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英国散歩 第23週|英国のパブ文化とカフェ文化【コーヒーハウス編】

はじめに

イギリスといえば紅茶。
というのが一般的なイメージですが、今回はコーヒーが主役です。

紅茶もコーヒーも、前回のビールと比べればその歴史は長くありません。今やイギリスの代名詞である紅茶も、当初は珍しい飲み物として提供されていました。当時イギリスで紅茶が最初に振るまわれていたのが「コーヒーハウス」と呼ばれる場所でした。
つまり、イギリスでは紅茶よりも少し先に「コーヒー」のお店があったのです。当時イギリスにはコーヒーブームが起こり、一気にコーヒーハウスが増加した時期もありました。
しかし、今では、少なくとも日本人にとって、イギリスとコーヒーはあまり紐づきません。現在に至るまでに、イギリスとコーヒーを引き離したものは何だったのか。今は実際どうなのか。

今回はそんなイギリスとコーヒー、コーヒーハウスの歴史についてです。


コーヒーハウスとは

コーヒーを飲む場所といえば今では「カフェ」ですが、17~18世紀のイギリスでは「コーヒーハウス」という場所が人気を博しました。
コーヒーハウスは、後述するように、これまで人々が集う拠点であったパブとは異なり「アルコール抜き」で様々な話題を語り合うことができ、商談の場、政治談義の場として、イギリスの政治経済の発展に寄与したと言われます。

①コーヒーの発見|年代不詳

イギリスで最初に飲まれていたコーヒーは現在のトルココーヒーに近いそうです。(写真はケンブリッジで飲んだトルココーヒー。カップにはコーヒーの粉が沈んでいて上澄みだけ飲みます)

コーヒーの起源はエチオピアと言われます。
一説には、ヤギがある特定の木の実をかじるとやけに跳びはねることに気づいたヤギ飼いの少年が、自分でもかじってみたのが始まりとされます。その少年の名前がカルディ(Kaldi)。日本で有名なあのコーヒーのお店の名前になっていますね。
当時、コーヒーはその覚醒効果から宗教的な信者が夜遅くまで祈りをささげる上で有用だったようです。その後、コーヒーは当時の大国・オスマン帝国でおもてなしの定番品として使用され、ヨーロッパにも伝わります。


②コーヒーハウスの誕生と普及|17世紀後半~

オックスフォードにあるThe Grand Cafe。「イングランド初のコーヒーハウスがあった場所」にあるカフェとされます。少しややこしいですが。

ヨーロッパでは17世紀、イタリア・ヴェネツィアに伝わったのが最初といわれます。イタリアは今ではコーヒー大国ですね。
それにすぐに続いたイギリスでは1650年、大学まち・オックスフォードに最初のコーヒーハウスが誕生します。
諸説あるようですが、オックスフォードのThe Grand Cafeが「1650年創業のカフェがあった場所」を自称しています。ちなみに、そのすぐ向かい側には「ヨーロッパ最古のコーヒーハウス」とされるQueen's Lane Coffee House(1654年創業)があります。 ※ご参考:過去note


ロンドンにも1652年に最初のコーヒーハウスが開業し、その数は瞬く間に増加していきました。ロンドンだけで、約10年後の1663年には82件、1700年までには550を超えるコーヒーハウスがあったとされます
この数は21世紀の研究者によって修正された値のようで、それまでは1700年頃には3000を超えるコーヒーハウスがあったとも考えられていたようです。あまりの人気ぶりにパブからコーヒーハウスに鞍替えする店主も多かったとのこと。
少し前のタピオカミルクティーの流行みたいなイメージでしょうかね。


コーヒーハウスの魅力と役割

当時のコーヒーの味自体はかなりひどいものだったようですが、それが提供されたコーヒーハウスという場にこそ大きな価値がありました。
その頃、イギリスの人々がオープンに語らう場といえば「パブ」。そこではビールを片手にというスタイルでしたが、新奇でエキゾチックな飲み物を提供するコーヒーハウスはアルコール無しで真面目な話ができる場として人気に火が付きました。

話題はビジネスから政治、法律、科学、文学に至るまで多岐にわたり、コーヒーハウスでは初対面の人どうしでも活発におしゃべりや討論をしていました。
お店に入るなり、見ず知らずの人からいきなり「あなたはどんな情報を持っているの?」とか「あなたはこれについてどう考える?」といった質問が飛んできたそうです。プライベートな時間を過ごすことが主眼に置かれた現代のカフェとは大きく異なりますね。
コーヒーハウスには新聞や雑誌などの最新の定期刊行物が置かれ無料で読むことができ、大きな店では独自のニュースレターも発行するなど、最新の情報や新しいアイディアを収集・交換するための場として機能していました。ロンドンのコーヒーハウスは、社会階級によらず1ペニー支払うだけで誰もが入店できたため、ペニー・ユニバーシティ(penny universities)とも呼ばれました。

コーヒーハウスは民主主義の土台、ジャーナリズムの形成の場となったほか、株取引の場になり、保険業(のちの世界最大級の保険会社ロイズバンクLoyd's Bank)や郵便制度を生みだし、詩人や劇作家などの交流の場にもなるなど、イギリスの政治・経済・文化面の発展に大きく寄与しました


③コーヒーハウスの衰退|18世紀後半~

ロンドンで最初のコーヒーハウス(1652年創業)があった場所。現在はパブになっています

そんな魅力を持つコーヒーハウスでしたが、人気は長くは続きませんでした。17世紀後半から18世紀前半にかけてのわずか100年程度でその人気は陰り、コーヒーハウスはパブやその他の業態に変わるなどして件数は減少していきました。

