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夜長考――なぜ「秋の夜長」なのか? 冬の方が夜は長いのに…という疑問から始まる考察

この記事は筆者のfanboxからの転載記事です。 https://mitimasu.fanbox.cc/posts/6872052 
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疑問そのものはありがちなのですが、ちょっと新解釈(珍解釈。妄想とも言う)ができそうなので、既出の説を踏まえつつオレオレ論を展開してみようというやつです。

### 下調べ : ネットで得られた知識

疑問に思うことは大事↓。

  >「秋の夜長」は、なぜ「秋」なんでしょう?冬至が12月だから、冬至が12月だから、「冬」の方が夜が長いと思うのですが。... - Yahoo!知恵袋 — https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14134739104

Yahoo!知恵袋

これに対する回答は"冬より過ごしやすくて昼より夜が長い、夜の有効活用に適した期間だから"というもので、まあ普通そうなるよね……でも釈然としない、というやつです。

こんな記事もあります。

  >なぜ「秋の夜長」なのか|日刊ゲンダイDIGITAL — https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/166718
  "『秋の夜長』は万葉集の頃に定着した言葉です。当時の男女関係は、男性が夜になると女性の家に忍んでいく“通い婚”でした。夏の間は暑いのと夜が短いので、女性のもとに通うのも大変でしたが、夏至が過ぎると夜が長くなり、気候も涼しくなって、男たちが頻繁に訪れるようになる。通う方も通われる方も、夜の長さを身に染みてうれしく思っていたので、この秋の夜長という言葉が定着したのでしょう。ちなみに、冬のことは『日短』と言います。こちらは明かりのあまりなかった時代、仕事のできる日中が短いことで、そう言われるようになったと思います"

日刊ゲンダイDIGITAL

そんなに変なことは言っていませんが、ソースはいろいろと悪名高い唐沢俊一氏w

私は氏のファンでしたから触れたくないなあw

『ようこそ。カラサワ薬局へ』 1990年初版発行

リアタイで買ったくらいにはファンでしたとも。

まあ、このエントリはいちおうまじめなエントリなので、まじめに検討せねばなりますまい。

「夜長」も「日短」も万葉の時代よりずっと古い秦・漢の時代の中国文献に見られる言葉です。

各自で検索してくださいませ。


  漢籍全文資料庫 — https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihpc/hanjiquery?@362^1472177639^90^^^../hanjimg/hanji.htm


中国で生まれた言葉なので、万葉の時代に日本に定着したということは言えるかもしれませんが、通い婚が語源とすることはできません。

ついでに検索しましたが「日永/日長」も発見できます。

「日長影短」という四字熟語も発見でき、夏を意味する表現ではないかと推測します。

「短夜/夜短」はあまりヒットせず、「短夜《たんよ》」はもっとあとの時代の言葉か、日本独自の表現のようです。

しらみつぶしには確認していませんが、いくつか見て回った限りでは修辞として「秋」がセットになっていないものばかりでした。

中世以降の文献も含めると「秋」とセットになってるものも見つかりましたが、定番的な表現ではないようです。

もっとも私は漢文も中国語もからっきしなので、誤認のおそれはおおいにあります。

「日(昼)夜長短」「日(昼)夜短長」などという表現もわりかし見られました。

夏とか冬という一字ですむものを、なんで四字熟語で言い換えるんじゃ……

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こちらのページ↓では由来の説明は一般的なものですが、「秋の夜長」の期間を「秋分から立冬まで」と具体的に定義しておりますので、参考までに。

  >「秋の夜長」の意味と使い方。時期は秋分から立冬まで? | 気になること、知識の泉 — https://afun7.com/archives/17981.html

秋分を過ぎないことには「夜長」とは言えませんし、立冬が過ぎたら「秋の」とは言えませんからね。なっとくなっとく。

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こちらのページ↓には「秋に本が売れないので読書週間キャンペーンを始めたことが、読書の秋につながった」と書いてあります。

