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[研究]江戸時代人は本当に見物で拍手をしなかったのか

いや、してたのかもしんないよ、という話です。

### 観劇では拍手しなかった江戸時代人

通常、江戸時代の人々は歌舞伎などの観劇でも拍手をしていなかったとされます。
ウィキペディアにそう書いてあります。

拍手 - Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%8D%E6%89%8B

"明治以前の日本には大勢の観衆が少数の人に拍手で反応するといった習慣はなく、雅楽、能(猿楽)、狂言、歌舞伎などの観客は拍手しなかった。明治になり西洋人が音楽会や観劇のあと「マナー」として拍手しているのに倣い、拍手の習慣が広まったものと推測される。1906年(明治39年)に発表された夏目漱石の小説『坊っちゃん』には「(坊ちゃんが)教場へ出ると生徒は拍手をもってむかえた」との記述がある。"

検索してヒットするほかのサイトも多くはウィキペディアの孫コピーであって、このことに関する研究とかも簡単には見つかりませんでした。

ウィキペディアが何を根拠にしてるかというと、岡本綺堂の著述であり、つまりサンプルはひとつです。

言葉と身ぶり — https://web.archive.org/web/20090804230102/http://hansichi.hp.infoseek.co.jp/contents/topics.html#hakushu

"満場の観客もみな息を嚥んで舞台を見詰めてゐるらしかつた。俳優の名を呼ぶ声も頻りにきこえた。併し手をたたく者は一人もなかつた。その頃には、劇場で拍手の習慣はなかつたのである。"

ところで、先に出したウィキペディアの拍手の項にはこうあります。

"拍手が成立するためには、2つの条件が必要で、ひとつは手が自由に使えること、もうひとつは、手を叩くという行為に何らかの意味を持たせることが出来ることであり、この条件が揃うことで拍手が成立するという。その意味で霊長類も餌を要求するときなど相手の気を引く目的で手を叩く。"

つまり手を叩くというのは両手が使える霊長類の特徴なのです。
チンパンジーもゴリラも手を叩きます。
たしかに動物番組で見た覚えあります。
両手が使えて、叩く行為に意味を持たせられるときに、霊長類はそれをやるのです。
たとえば強い衝動や感情が沸き上がって、その場で発散させたいというのも
「叩く行為に意味を持たせられる」
に該当するでしょう。

サルでさえそれをやるのに、人間様である江戸時代人がそれをやらない理由があるでしょうか?

しかし、たしかに、調べても調べても芝居の鑑賞で江戸時代人が手を叩いて喜んだという記録は見つかりませんでした。

……が……

### スポーツ観戦では拍手してたかもしれない江戸時代人

相撲の観戦においては、勝負が決まった時に手を叩いて興奮したらしい証拠が見つかりました。
多くはありません。
なので「かもしれない」としておきます。

『神明相撲闘争記 : 今古実録 上』

同じ表現が複数の書籍で見つかります。代表してこれを挙げます。

編輯人不詳『神明相撲闘争記 : 今古実録』上,栄泉社,明18.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/881376/1/6

明治時代に編集された本ですが、今古実録とあるので江戸時代後期の文章を再録した本なのでしょう。



ついこないだまで素人だった雷電が初場所で無類の強さで勝ち進み、ついに東の小結の八角を見事に投げ飛ばした場面です。

「數万《すうまん》の見物一度に(※爾の崩し字)立て手を叩き「投げたりや雷電、勝ちたりや雷電」と誉稱《ほめたたえ》る聲《こえ》~」
とあります。

『音曲集大全』

『音曲集大全』,野村銀次郎,明22.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/855836/1/30

これも明治の本ですが、江戸時代の音曲の歌詞を収録したものでしょう。


数万の観客が一度に立って手を叩いてどよめいたと。
雷電と八角じゃなく猪名川と鐵ヶ嶽になっていますが、表現はかなり似ています。
当時の相撲の描写のテンプレだったのでしょう。

『講談倶楽部』

今村次郎 速記『講談倶楽部』,三輪逸次郎[ほか],明29.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/890034/1/35

三十三間堂の通し矢で有名な和佐範遠を描いた講談で、明29の作品です。
すなわち、拍手という西洋の風習を日本人の一般人も知り始めたころです。
先のウィキペディアによると、

"1906年(明治39年)に発表された夏目漱石の小説『坊っちゃん』には「(坊ちゃんが)教場へ出ると生徒は拍手をもってむかえた」との記述がある。"

ということで、十年後には、すくなくともインテリ学生のあいだでは拍手が行われています。
1896ではどうだったんでしょうね……。

しかし、いずれにせよ、これは明治人が江戸時代を描いた時代劇です。


和佐大八郎(範遠)が見事に的の真ん中を射抜いたので見物人は手を叩き扇をふりまわして、その喧騒はしばらくおさまらなかった、と。

すくなくとも著者は、歌舞伎の観劇では拍手しなかった時代を知っているはずです。
そのうえで、見物人が興奮して手を叩き扇をあげたと演出しているのです。

江戸時代以前の日本に
「大勢の観衆が、見事な行為をした少数の人に賞賛の意味で手を叩く」
という行為がまったく無かったとしたら、こんな描写は出てこないんじゃないかと思います。

まあ、現代だって時代劇が史実を無視するの、めずらしくないんですが。
一世代も過ぎたら過去を知らない調べもしない創作者が出てくるのも、しょうがないことなんですが。

……というわけで、いずれも証拠としてはちょっと弱いです。
証拠の数も多くありません。

が、
「スポーツ観戦においては手を叩く習慣が――西洋の拍手と同一ではないにしろ――あったのかもしれない」
という可能性の指摘くらいには十分な資料でしょう。

スポーツ観戦ならば手を叩いてもヨシ!という下地があった。だからこそ、明治以降に様々な場所で拍手が定着した――という推測が成立します。

### いわゆる手締めというやつも……

いまでも飲み会の最後とかに一本締めとか三本締めとか行います。
これはたいてい、ものごとがうまくいってよかったね、の意味ですが、ときには誰かの出世祝いだとかでも行われます。
歌舞伎関係では襲名祝いとか。

これだって
「少数の人物を大多数が賞賛の目的で手を叩く」
であって、広義の拍手なんですよね。

相撲で手を叩くのが行われていたとして、歌舞伎でなぜそれがされてなかったのか、研究の余地はあると思います。

ともあれ江戸時代以前日本人にも、賞賛で手を叩くという概念は存在していたらしいのでした。


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↑これ読んでから、この文章を書くべきだったかもしらんね。


このエントリは筆者のfanboxからの転載記事です。

https://mitimasu.fanbox.cc/posts/8060787

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