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水戸の"失われた町名"を探せ‼︎〜『銭谷前』#91

水戸の旧町名標示柱『銭谷前』

旧町名 銭谷前

『銭谷前』水戸の金運パワースポット‼️

寛永のはじめの頃は「銭屋」と書いていたようです。

"銭屋"とは…?
今で言うところの"造幣局"でしょうか⁉︎

この"銭谷の前"では江戸幕府の公鋳銭「寛永通宝」が作られていました。

現在、その跡地には、『銭谷稲生神社』があります。

『銭谷稲生神社』

立ち並ぶ鳥居の朱色が映えるこぢんまりとした神社です。

徳川幕府では、金や銀の貨幣は金座・銀座で作っていましたが、銅銭は幕府の公鋳銭がなく「鐚銭(びたせん)」という私鋳銭が使われていました。
しかし、その銅銭が大量に海外に輸出されたために国内では銅銭が不足して銭相場が上がってしまいました。

この状況に危機感を持った家光は、常陸水戸の富商佐藤新助が江戸幕府と水戸藩に許可をもらって鋳造していた私鋳銭「寛永通宝」を幕府の公鋳銭としたそうです。

その後、「寛永通宝」は、ほかの藩でも鋳造されるようになりましたが、江戸時代を通して流通された、「寛永通宝」が生まれたの"水戸"であり、まさにこの地で鋳造されていました。

この土地が持つ記憶にお金のパワーを感じます‼︎
金運のご利益がありそうです…
いや絶対あります❗️

ぜひ一度訪れてみてください!

【銭谷稲生神社】
祭神:保食命(うけもちのみこと)
場所:茨城県水戸市浜田1-6-33

【旧町名標示柱】
水戸市内では、昭和37年に国によって施行された「住居表示法」によって、江戸時代から続くものを含め164の町名が失われました。しかし、旧町名が忘れ去られてしまうのは惜しいということで白御影石で作った「旧町名標示柱」を設置して、旧町名を半永久的に残すことにしました。この「旧町名標示柱」は、市内に107カ所設置されています。

※番号(#00)は「水戸の城下町MAP幕末版」掲載の旧町名標示柱一覧表の番号

【参考文献】
「今昔 水戸の地名」
  堀口友一 暁印書館
「改訂 水戸の町名 地理と歴史」
  水戸市長 佐川一信 水戸市役所

「旧町名標示柱」の説明は、水戸市ホームページ「水戸の旧町名」を参考にさせていただきました。

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