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胚芽理論(Germ theory)と地形理論(Terrain theory)の融合~疾患と病原体の関係性の弁証法的再構築~

割引あり

6/4、オメガ3に関する講習会を終えてきた。

この本↓が如何に出鱈目極まりない本であるかを解説する回であった。題して「オメガ3神話の真実の真実」である。今月は毎週末(日曜昼)に開催する予定で、今週末に関しては投げ銭必須のインスタライブで開催する予定なので、是非確認して頂けると幸甚です。

反ワクチンの医師であれば絶対的正義などありえない。ジェンナーの時代から常に世の中には反ワクチン運動が繰り返されており、その中には民衆を特定方向に誘導する人間、つまりゲートキーパーが常に潜り込んでいた。この男のせいで「糖のエネルギー代謝が~」と連呼する人が量産されてしまっていて、(ほぼ)毎日やっているインスタライブでも語っているが、明らかにこの男は砂糖業界の回し者である。食材(魚)・食材から抽出した油(フィッシュオイル)・油から抽出した成分(DHA/EPA)を一括りに語り、砂糖の話だけは都合よくチェリーピッキングの繰り返しだ。私は「科学」を語りながらその実,、科学を愚弄しているこの男を絶対に許すつもりはない。特にこの男は、後述するベシャンの話を自説に都合よく悪用しているので、個人的に許容量を超えている。表向きはこうしたゲートキーパー達の批判的検討を続けていこうと思う。

反ワクチンはただでさえ批判に曝されやすい。従ってこうした回し者を自分達自身で自浄する能力を身に付けなければならない。その一環として、庶民が身に着けるべき重要な思考回路、#トゥールミンロジック について最近語った。

幾ら知識を集めようと、ロジックに違反していれば無用の長物だ。そんな話をした。

さて、大半の反ワクチンにこうした自浄能力や検証能力が欠けている一例の話に移る。

この話が何時まで経っても訂正されない。興奮状態の大衆の性質からして、非力な私如き一個人が指摘しても止まらず、恐らく、船瀬氏本人が直接認めでもしない限り、この話が終息することもないのだろう。72年「に」暴露したならこの人物は今何歳だ?まだ生きてるのか?ということになる。だいたい「極秘文書」などという確かめようもない存在を仮定してしまったら何でも強引に主張を通せてしまう。これは科学的議論を放棄した暴力以外の何物でもない。1.可能性に訴える論証(極秘文書は実在するかもしれない、だからワクチンは生物兵器だ)や、17.虚偽資料 に該当する非形式的誤謬だ。

何が言いたいかというと、私はその「極秘文書」とやらを暴露した本人の言葉を直に翻訳したから、真相はここ↓にあるということだ。

「極秘文書」でも何でもない。"Virus associated immunopathology(ウイルス関連の免疫病理)"と題した上下二編の論文を1972年にWHOが発表し、それを(恐らく2000年代後半に)発掘した彼の解釈によりスリーステップ説は生まれた。論文の中身を読んでもただのウイルス総説論文であり、巷の”学者”に読ませてもワクチンの話に繋げられる人物などいやしないだろう。

「極秘文書」という言葉は、彼がシオンの議定書に触れた文脈で「Eyes only document:許可のある者しか読めない(=その人物の目にしか映らない)文書」という軍事用語を使用したこととごちゃまぜになっているか、この話を広めた船瀬氏が(大衆への伝わりやすさを考慮して)意図的に歪曲したかのどちらかだ。

この論文を解説付きで(A3サイズのバカでかい)書籍にして出版している。よかったらリンク貼っといてと言われたのでちゃっかり宣伝しておこう。断っておくが、ただのメル友関係なので金銭的関係は一切ない。

さて、この記事は彼とのやり取りから派生したものだ。

巷の洗脳されきった民衆は医学の「Germ theory」の支配下にある。要するに細菌・ウイルス等の"病原体"により、対応する形で"疾患"が起こされるという理論だ。例えばSARS-CoV2という"ウイルス"がCOVID-19という"疾患"を起こす、"Mycobacterium Tuberculosis(結核菌)"が"結核"を起こすといった具合にである。

