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秋茄子考――嫁に食わすな解釈の決着

このエントリは筆者のpixivFANBOXからの転載エントリです。オリジナルは→ https://www.fanbox.cc/@mitimasu/posts/6520001


「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあります。

ところが、このことわざの解釈がブレているのは皆さん、ご存じではないでしょうか。
つまり

  • 秋ナスのように美味しいものは嫁に食わすのはもったいない、という姑《しゅうとめ》または舅《しゅうと》の嫁いびりの意味

  • 秋ナスは体を冷やして体調を崩しやすいので食べさせないほうがよい、という嫁さんを気づかったことわざ

の二つが代表格です。

まったく逆やないかい。
がっぷり四つ互いにゆずらずやないかい。
どないやねん。どうすんねん。やっとられんわ。帰らせてもらいまひょ。

……とまあ、困りはしないけど困った状況です。

答えがないなら、私のオレオレ解釈だって披露していいってことでしょう。
……と思ってこのエッセイを書こうとしたのですが、困ったことに調べたらアッサリと
「これが正解やろ?疑う余地があるか?」
て文献が見つかってしまいました。

そこで、まずはそれを結論として紹介します。
本エントリは、そのあと蛇足をぐだぐだ書いていくというエントリになります。

## これが正解じゃね? 江戸時代の考証: 喜多村節信『瓦礫雜考』

喜多村節信は江戸時代の考証家です。

> 喜多村節信(きたむらときのぶ)とは? 意味や使い方 - コトバンク — https://kotobank.jp/word/%E5%96%9C%E5%A4%9A%E6%9D%91%E7%AF%80%E4%BF%A1-1069553

さっそく見ていきましょう。

喜多村節信『瓦礫雜考』――「酒」

出典はログインなしで読めます。

> 博文館編輯局 編校訂『名家漫筆集』,博文館,1903. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1882660/1/135

要点をまとめると、こうです。

  • むかしは酒のことを「ささ」と言ったよ!

  • 古い和歌に次のようなものがある。 「秋なすび わささのかすに つけませて よめにはくれじ 棚におくとも」 (秋なすびを早酒《わささ》の糟《かす》漬けにして棚に置いた。でも嫁には食わせんもんね)

    • これが「秋茄子は嫁に食わすな」の由来です

  • 「わささのかす」というのは早酒《そうしゅ》の酒糟《さけかす》のこと

喜多村節信は早酒とは何か説明していませんが、これは醸造しただけで火入れをしていない新酒のことです。

> 早酒(ワササ)とは? 意味や使い方 - コトバンク — https://kotobank.jp/word/%E6%97%A9%E9%85%92-665015

この古歌はウェブ検索すると鎌倉時代の私撰和歌集である藤原長清・著『夫木和歌抄』に収録されている歌だとするページが多くありますが、喜多村節信は「夫木」ではないと断言しています。日文研の和歌データベースでもヒットしません。
つまり筆者は出典にたどりついていません。しかしながら少なくとも幕末時には知られていた和歌で、幕末時には出典がわからなくなっていた和歌だということは確実です。
根拠は薄弱ですが、『夫木和歌抄』と同時代、つまり鎌倉時代の古歌だと暫定的に処理して話を進めましょう。

> 夫木和歌抄 - Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E6%9C%A8%E5%92%8C%E6%AD%8C%E6%8A%84

喜多村節信の説が正しいという確証はありませんが、いったん正しいと仮定して話をすすめます。

すなわち嫁に食わせないのは、おそらく旦那であり姑《しゅうとめ》ではありません

主語がはっきりしていませんが、特別に説明してないのですから、姑《しゅうとめ》や舅《しゅうと》だと考える必要はありますまい。
ということは、ご亭主が毎夜の晩酌のツマミにと思って、自分でせこせこ秋ナスの糟《かす》漬けを作ってウッキウキ♪
嫁になんか食わさんもんねーであって、まあしょぼくれ亭主関白の、いじましい光景が目に浮かびます。
お酒も自分で作ったどぶろくかもしれません。

しかしところで、なぜ秋ナス限定なのでしょう? 新ナスじゃダメなのでしょうか?

これは早酒であることがヒントになります。おそらく新米新酒なのでしょう。
古歌が詠まれた鎌倉時代は二毛作が普及した時代でもありました。

     二毛作 - Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%AF%9B%E4%BD%9C

早稲《わせ》であれば8~9月に収穫できたのです。
一方、中世のナスはハウス栽培なんかありませんから、収穫できるのは10月までです。
こうして、早稲《わせ》の早酒《わささ》の酒糟《さけかす》に漬け込むとしたら秋ナスしかありえず新ナスは不可能となります。

というわけで、秋ナスの糟漬けはこの時期にしか味わえない味覚でした。
そりゃご亭主、ウッキウキになって独り占めしたくもなります。
嫁もまあ、
「しょーがねえーなあー ウフフ、あたしゃ酒より栗よ、焼き栗。それにキノコ」
とかだったんじゃないでしょうか。
秋ナス(の糟漬け)を独り占めされても、秋の味覚は他にもいろいろあるのです。