  >なぜ「秋の夜長」で「読書の秋」なのか - Study Lounge Eitetsukwai — https://eitetsukwai.com/long-nights-of-autumn/

こうなると、過ごしやすいから説もなんだか怪しくなってきますね。

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以上を踏まえると、

* 古代中国には「夜長」または「日短」という言葉があった
* 古代中国には「日長/日永」という言葉があった
* 古代中国の「夜長」「日短」には必ずしも「秋」や「冬」の修辞がつかない
* 古代中国の「日長/日永」には必ずしも「春」や「夏」の修辞がつかない

ということが、最低限の確実な前提として提示できます。

「秋は過ごしやすいから~」
というのは、論理的な考えではありますが、証拠はありません。

また、古代中国において「秋」「冬」「春」「夏」との修辞がつかないことを踏まえると、「夜長」や「日永」は「秋」や「春」を意味する別の言い方と推測できます。

「土用の丑の日」に、わざわざ「夏の土用の丑の日」と書かないようなもんです。
もはや現代日本において「土用」と言えば夏のことであって、断る必要が無いのです。
wikiって略すな問題。

また話がそれました。

話を戻しましょう。

ようするに「夜長」は紀元前からある言葉だけれども、「秋の夜長」はもっと後世になって生まれた言葉、それも日本で生まれた言い回しと推測されます。

「夜長」「日短」「日永」などの言葉が日本に伝わってのち、日本人はなんらかの理由で「秋の」を付けて、「夜が長い期間のうち、冬ではない方」を明確にせねばならなかったということです。

やや、切実さを感じます。

本当に「すごしやすい季節だから」で済ませていいのでしょうか?

というわけで、ここからオレオレ妄説に入ります。

### 考察1:秋には一年という意味がある

一日千秋という言葉があります。
一日が千年にも思えるほど長く感じられる、という意味です。
つまり古代中国人にとってもっとも重要な季節は秋でした。

収穫の季節であり冬が越せるかどうかが生死に直結する季節ですから、よくわかります。

ちなみに「秋」という漢字は本来は「禾(のぎへん。穀物)+ 虫 + 火」だったそうです。

  >ラジオ第11回「秋という字に火があるのはなぜだろう」 | ゴット先生の京都古代文字案内 — https://510.kyoto.jp/?p=416

平地の多い中原ではトビバッタの虫害が発生すると生死に関わるので、火を焚いて虫を防ぐのが重要だったのでしょう。
バッタに限らず、収穫した穀物を食べるタイプの虫を燻煙で殺すのが欠かせなかったのかもしれません。
ともかく、一年でもっとも重要で、一年を一文字で言い表したいとき選ばれたのは「秋」でした。
種まきの春でもなく、飢えて死にがちな冬でもなく、水害・旱魃の起きやすい夏でもなく、秋だったのです。

なので、「秋(一年)の夜長(秋分~春分)」の言い方が必要になった……と考えることはできるでしょうか?

ハイ、できませんね(あっさり)

夜長と言った時点で春~夏の話ではないことは伝わるわけで、「秋(一年)の」を明確にする必要がないからです。

なので、秋に一年という意味があっても、それは考慮する必要がありません。

### 考察2 : 秋には一年の半分という意味がある


『魏志』の「倭人伝」には、

「この倭っていう国の連中、一年を四つの季節にわけることも知らないで、ただ種まきと稲刈りの二分法で一年を分けてやんのーっ! プークスクス 後進国ゥ~www」

といったことが書かれているそうですが、中国だってうんと古い時期には一年を二分で把握していました。

周の時代の年次報告書は『春秋』と呼ばれていたのです。

春(種まき)と秋(稲刈り)をもって一年を計っていたのは古代中国からの伝統だったのです。

そして、夜長と言えば一年のうち夜が長い方の半分――つまり秋(冬を含む)です。
日永と言えば一年のうち昼が長い方の半分――つまり春(夏を含む)でした。

世の中がゆったりした時代であれば、そんなおおらかな表現でいいのでしょうが、農業が発展してきて一年を24もの節季に分けるようになると、問題が発生しました。

つまり、一年を春秋で二分したとき、秋と言えば立秋から立春までです。

春といえば立春から立秋までです。

ところが「夜長」は秋分から春分までであり、「日永」は春分から秋分までなのです。

(この図は Wikipedia - 秋分 の図を加工して引用しました)