(実際は18世紀の生理学者が考案したのに19世紀にパスツールが提唱したことになっている)この理論のせいで、我々は疾患を一対一対応でしか捉えられなくなる。複合要因という発想がここから抜け落ちてしまい、本来疾患とは遺伝と栄養と習慣と他の病原体との関連で、つまり相関関係の蓄積によって捉えるべきところ、一つの病原体のみで疾患との因果を語る呪いにかかっている。

所謂、要素還元主義という奴なのだろうが、19世紀のペッテンコーフェルの言う「X=病原菌、Y=時と所の素因、Z=人の感受性」の内、Z(遺伝、栄養状態)はおろか、Y(気候、風習、時間帯)を追究する人間は、21世紀の御用学者集団には皆無である。ベシャンが「奇怪な運命論的教義だ」と嘆くのも仕方ない。

藥學雜誌,1893,1893(132),p201
現代語訳「大量のコンマバシラス(コレラ菌)を含むコレラ患者の下痢排泄物を5cm3服用したが、コレラに罹患することもなく、また、フォン・ペッテンコーフェルは1892年10月7日にコレラ菌の純粋培養1cm3を飲み込み、同時に(重曹で)胃酸を中和したが、コレラにはならなかった。10月17日に(弟子の)エメリッヒも自体実験をしたが同様であった。以上よりペッテンコーフェルはx=病原体,y=時と所の素因,z=個人の感受性の内、yが最重要だと結論付けた。

だから御用学者連中は「基礎疾患のある人は~」などと申し訳程度に言及しつつも、感染対策の文脈ではその観念が煙のように消失して全体主義を強要することになる。降水量など微塵も触れない。何もかも条件の違う海外の感染者数を安易に引き合いにだして「日本人は~」などと語ることが如何に馬鹿馬鹿しいことか。

本研究では、コロナウイルス(COVID-19)感染者数と主要な気候変数との関係に客観的に着目しました。その結果、気温や降雨によってエアロゾル分子が刺激されやすい暖かい夏の時期に、COVID-19のリスクが約2倍になることが分かりました。現在、インドがCOVID-19の第3、第4のアウトブレイクの新たな震源地として浮上していることを踏まえ、2020年と2021年に気候変数がCOVID-19感染者の拡散に与える影響を詳細に調べるため、4つの主要ホットスポット州(マハラシュトラ州、アンドラプラデシュ州、ケーララ州、タミルナドゥ州)を選定しました。その結果、COVID-19は気温が27℃から32℃の間で最も活発に活動し月平均降水量が250mmから350mmの間で活発に活動することがわかりました。本研究により、気温と降水量はCOVID-19の初期トリガーではないものの、両変数はインドにおけるCOVID-19の拡散に大きな役割を果たすと考えられ、特にインドの夏季モンスーンが強かった2020年と2021年の夏季に、これら4州でCOVID-19の感染が拡大したことがさらに確認されました。

Veeran, Yoganandan, Balasubramaniyan, Monisha, and Kandasamy, Selvaraj.
‘A Study on the Association Between Climate and Corona Virus Outspread in South Indian States’.
1 Jan. 2022 : 43 – 49.

ちなみに「SARS-CoV2がコッホ原則を満たした」とかいうNatureの動物虐待論文には反論した。これはただのⅢ型アレルギー反応である。※結核菌-結核はコッホが証明したとされるが、メチレンブルーと苛性カリのせいじゃないのか?

※そして感染研は嘘吐きだ。

そもそもウイルスは、その性質上コッホ原則は満たせない。ウイルスがやることは代謝のハイジャックであって、宿主に可視的な病的症状を起こすものではない為だ。この性質はSARS-CoV2も同様である

だからウイルスの病原性証明は何度も改定がされてきたのだ。
Fredericks, D. N., & Relman, D. A. (1996). Sequence-based identification of microbial pathogens: A reconsideration of Koch’s postulates. Clinical Microbiology Reviews, 9(1), 18–33. https://doi.org/10.1128/CMR.9.1.18
"微生物の病原性のシーケンスベースによる判定:コッホ原則の再考"

この論文のY内氏の解説が以下の通り
(※私はこの男が日本の闇だと思う。私がTwitter上でY内氏のジェンナー関連の記事に突っ込みを入れた直後に予防衛生協会へのリンクが一時無効になった。まぁこれに関しては偶然だと思っておこう。)

