諸侯など有力者がついていたのに対し、アナーニ事件においては、教皇の権力が弱体していたのである。そして代わりに、14世紀ルネサンスに連動した科学革命が起こり、地中海世界各国の国王が権力を強化し、主権国家が形成されていく。
まぁ少しオーバーしたがここまでが中世ヨーロッパの終わりですね。近代では、ピューリタン革命をはじめとしてフランス革命などの「市民革命」が起き、国民主体の国家が成立していき、現代の政治体制に至る。

世界史の通史の2周目を終え、このことを振り返って(?)たら、ハッとしたことが2つある。
〈1つ目〉
『[①十字軍が失敗した]∧[②科学の進歩]∧[③地中海世界には「王」もが一定の権力を持つ王国が成立していた]』だから『★国王が絶対的権力を握る主権国家が成立した』と学んだ。
単純に疑問なのだけれど、それじゃあ
『[①]∧[②]』『[②]∧[③]』『[①]∧[③]』のいずれかだったら、『★』は起きたのだろうか。
[①][②][③]と『★』の間に、同値関係を結べるのかが単純に気になる。このような研究はもう解明されているとも思うが、大雑把に一般化すると、
[①共同体を支えていた共通の価値観およびその価値観の担い手の信憑性が落ちる]
[②技術の発展(もっと一般化すればパラダイム=シフトのような現象)]
[③①の価値観、及びその担い手と競合する組織の存在]
[★新しい形の共同体が誕生する]

わかりやすくするために中世ヨーロッパの出来事に戻すと、つまり私が気になるのは、【[科学が進歩した、かつ、王国が存在していた] ならば、[主権国家は成立する]、およびその逆、[主権国家は成立する] ならば [科学は進歩した、かつ、王国は存在していた] 】という命題は成り立つのか?ということである。言葉にすると曖昧になってしまうのですが、頑張って単純な日本語に言い換えると、「科学の進歩」「元々の王国の存在」の両方がなければ、主権国家は成立しなかったのか。また、主権国家が成立するためにば、必ず「科学の進歩」「元々の王国の存在」の両方が背景になければいけないのか、という意味です。
それとも上記の命題は偽であるが、【[十字軍が失敗する、かつ、技術が発展する] ならば、[主権国家は成立する]】、そしてその逆の命題は、真なのだろうか。
[①][②][③]は『★』のための、必要条件、十分条件、必要十分条件、それともただの触媒のような要素だったのか。それが気になりました。

2つ目〈東大神。〉
<1>強い王権が存在
<2>王権はないが、「共通の信仰・価値観」に支えられた巨大な共同体が存在
<3>共同体の価値観の信憑性の衰え
<4>個人主義、帰属の欲の薄まり
<5>国を統一する皇帝の存在
<6>帰属の欲の高揚
<7>(貧民層の間で)宗教による結束
<8>「共通の信仰・価値観」に支えられた巨大な共同体が存在
<9>共同体の価値観の信憑性の衰え
<10>国を統一する国王の存在
<11>(近代)帰属する人々が主体となることの要求
<12>(現代)

この現代の箇所に、何をいれますか?
こう書き出すと、めちゃくちゃ面白いなって思ったんです。循環してるように見えません、、?オリエント世界とかに対して同じ順序で書き出してみると、どうなるのでしょうか。。気になる。
この循環に則ると、「宗教による結束」が来そうですが、確かに、民主手主義国家が形成されている今でも、サウジアラビアではイスラーム、タイでは仏教、インドではヒンドゥー、宗教によって人々はなお結ばれている。国家単位でなくても、例えばアメリカでは州によって宗派の強い結束が見られる。特にアメリカでは、大統領がキリスト教の精神に則っといて政治することもまだある。でも、違う国もある。例えば日本では、宗教による結束が全然見られない。なんなら、政教分離一本で、宗教を嫌っているまである。それじゃあ、日本の人々は、どのようにして共同体意識を保っているのか?それとも、もはや日本では共同体意識(≒ナショナリズム)が崩れ始めているのか。「孤独」が蔓延していると言われている日本、もしやこの現状は「個人主義が強い」と言い換えられるのではないか?ヘレニズム時代そっくりではないか?それならば、もしこの循環が本当に正当ならば、次は、新たに、考えも見なかった新しい国家の形が生まれるのではないか?そんなことを考えました。

世界史っていうのは「現代を理解するためにある」教科である。だからこそ世界史の教科書は頻繁に新訂されるし「」。
そして通史を2周した結果のこの思考を経て気づいたんです。だからだ!だから、東大世界史は50%近くが中世ヨーロッパから出題されるんだ。だってこんなにも現代に直結する、しかも現代の日本の今後について特に考えさせられる歴史分野、他にないもん。東大は多分、それをわかって出題しているのではないか。今回は国家の話が主体だったが、宗教の面も深掘りできるし、、。そう考えて、あーやっぱ東大入りたいなと思うひとみでした。

次のクエスチョン:それじゃあ、なんで東大世界史は中国史に重きをおかないのか。
こんな思考を張り巡らす余裕は本来なら今の私にないはずなのでまた次の機会に考えよう。

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