脳内思考の言語化試行#1 【『重要性』の話】


友達が「なんで日露戦争が起きたの?」と聞いてきたから授業通りの模範回答を答えたら「いやでもそんなうまくいくわけないじゃん」って言われた。「まぁもちろんいろんなゴタゴタがあっただろうけど、私たちが勉強しやすいように短縮してるんじゃん」と言ったら、「なんかそれが嫌だ。事実は『要因が多すぎてわかりません』なのに無理やりこじつけてるの、嫌」って言ってた。
その日は「歴史覚えるのガチむずくなるやん😂」っていう笑い話で終わったけど、次の日偶然にも、先生の方から「歴史における『重要性』」の話があった。歴史的事象の要因であると学んでいるものは絶対的ではないということ、1つの予想でしかないこと。そして歴史家という人たちは1つの歴史的事象を様々な視点から分析し、それぞれの視点におけるバイアスを理解しながら、その歴史的事象における「重要性」をピックアップする仕事だということ。

私は今「明治時代から現代に至るまでの『児童虐待』の質の変化を分析する」という内容の研究を行っている。軽い気持ちで、研究計画書を出す時に目的を書かないといけないから、忘れないように研究目的を言語化して明確にしてみようと思って書き出してみたところ、「分析することで「親」が児童虐待を行ってしまう要因としての「時代変化」の重要性を判断するため」という結論に至った。びっくりした。自分の経験・知識上、子どもに暴力を振るってしまう親の多くは「自分がそう育てられ、他にどうやって育てればいいかわからない」という理由が含まれていると思ってた。しかし、それはあくまで自分の限られた経験であるから、それを論理的に立証してみたいと考えた結果、この研究を始めた。
「自分の経験を基盤とした知識がどれほど正しいのか証明したい」ということは言い換えると「自分の経験『重要性』を確かめたい」となる、ということに私は自分でハッとしていたのだ。

そして数時間そのまま「重要性」に囚われ、「『重要性』の重要性」について考え続けたわけなのだが。学校で行っている勉強は、よく考えてみると、「既に決まっている重要性を学び、それを見つけ出す及び駆使する力を身につける」ことであり、学力試験の問題は「重要性をアウトプットする(使う)問題」か「重要性を見つける問題」の2種類に分類できる気がする。

 歴史はわかりやすく、例えば「日清戦争が起きた要因を2つ述べよ」という問題は「日清戦争の要因の中で重要性が高いものを2つ述べよ」ということだし、人物名や出来事名を答える穴埋め問題であったとしても、それらは重要性が高いと判断された人物・出来事を問題に出しているだけである。つまり歴史は、他の人が重要性が高いと判断した内容を覚え、アウトプットする教科であるのだ。
 国語も、例えば「傍線部Aとあるが、なぜ主人公はそう思ったのか」という問題であれば、それは「文章から傍線部Aの要因として重要性が高いと考えられるものを見つける」作業をするべきだし、「傍線部Bとはどういうことか説明せよ」という問題は、「傍線部Bの中で重要性が高いものを見つけ出し、それを文章中の言葉を使って言い換えよ」と言っている。そして国語の授業では『小難しい語句』や『指示語』が『重要性が高い」のだと学ぶ。
 漢文や古典では、句法や助動詞、敬語が「重要性が高い」であるとあらかじめ教わり、問題を解く時はそれらの既習事項を使用するだけであり、思考の余地が少ない。歴史は異なる歴史的重要性の高い事象を暗記しないといけないのに対し、漢文や古典は少量の重要性を持つ要素を学ぶだけで広範囲の問題に取り組めるからこそ、漢文や古典はコスパが良いと言われるのだろう。
 それでは数学を考えてみよう。私が思うには、数学は重要性を判断する力を身につけるのに最適な教科であり、言い換えると、重要性を判断する力を高めないと点数が上がらない難しい教科だ。数学において簡単と言われる問題は、「重要性を抽出するプロセス」が省かれる問題であると思う。これは例えば、三角関数や対数式など、特殊な文字を使っていたりする問題が分かり易いだろう。これらは、習った公式や解法を使用するだけで解ける。
少し難しい問題では、「重要性を抽出するプロセス」を踏む必要がある。例えば、「円に内接している四角形ABCDがあり、AB=4, BC=5, CD=7, DA=10 の時二つの対角線の長さを求めよ」という問題では、「円に内接している」という重要性に着目することがまずポイントとなり、それから「円に内接している四角形の対角の和は180°」「cos(180°-A)=-cosA」という重要性を使用することでやっと問題が解ける。
しかしこれが難しくなると、重要性が問題に深く埋もれ、「重要性を抽出するプロセス」に時間をかけなければならず、その上に「重要性を使用するプロセス」においても、公式や解法を取捨選択する、という試行錯誤を繰り返す必要がある。このように数学において厄介なのが、「重要性を抽出する」「使用する重要性を取捨選択する」という2段階の思考が必要だということだ。数学が難しいと言われる理由がここにあるのではないかと思った。

ここでは、勉強における重要性、つまり他の人が重要性が高いと定めた要素の使い方について書いたが、大人になったらきっと、「自分で重要性を定める」という真新しい課題に直面するのだろうな。
そう考えると、高校生でありながら研究ができること、自分で物事の重要性を定めるプロセスを踏める機会があるは、場違いでありつつ、とってもいい経験だなって改めて思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?