1980年代に遺伝子解析の手法が応用されるようになり、1989年、C型肝炎ウイルスが培養ではなく、遺伝子として発見された。このような遺伝子検出にもとづいて発見・分離されるウイルスの場合には、コッホの原則をあてはめるのが難しい。

21世紀におけるコッホの原則として、フレドリックスとレルマンは,以下のような提案を行った。

1.想定される病原体に特徴的な核酸配列が特定の感染症のほとんどの例に存在しなければならない。その核酸は、病変を欠く臓器には存在せず病気に冒されている臓器または部位に選択的に見いだされなければならない。

2.病気にかかっていない宿主では、病原体に関連する核酸配列はわずかに見つかるか、または皆無でなければならない

3.病気が治れば、病原体に関連する核酸のコピー数は減少するか、検出できなくならなければならない。症状が再発した際には再び検出されなければならない。

4.発病する前に配列が検出されたり、配列のコピー数が症状の重さや病変に相関している場合は、配列と病気の関連には因果関係がある。

5.得られた配列から推測される微生物の性状は、そのグループの病原体で知られている生物学的特徴に適合しなければならない。

6.組織レベルで見いだされた配列は細胞レベルでの配列と相関しなければならない。病変のある組織領域や微生物が見える部位または微生物が存在すると推定される領域において、特異的in situハイブリダイゼーションで配列を見つけなければならない。

7.これらの配列に基づく証拠は再現されなければならない。

これらの条件が満たされれば、ウ  イ  ル  ス  が  分  離  さ   れ  な  く  て  も、遺伝子やゲノムといった指標で病因と結論づけることができる訳である

一般社団法人-予防衛生協会
140.21世紀におけるコッホの原則:ゲノムの時代の病原体特定の条件

要するに病変部位で検出される核酸配列の数で因果関係を推定するのだ。巷の主張に「コロナウイルスは単離・純粋化されていない」というものがあるが、この原則なら「単離」は不要なのだ(この話は後述する)。だからPCRが使われるのだろう。確かにこの原則なら、その判定においてPCRは最適な技術だ。PCR「検査」開発者のドレスデンがこの論文を引用していれば、PCRを起用した"理屈"だけなら理解できる。※PCRに興味がないので調べてない。

とはいえ、この原則もまた無効(或は部分的真実)であることは言うまでもない。ウイルスがそこまで増殖する背景には宿主の免疫抑制がある為だ(※これが1972年WHO備忘録の記述)。おや、そういえば、COVID-19やワクチン後の発熱にア セ ト ア ミ ノ フェ ンが推奨されてなかったか?

Yamaura, K., Ogawa, K., Yonekawa, T., Nakamura, T., Yano, S., & Ueno, K. (2002). Inhibition of the antibody production by acetaminophen independent of liver injury in mice. Biological & pharmaceutical bulletin, 25(2), 201–205. https://doi.org/10.1248/bpb.25.201
"マウスの肝障害とは独立したアセトアミノフェンの抗体産生抑制効果"

マウスを用い、アセトアミノフェン単回投与による肝障害と抗体産生抑制の因果関係を検討した。肝障害および抗体産生は、それぞれ血清トランスアミナーゼ活性および羊赤血球に対する抗体産生細胞数で評価した。アセトアミノフェンの肝障害と抗体産生抑制の関連性を、アセトアミノフェンを単回経口投与した絶食マウスと摂食マウスで明らかにした。絶食マウスでは、アセトアミノフェンの経口投与により重篤な肝障害が生じたが、摂食マウスではそのようなことはなかった。

この条件下で抗体産生を測定したところ、アセトアミノフェンは絶食マウスと同様、摂食マウスでも抗体産生を有意に抑制した

脾臓細胞におけるB220陽性細胞(※マウスのB細胞のマーカー)の出現率は、アセトアミノフェン投与により、絶食マウス、摂食マウスのいずれにおいても有意に低下した。

コンカナバリンAやリポポリサッカライドによるマイトジェン刺激後の脾臓細胞の増殖反応は、アセトアミノフェンにより抑制された。

さらに、脾臓細胞培養液に直接添加したアセトアミノフェンは、羊赤血球に対するin vitroの抗体産生反応も阻害した。

これらのことから、アセトアミノフェンによる抗体産生抑制は、アセトアミノフェン-肝炎の二次反応ではなく、アセトアミノフェンに対する一 次 反 応 で あ る 可 能 性 が示唆された。