ズレが存在するのです。
「残暑」(立秋から秋分まで)は「秋だけど夜長ではない」のです。
「余寒」(立春から春分まで)は「春だけど日永ではない」のです。

このため、厳密性を重んじる人は
「秋の(うちで)夜長」
という言い方が必要だと考えたのだった…………

この仮説はどうでしょうか?
ひとつの考え方ではありますが、いまいち説得力がないと思います。

というのも「秋のうちで夜長ではない期間」つまり立秋から秋分までは1ヶ月半くらいしかないからです。

この定義だと「秋の夜長」に相当するのは4ヶ月半もあります。
冬至も含まれますので本エントリの表題の疑問(冬の方が夜は長いのに…)に対しては矛盾のない説明ができるようになります。

が、
「この四か月半のためにわざわざ「秋の夜長」という言い方を作らねばならない理由って、ある?」
という素朴な疑問に答えることができません。
私は何も思い付きません。

よって、この考え方も否定することとしましょう。

### 考察3 : 普通に一年を四季で分割して、その上で「秋の夜長」を考える。

しかし、「秋」「春」と「夜長」「日永」にズレがあるという発見まで退けることはありません。

先に挙げたページでは秋の夜長を
「秋分から立冬まで」
としていました。

では一年を四分割したときの秋とはいつからいつまででしょうか?

これはまあ現代だと気象庁だとか定義する人により様々ですが、中世日本人は二十四節季に従って生活しておりましたので、秋とは「立秋から立冬まで」となります。

どうでしょうか?
「秋の夜長」は、きっちり「秋の後半」の意味になるのです。

秋は古代中国人にとって、一年のうちでもっとも重要な季節、収穫の季節でした。
おコメの国・中世ニッポンも収穫が超重要で超忙しいのは同じです。
この時期に頑張って働いたかどうかが、きびしい冬をこせるかどうかの分かれ目でした。

「今日は秋分の日!秋も残り半分!今日からは夜長になるからボヤボヤしてるとあっというまに日が暮れちゃうよ!さあ働いた働いた!」
などと、暦の知識が下々まで普及した江戸時代では農村の人々がそんな風に言い始めたのではないでしょうか。

我々も7/1になるとSNSで「今年も残り半分」などとつぶやきます。
あの意味合いで「悲報:今日から秋の夜長」みたいに言っていたんじゃないかと思うのです。

秋の日はつるべ落としというのは事実で、夏至や冬至前後の三か月にくらべると、秋分・春分前後の三か月は日の出・日の入りの時刻が一日ごとに大きく変化します。

  >「秋の日はつるべ落とし」を徹底検証! - ウェザーニュース — https://weathernews.jp/s/topics/201809/180275/

したがって、日中時間の短い夜長である秋分~春分のうち、
「忙しいのに日没が早い!やべえやべえ!秋の夜長はやべえ!急がないと冬が来ちゃう!」
という切実な意味合いがあったので「秋の夜長」という言い方が生まれて定着した……というのが私の考察の結論でございます。

しかし江戸時代というのは、人々から農業から離れて農業の事をまるで知らない都市生活者が現れだした時代でもあります。

農村から生まれた「秋の夜長」という言い方が都市生活者の文人や儒者によって、
「秋は夜が長いので読書などで有意義に過ごすのによい」
と意味が変えられて使用されて、そちらの解釈の方が定着した……ということは、大いに考えられるでしょう。

現代だって、我々は中二病や草食男子や壁ドンの意味が変わっていくのをこの目で見てきたじゃないですか。

まあ、最初から妄説と申した通り、このエントリの後半はおおむね私の空想ですので、
「そういう考え方もあるかもなあ」
くらいに思っていただければ幸いです。

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