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コロナ脳が綺麗事に塗れた感情論で脅してくるので、感情論でやり返す


 この騒動をキッカケに、人間の本性が明らかになったというものだ
あんな布っ切れ一枚に人間はこうも狂暴になれるのかと驚きを禁じ得ない


未だに続く綺麗事の流行

こういう綺麗事は晒し上げの刑


まず、こっちからしたら、アンタらのいう「重症とは何か」がサッパリわからんのですよ


極端な話、平熱36℃の人間が37℃になったが「重症」とされている可能性は?平時であれば「微熱」で済まされる事態が、PCRだけで全てを判断している現状ならゼロとはいえない



また、「後遺症だけ出る」などという不可解極まりない言葉が飛び交っている

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こんなもの""と""という言葉の定義に立ち返れという話だ



歴史上、飛沫で移る「病」は存在しない

今の騒動は"感染しないこと"にただ躍起になっている

何故、それほど感染を防ごうとしているのか?
前提として

病原体が病を起こすという「考え」があり
感染防止=病の予防

という考えがあるからだ

つまり、

①病原体の体内への侵入の阻止 

②病の予防

この2点が混雑している


達成すべき目的は②のはずだ
①はあくまで手段に過ぎない

では①は手段として妥当なのか?


それは、過去の"伝染病"の歴史マスクの歴史のズレを見れば明らかだ



また、1920年代に猛威を奮ったスペイン風邪、正体はインフルエンザと言われているが、当時実施された米国公衆衛生局の飛沫感染実験の逸話は有名な話だ

1918年のスペイン風邪の伝染性を証明するために米国公衆衛生局で働く医師たちは様々な努力をしましたが、失敗を繰り返しました

1918年 11月、12月と1919年2月、3月に、次の方法でこのインフルエンザを健康なボランティア100人に感染させようとしました。

•入院中のインフルエンザ患者の口、鼻、喉、気管支から出された分泌物をボランティアの鼻、喉、目に注入しました。

•インフルエンザの患者からボランティアに血液を注入しました。

•インフルエンザの患者から粘液物質をろ過し、それをボランティアの皮膚の下に注射しました

•ボランティアに、5分間インフルエンザの患者と握手し、話しかけ顔を近づけるということをしてもらい、その時には、患者にできるだけ激しく息を吐かせました
患者から2インチ離れたボランティアが息を吸っている時に、患者には直接ボランティアの顔に向けて5回、咳をさせました


これらの実験の結果、いずれのボランティアも、いかなる形でも病気になりませんでした
また、健康な馬インフルエンザにかかった馬からの分泌物で感染させる同様の試みをしましたが、同じように大々的な失敗をもたらしました

 これらの実験、および1918年のインフルエンザに関するその他の事実、および一般的なインフルエンザについては、私の「The Invisible Rainbow」の第7章、第8章、第9章で徹底的に議論され、文書化されています



 今回のコロナだけが特別だという反論ができたとしても
 "ウィルス"の分離方法その正体を考えれば別に特別でも何でもない

こんな綺麗ごと一発で黙らせられる




お前らのやってることは小学生レベルのイジメだ


それを前置きした上で、数%にしろ移ると100歩譲って仮定しよう

ただ、いずれにせよ、病を病原体を基準に考える時点で誤りである

本来の目的は何だ?病気を予防することではないのか?
自分たちが人を菌呼ばわりして差別意識を丸出しにしているという自覚はあるか


いい加減この対策が全く以て逆効果でしかないことに気付かないか
神経質に管理している人間ほど"感染"していることに気付かないか



あなた方は1ミリでも患者のことを考えたか?


これだけ言っても重症化が怖いというならば聞こう

では、この騒動が始まった時の一番最初の患者の症状を調べた人がどれだけいる



また、「基礎疾患がある人は重症化を促進する」は、ウィルスのせいではない
明らかにマスクが原因だ



あらゆる点における「基準の不在」がこの騒動の問題


PCRにせよ

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この病気の定義にせよ


死亡者の統計にせよ



この騒動は、全てが曖昧で、何一つとして、揺るがないと言える基準がどこにもない


騒動が始まった、当初の「重症肺炎患者
この人達を本来基準にしなければならないはずだ

この症例を基準に、教訓に、再発防止対策を考えなければならなかった
でなければこの人物が浮かばれない

違うだろうか?

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この患者に何が起こっていたかを考えた人間がどれだけいる?




書きながら熊のアポロの話思い出したわ


喰う為でも毛皮にする為でもなく、誰にも何の感謝もされずに殺された
コイツの魂はじゃあどうやったら救われるんだよ?


残された者が教訓にして生きていくことで
犠牲になった者はその理不尽に意味を見出せるんじゃないのか


人はいつ死ぬんだった

ヒルルク

ではなかったか?



目に見えもしない病原体にばかり執着して

患者の本当の原因を突き止めもせず

我が身可愛さで、救いにもならない虚像に縋る様は

患者と死者への冒涜以外の何物でもない



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