図2.アセトアミノフェン経口投与の抗体反応への影響
左:絶食マウスのアセトアミノフェン投与比較
右:摂食マウスのアセトアミノフェン投与比較
アセトアミノフェン投与後翌日に羊赤血球で感作させた。
5体の動物から平均と標準誤差を測定した。それぞれの統制群と有意差が見られた。

端的に、アセトアミノフェンはB細胞に作用して抗体産生を抑制する免疫抑制剤だ。細胞増殖そのものが抑制されていることから、抗原の種類に依らない非特異的な抑制である。一回の投与量も300㎎以上だったなぁそういえば。

Accessdate:2023/6/3

この背景を考えることなく「抗原原罪」などと免疫記憶だけの責任にするのは人間の傲慢としか言いようがない。で?抗体価が下がったらまたブースターさせると薬剤で下げさせておいて?あからさまなマッチポンプである。陰謀論など不要、医学のやることが傍目にもただただ滑稽なだけだ。

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さて、話を冒頭に戻そう。現代はGerm Theoryの支配下にある。「病原体理論/細菌理論」と訳されているが、この"Germ"という単語自体に深い時代背景がある。"Germ"という単語をそもそも誰が使用したのか?これは18世紀のシャルル・ボネに遡る。ボネが"Germ"を使用した文脈的にアリストテレスまで遡れる気がしないでもないが、Germ theoryに繋がる形で概念が固まったのはボネが起因と考えるのが有力である。

Charles Bonnet(1720-1793)
18世紀のジュネーヴの博物学者・哲学者。
博物学の分野では生物の発生についての先駆的な実験、考察を行った
視力障害者に特有な幻視の症状「シャルル・ボネ症候群」の記述でも有名。

ジュネーブのシャルル・ボネは、フランス啓蒙時代の唯物論的哲学の台頭に反対する代表的なスポークスマンであった。

・ジョルジュ・ビュフォン
・ジョン・ターバビル・ニーダム
・ピエール=ルイ・モロー・ド・モーパチュイ
らのAtomic Theory of generation(原子的発生論)に対抗する為
・アルブレヒト・フォン・ハラー
・ラザロ・スパランツァーニ
と共にPreformation(前成論)を支持した。

原子的発生論は、男女の精液に由来する部品の組み合わせによって胚発生を説明しようとした。この過程は、運動の法則と物質の偶発的な性質によってのみ支配されるものであった。

このような唯物論的な考え方とは対照的に、前成論は、胚の形成に至る因果の連鎖を創造主に遡り、その創造主が物質の組織化の主因であり、かつ十分な根拠だと認めたのだ。

しかし、シャルル・ボネの著作を読むと、彼の前成論に対する考え方は、時代とともに著しく変化していることがわかる。

ボネが提唱したのは既成(pre-exisiting)の"Germs"の存在であり、このGermsは神が天地創造の際に生み出したというものだ。

数十年間、彼は、
・emboîtement(接合?)=互いのGermsがカプセル化されている
・dissemination(散布?)=極小で不可視のGermsが遍く拡散されている
どちらの教義を支持するか躊躇していた。

ビュフォンとニーダムが行った自然発生に関する実験は、『ビュフォンの自然誌』(パリ、1749年)の第2巻で報告され、スパランツァーニもこれを繰り返したが、1751年に出版されたジョセフ-アドリアン・ルラージュ・ド・リニャックの『日本人に向けた手紙』でも指摘されているように、散布説を裏付けるかのようだった。さらに、ボネが植物の繁殖と再生の手段としての出芽のメカニズムについて早くから考察していたことも、散布説を支持する根拠となった。

Rieppel, O. (1985).
The dream of Charles Bonnet (1720-1793).
Gesnerus, 42(3–4), 359–367.