突如大ブームを巻き起こしたコーヒーハウスにはさまざまな「敵」がいたのです。


コーヒーハウスの「敵」

長テーブルを囲って会話や討論がされていたコーヒーハウス。右にお店のスタッフらしき女性はいますが、お客はみんな男性です(画像出所:BBC

1.王

1675年、チャールズ2世の治世時、王政に対する暴動を企てかねないとして、「邪悪で危険な影響」を持つコーヒーハウスの閉鎖を試みます
実際、イギリスのコーヒーハウスと同じ時代、フランスで流行した「カフェ」は市民の政治談議の場となり、後のフランス革命にも影響を与えたといわれます。(ちなみに先日観に行った「レ・ミゼラブル」の劇中でも、若者らがバリケードを使った反対運動を計画していた場所はカフェでした)
なお、チャールズ2世のコーヒーハウス閉鎖命令は、民衆のコーヒー人気があまりに高かったために、その発動の2日前に命令撤回を余儀なくされます。

少なくとも公の形でコーヒーハウスの閉鎖を試みたのはチャールズ2世時代のみのようですが、為政者としては当然常にコーヒーハウスに監視の目は光らせ、何かにつけてその人気を抑え込もうとしていたのではないかと想像します。


2.女性

コーヒーは政治的な脅威であったとともに、英国男性の男性らしさを損なうものとして女性から反発される対象でもありました。
というのもコーヒーハウスは基本的に男性限定。男性の帰りを待つ女性側からは、男性があまりにコーヒーハウスに入り浸っていることに対し、「勤勉で男らしい英国男性が、女々しくおしゃべりをする怠け者になってしまった」として、1674年に「コーヒーに反対する女性の嘆願書Women's Petition against Coffee)」まで出されています。

社会階級を問わず政治・経済・文化的な話ができたのもコーヒーハウスに入れた男性のみであり、世の女性は大きな不満を持っていたようです。


3.紅茶

イギリスでのコーヒーハウス衰退の原因はおそらくこれが大きかったようです。「紅茶の普及」です。
中国発祥のお茶がイギリスに伝わったのは、コーヒーにほんの少しだけ遅れた1650年代。1664年からはあの「(イギリス)東インド会社」がお茶の輸入を開始。紅茶は当初、王や貴族だけが嗜むことができる高価な飲み物でしたが、徐々に輸入量が拡大し、18世紀までには大衆にもその裾野が広がります。
たしかに、異国の地から持ち込まれた”ロイヤルファミリー御用達の飲み物”があるなんて聞いたら、我々一般庶民からしてみれば「一度でいいから飲んでみたい…!」という気にさせられます。

一方のコーヒーについても、19世紀初め、イギリスは他のヨーロッパ諸国と同様、植民地でのコーヒー栽培(プランテーション)の拡大を試みました。しかし、植民地であるインドとセイロンで「コーヒーさび病」が発生し、10年間で両植民地のコーヒーが壊滅状態に。これを機に、イギリスの植民地のコーヒー農園は茶畑に転換されることとなります。

このようにして紅茶の消費・生産の拡大と、コーヒー生産の縮小が同時に進行するかたちで、現在の紅茶の国・イギリスの形成、コーヒーハウスの衰退が進んだのです。


なお、コーヒーハウスが衰退する中、その一部に、専門特化や会員制の導入により、よりクローズドで高級な「紳士クラブ(Gentleman's Club)」に形を変えていくものもありました。
(紳士クラブについてはまた機会があれば整理してみます)



④コーヒー人気の再来|20世紀後半~

イギリスの大手カフェチェーンの一角「カフェネロ」

17,18世紀のイギリスの「コーヒーハウス」は衰退してしまいますが、フランス・イタリアの「カフェ」は拡大を続け、その後20世紀後半にアメリカでの巨大チェーン・スタバの誕生を経て、現在の全世界的なカフェの隆盛につながっています。
紅茶の国・イギリスでも最近はコーヒーブームが到来しており、その店舗数はここ10年でほぼ2倍にまで増加しています(2009年:約1.3万件→2019年:約2.6万件)。なお、日本のカフェ数はここ数年間は毎年減少しています。

イギリスのコーヒーショップ件数の推移(2009年~2019年)。
出所:Statista

ちなみに、イギリスの大手カフェチェーンとしては、コスタコーヒー(Costa Coffee)、カフェネロ(CAFFE NERO)、スターバックス(Starbucks)、プレタマンジェ(Pret a Manger)、グレッグス(Greggs)あたりが有名です。



当然ですが、現在のイギリスのカフェでは、見ず知らずの人にいきなり議論をふっかける人はおらず、17、18世紀に見られたようなコーヒーハウスの面影はありません。
しかし、その100年間でコーヒーハウスに集まってきた多くの人々が語り合い紡いできたものは、現在のイギリスの社会経済システムの中で間違いなく生き続けています。



【コーヒーハウス編】は以上でおわりです。
次回は【ティールーム編】の予定です。



References

・BBC, How coffee forever changed BritainTales from the coffee shop, and How tea conquered Britain
・Histric UK, English Coffeehouses, Penny Universities
The Telegraph, The surprising history of London's fascinating (but forgotten) coffeehouses
・Y-History 教材工房, 世界史の窓, コーヒーハウス
・今林直樹, 2014, 革命はカフェから始まる―フランス革命とカフェ―
・全日本コーヒー協会, コーヒーの基礎知識
・平川知佳, 2010, 階級と余暇の指向性 : 近代のイギリス社会に焦点をあてて

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