この古歌が語源であるとする喜多村節信の説を疑う余地はあるでしょうか?私はないと思います。

## これにくらべて分が悪い「嫁を気づかって食わせない」説

東洋医学ではナスは体を冷やす食べ物なので、嫁を気づかって食わせないのだという説は調べてみると、どうも分が悪いようです。

「秋茄子は嫁に食わすな」
に類することわざがいくつか存在します。

「秋茄子を嫁に食わせて七里追う」
(秋茄子を嫁に食い逃げされてしまって、悔しくて七里(約30km)追いかけた)
もちろん七里は大げさ表現のジョーク。

食わせて」は使役の「せて」ではなく負け惜しみの「せ」です。古語辞典ひきました。

このことわざでは明確に嫁を気づかっていません。
したがって類似する「秋茄子を嫁に食わすな」が気づかいのことわざだと考えるのは困難です。

「秋サバ」や「秋カマス」なんかも嫁の体に悪いのでしょうか? 魚を食べると体が冷えるのでしょうか? ヨメ、繊細すぎない?

というか、秋ナスは体を冷やすし人間は体を冷やすべきではないという漢方の知識は、そこまで人口に膾炙していたのでしょうか?
江戸のおっかさんたち、夏には行水をしてるのに。

いやいや、これらのことわざの嫁は「ネズミ」の意味である、という説も存在します。
ネズミは雑食性で漬物でも食べちゃいますから、ぜったいありえなくはありません。
が、わざわざことわざで「ネズミに食われないよう気を付けろ!」と警告するのが「秋ナス」「秋サバ」「秋カマス」というのも釈然としません。
もっと他に警告すべきものがあるでしょう? コメとかコメとか、コメとか。

## 結局、「秋ナスは~」は女性をあざ笑う男のホモソーシャルから出たことわざ

結局、「秋ナスは~」は女性をあざ笑う男のホモソーシャルから出たことわざと考えるのが妥当でしょう。

「秋なすび わささのかすに つけませて よめにはくれじ 棚におくとも」
は、嫁をいじめて笑っている和歌ではなく、男のダメなところを自虐している和歌です。

鎌倉時代はそこまで商業が発達していませんから、どぶろくもツマミもせっせと自分で仕込まなきゃいけない。
藤原長清は地方武士であり、貴族ではないのです。
そんななかでも季節の味にこだわったら、秋ナスの糟漬けがコスパ最強だったと。
グルメだったんですね。

そこでいそいそと、まめまめしく自分で漬け込んで漬けあがるのを楽しみに待って棚に置く。
どぶろくと秋茄子の糟漬けは地方で毎日がんばってる自分へのごほうびなのです。
働くオトーサンにはお酒が必要なのです。

ダメー! これボクのー! たとえヨメちゃんでも食べちゃダメー!

という情けな可愛い亭主のほほえましい日常を詠んだ自虐ユーモア和歌なのです。

本気で
「嫁はいじめるべし」
と言ってるわけじゃありません。

なぜならネタで言っているのだから。

ところが、のちの世で、ネタで言ってることを言葉通りに受け取るやつが出てきちゃいました。

そういうものなのです。

いつの時代もいるのです。

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」
「なるほど、そうか!」
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
「さすが たけし!」
「地球が暑くなってどこ悪ィ?暖房いらずでエェじゃないか」
「まったくだ!」
「今年ですか?新しい戦後になるんじゃないですかね?」
「さすがタモさん!」

そんなこんなで。
のちの時代に「秋なすびわささのかすにつけませて よめにはくれじ棚におくとも」を踏まえて
「秋ナスは嫁に食わすな」
と大真面目に言うやつが現れて、それがまたウケちゃったりしたのでしょう。

女性を見下して馬鹿にすることわざというのは、世界各国にあるのです。

> 世界中にある? 女性蔑視のことわざ — https://copipeokiba.com/2021-04-19-%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%EF%BC%9F_%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%94%91%E8%A6%96%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%8F%E3%81%96/

そして、江戸というのは七割が男性で、生涯結婚できない男性も多くいました。
女性への敵意をこじらせやすいホモソーシャルな社会でした。

ところが女性の絶対数が少ないとは、女性に価値があるということです。希少性は正義。
社会的には地位の低い女性も家庭内では発言力を得ました。

んだもんですから江戸においては多くの家庭がカカア天下になりがちでした。
男は女より偉いんじゃーい!と思い込んでる江戸の亭主族は、その一方でヨメの尻にひかれていたのです。
うっぷんをためた亭主たちは
「秋ナスは~」「秋サバは~」「秋カマスは~」
と露骨なヘイトを連発して鬱憤を晴らしたのです。

ことわざとして残っているということは、こんなのでゲラゲラ笑っていた男がたくさんいたという証拠でありましょう。
なっさけねえ。

まあ、パートナーをクサして笑う文化は妻側にもありますけどね。
近年だと「濡れ落ち葉」とか。それほど近年でもないか。

## 責任を姑《しゅうとめ》や舅《しゅうと》になすりつけた卑怯な近現代の家長たち

というわけで、語源としては喜多村節信の挙げた古歌で間違いないでしょう。
疑う理由あります?私はないと思います。
嫁を気づかって食べさせないという真逆の意味ではないのです。