つまりGermsとは生命の発生論に由来する。このテーマに関する18世紀当時の論争は、男女の精液(精子と卵子)同士の物質的な化学反応とする「原子的発生論」と、別に創造主の存在を仮定する「前成論」とに大別され、後者の前成論を支持するボネが"Germs"の概念を導入したことに始まる。

引用部分は個体発生の文脈だが、ボネが「天地創造」にまで遡っていることから察するに地球上の全生命の発生にも通じる論争であろう。現代科学は暗黙の了解の内に前者の原子的発生論を是としてしていることが分かる。

◆生命の起源
地球上の生物の起源に関しては、大別して三つの考え方が存在する。

第一は、超自然現象として説明するもので、例えば神の行為を考える説。
第二は、地球上の物質の状態変化の結果と考える説。
第三は、地球外から飛来したと考える説。

一般的には、二番目の化学進化説が支持されている。
さらに化学進化説は、生命は
 タンパク質から始まったとする考えと
 核酸から始まったとする考え
の二つの説に大別される。
後者の説においても核酸とタンパク質が対になって共進化する段階が次に続くとされており、いずれにしてもタンパク質の出現は生命の起源と深い関わりを持っていたと考えられている。

この話が、ベシャンがマイクロザイマスの存在証明によって「生命の起源」に踏み込んだ話に繋がる…というのはここでは詳細を省くが、端的に「シャルル・ボネのいう"神が創造した既成のGerms"という仮定上の生命体の正体が即ちマイクロザイマス(=ソマチッド)だと証明した」というものだ。

その裏付けが、ベシャンの著書「The blood and its third anatomical element(血液とその第三の解剖学的要素)」にある。

The faculty of organizing matter resides, primordially, in pre-existing living oganisms.
物質の組織化能力は、既成生命体に原始的に宿る。

Preliminary

1.Ordinary air, near the earth, contains living microscopical objects called germs, and these germs are essentially microzymas.
地上近傍の空気中には"Germs"と呼ばれる微視的生命体が存在し、これら"Germs"は本質的にマイクロザイマスである。

23.The spontaneous changes of natural animal matters, whether the microzymas have or have not undergone vibrionian evolution, thanks to free access of air, lead always under certain conditions to the complete destruction by oxydation of the product of those changes; that is to say, reduce them to the mineral condition, carbonic acid, water, nitrogen. But the microzymas under whose influence the oxydation is effected are not attacked; in such wise that all which is purely proximate principle in a tissue, in a cellule and in the bacterium, having undergone total destruction, the microzymas remain, and bear estimony to the existence of the vanished organization.
天然の動物質の自発的変化から、マイクロザイマスのビブリオへの進化に依らず、空気との自由な接触により、特定条件下で、その変化の産物の酸化反応で、常に完全な破壊に繋がる。
即ち、炭酸・水・窒素という鉱物の状態にまで還元される。
しかし、その酸化の影響下であってもマイクロザイマスは攻撃を受けない。組織・細胞・バクテリア(を構成する)純粋な化合物が完全に破壊されようと、マイクロザイマスは生き残り、同時にそれは消滅した組織の存在証明となる。

25.That which in the air have been called germs are essentially the microzymas of the entire destruction of a living organism.
空気中のGermsと呼ばれる存在は、本質的に生命体の消滅により生じたマイクロザイマスである。

Chapter8

どこかしら輪廻転生にも通じる見解である。そしてベシャンのこれらの言葉から察するに、ベシャンはボネの「前成論-散布説」に辿り着いたのだろう。

Germsにはこれだけ幅広く壮大な意味が含まれるわけだが、この単語を「人間の病気の原因」などという矮小な文脈でパスツールが採用したのは、ベシャンの「空気中のGermsの存在」の証明論文を意味も理解せず都合よく盗作したからに他ならない。この背景も知らずにパスツールを支持する現代人は、教科書は前成論と原子的発生論が混雑したカオスに成り果てていることにも気付いていないことになる。

さてこのままGermsと言い続けるのも混乱の元なので、仮に「胚芽」と訳しておく。この胚芽の正体がマイクロザイマス(ソマチッド)であり、空気中・動植物の組織、細胞中に遍く散在していると証明し、更にこの胚芽は、自分が所在する培地・環境次第でバクテリアに進化すると証明したのがアントワーヌ・ベシャンだ。確かに病気を語る上で体内環境は鍵となる。

しかし、ベシャンの名を出す代替療法家の多くは、この部分から「バクテリアは病気の結果だから無害」だと都合よく解釈しているのが現状である。それが誤りであるのは、ベシャンの以下の記述を見れば明らかだ。

動物も然り。
接種された生物の増殖ではなく、その存在、および存在を飽和させる液体が周囲の媒体に変化をもたらし、これにより被接種側の生物の内にいた正常なマイクロザイマスが病的に進化し、バクテリア形態の如何が決定されるのである。

病気とは、正常なマイクロザイマスが新たな様式で存在することの結果ではない。また、続く発熱は、この(マイクロザイマスの)新しい機能様式と、異常発酵と分解産物を取り除くための生物の努力の結果であり、病的なマイクロザイマスを生理的状態に戻すことを誘導するものでしかない。
It is the same with animals. It is not the inoculated organisms which multiply, but their presence and the liquid which saturates them causes a change in the surrounding medium which enables the normal microzymas of the organism to evolve in a diseased manner, either reaching or not reaching the state of a bacterium. The disease is not the consequence of the new mode of being of the normal microzymas; the fever which ensues is only the result of this new method of functioning and of the effort of the organism to rid itself of the products of an abnormal fermentation and disassimilation, while inducing a return of the diseased microzymas to the physiological condition.

>病気とは、正常なマイクロザイマスが新たな様式で存在することの結果ではない。

翻訳すると、「マイクロザイマスは、所在する周囲の環境変化によりバクテリアへ進化することになるが、その進化の結果として病気が起こるのではない。」⇒マイクロザイマスがただバクテリアになったから病気になるのではない。故にバクテリアの存在だけで病気になるのではない。

>続く発熱は、この(マイクロザイマスの)新しい機能様式と、異常発酵と解体の産物を取り除くための生物の努力の結果であり、病的なマイクロザイマスを生理的状態に戻すことを誘導するものでしかない。

「発熱とは、バクテリアへ進化したマイクロザイマスが起こす異常発酵と分解産物を取り除こうとする免疫反応であり、バクテリア形態を正常形態であるマイクロザイマスへ戻そうとするものである。」

つまり、バクテリアの存在によって現場で起こっていることは異常発酵現象だと言っており、断じてバクテリアが無害などとは言っていない


以上より、確かにバクテリアに警戒するよりも、そのバクテリアが生まれる原因の方に対処するのが真の"予防"であるのは言うまでもなく、これが病気のTerrain theory(地形理論)だ。※そしてベシャンが"inoculation"に言及している時点で、ベシャンもまた予防接種が危険行為だと警鐘を鳴らしていたことも分かる。何故なら当時、ワクチンの中に梅毒菌が紛れていたことを彼は突き止めていたからだ。

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しかし、ここで終わらないのが私と「彼」である。私と「彼」は、この二つの理論を融合しようとしているわけである。

確かにバクテリアが生まれるのは、一般的には培地組成が原因だ。そしてベシャンも言っている通り、そのバクテリアが起こすのは異常発酵現象で、病気とはその異常発酵を除去する生体の努力である。換言すれば、「バクテリアの異常発酵現象だけなら、それを生体は病気という形で自覚できるわけではない」ことになる。では、まさにその「生体の努力」である免疫反応を抑制したらどうなるか?自覚できない異常発酵現象が進行することになる

そして、もしも、
・周囲の環境変化を起こすことなく
体内のマイクロザイマスだけを病的形態へ変化させる方法があったとしたらどうなるだろうか?

要するに、地域社会に不良が誕生するのは、一般的には治安の悪い町で不良に囲まれて育つことが原因だが、治安の良好な地域で人畜無害な人物をピンポイントで不良に変えたらその地域はどうなるか?だ。

恐らく、このハーモニーを共有できるのは、この地球上で私と「彼」とナイジェリアのAyoade氏だけかもしれないと思っている。

Ayoade S. Elucidation of the postulates of the germ terrain duality theory with a specific reference to semantics and the distinction between diseased and damaged tissue. MOJ Womens Health. 2019;8(2):199. DOI: 10.15406/mojwh.2019.08.00236

胚性・地形二元論の意味論及び病的組織と損傷組織の区別への特別な引用を添えた原則の解明

以下は、本記事の元になった「彼」とのメールのやり取りである。

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