また、この古歌を「この嫁とはネズミの意味」と解釈するのも根拠薄弱なので採用できません。

由来よりも私が問題としたいのは、いつのまにか
「主語が旦那ではなく姑《しゅうとめ》や舅《しゅうと》であると解説されるようになった」
の部分です。

これがいつ起こったかわかりませんが、喜多村節信が幕末の学者ですから明治~昭和にかけての変化かと思います。

ここから推測です。

明治になって女性の地位が向上して、さすがの亭主族も直球のヘイトにバツが悪くなったのではないでしょうか?
それで自分たち亭主族が嫁イビリで笑ってたわけじゃないと偽装し始めたのだと推測します。
「あれは姑《しゅうとめ》の嫁イビリだ」
とゴマカし始めたのだと。

このすりかえをを、いつ、だれが行ったははわかりませんが、まあ卑怯なやり口にはちがいありません。

あるいは維新後の皇国教育を受けた男性が本気で
「日本男児がそんな陰湿なイジメをするわけがない! 嫁に食わせなかったのは姑《しゅうとめ》にちがいない!」
と考えたのかもしれませんし、
「こういう陰湿なイジメを肯定しては日本男児の教育上、よろしくない。姑《しゅうとめ》のイジメだったと説明しよう」ったのかもしれません。

まあ、いずれにせよ明治~昭和のどこかでそのすり替えが定着してしまったのです。

こうなると、わけがわからなくなって「姑《しゅうとめ》イジメ説」に反発する別解釈が生まれるのも無理はありません。

まず姑《しゅうとめ》が嫁をイビるというのがステレオタイプだとしても、なぜ秋ナス限定なのかわからなくなるからです。
もとの古歌では新酒との関係で秋ナス以外ありえなかったとわかりました。
古歌は誰もが知るものではなくなっても、秋茄子の糟漬けが秋の味覚として江戸時代でも生き残っていたのではないでしょうか?
だから
「秋茄子は嫁に食わすな」
と聞けば江戸時代の人々は、秋茄子とは糟漬け、糟漬けならば肴だと連想し、のんべえ亭主の亭主関白きどりというネタことわざだと察することができたと。

ところが主語を姑《しゅうとめ》に変えると、そこがピンときません。

のんべえの姑《しゅうとめ》だって存在したにはちがいありませんが、ことわざとするには一般的な存在ではありません。
のんべえとは毎日お酒を飲む人であり、毎日晩酌が必要な人とは毎日働いてストレスをためている人です。
戦前まではつまり家長であり大黒柱であり亭主です。

主語が姑《しゅうとめ》だと、ネタだということが伝わらなくなります。
一方、ことわざというものはたいていは役に立つことを言っているはずだという思い込みがあります。
そこで
「秋ナスは嫁に食わすな」
は、なにか役に立つ教えにちがいない……と考えたとき、
「江戸時代の嫁のいちばん大事な仕事は子供を産むこと」
であり、
「きっと子作りに関係しているにちがいない。はっ! そういえばナスは漢方で体を冷やすと聞いたことが…… こ、これだァー!」
と発想したんじゃないかと思うのです。

「秋ナスは種が少ないので、子孫繁栄にとって縁起が悪いと避けられた」
だのも、類似の発想でしょう。

しかし考証家である喜多村節信が両論を併記してないところを見ると、「気づかい説」が明治以降の思い付きであることは明白です。

なぜ思い付きだと断じるかというと、「気づかい説」には根拠となる文献が見当たらないからです。

## ちなみにオレオレ説

もう私は喜多村節信の説を全面的に採用したので今さら述べてもなんの意味もありませんが、調べる前に考えていたオレオレ説は、こうです。
「秋の味覚はいろいろあるけれど、老人は歯が悪くて固いものは楽しめない。だから柔らかいナスは姑《しゅうとめ》や舅《しゅうと》に回すのが家長のするべき気配りである」
と。

アイデアとしては「気づかい説」のバリエーションですね。
私も正直、調べてみるまでそんな低レベルなヘイトことわざだとは思っていなかったので。

ちなみに中東の焼きナス料理「ババガヌーシュ」は訳すと「甘やかされ父さん」という意味になるそうです。一説にはある女性が歯のない父親でも食べやすいようにと考案したという説もあるとか。

     > ババガヌーシュ - Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5


まあ、答えが出ないテーマをダラダラ書くつもりだったんですが、調べてみたらアッサリと
「これが答えじゃあかんの? どこにもツッコミの余地がないんやが」
という正解が見つかったという話でした。

結論的には
「世の中には、わからないとしておいたほうがいいこともあるのだ……。キミは知り過ぎてしまったようだね……さようなら……(銃声音。倒れる音)」
てやつかもしれませんが。

おしまい。

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