見出し画像

『アイ・アム・サム』心温まる映画。子供も観れる安心な作品だけどホントは大人に観て欲しい映画。

心温まる映画を観ました。オススメ度☆5です。
小学生の子供さんと一緒に観ることができる安心レベルの良作です。が、じっくりと受け止めていろいろと考えたい大人にこそオススメしたいと思っています。


この映画のテーマは「」です。ひたむきな愛、がテーマ。

紹介する前に少し言っておきたいことがあります。この映画の内容に直接関係はないのでメンドクサイ方は読み飛ばしてください。(下記点線内)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が映画をオススメするにあたって、気にしていることがあります。
「オモシロい」(可笑しいではなく惹かれるという意味)と感じさせるポイントです。

「設定」「展開」「テンポ」「音響」「映像」この辺です。
この中のどれかに関心があると、観てみようというきっかけになります。ところが、この中のどれかのポイントが期待に合致しないと、、、、ツマラナイとなるんですね。

なぜ面白かったのか?   なぜ、ツマラナかったのか?
観た後で分析して、、、ということはしませんよね、なんとなく思うだけで。でも、だいたいこの中に理由があると思ってます。オモシロい映画はこの部分が良くできている。
内容以外にも小気味良いテンポとか、美しい映像、臨場感溢れるカメラワークなどで惹きつけられる。或いは音響の使い方がすごく効果的とか、楽曲や歌詞がどこか琴線に触れるとか。オモシロい映画を作る人(俳優や製作チーム)はこの辺のセンスが良いんでしょうね、きっと。

映画の面白さについて「理屈」をこねてみました。
いいんです、ふだん観るときはそんなこと気にしなくて。テンポやカメラなど事前にわかりにくいこともありますが、紹介する私がそこは見た上で自信を持ってオススメするので安心してください。

「理屈抜きで」楽しめる  それが一番です。オススメするのはそういうのです。
逆に「いろいろ考えちゃう」そういう作品も良いですよね。それもオモシロい。


前置きが長くなりました。
実際、映画を選ぶときのポイントの中で、「設定」には注意を向けても、それ以外のところはなかな分かりにくいものです。
必然ともいえますが、選ぶときに注目するのは「設定」に終始することになるんです。

でも、これがちょっと問題含みなんですよね。


映画の「設定」とは何かといえばこんなことです。(「ジャンル」と多分に被るところがあります)
・舞台1(物語はいつのお話なのか)
・舞台2(物語はどこで起きた話なのか)
・題材1(登場する人物が誰でどんな人なのか)
・題材2(登場人物が何をするお話なのか)
・題材3(物語がどんな風にすすんでいくのか)

まあ、よく言う5W1Hってやつですね、こうしてみると。「Why?」については映画の内容そのものであることがあるので外したので4Wですか。それをまとめるといわゆる映画のジャンル分けが出来上がります。

「舞台」がジャンルになる場合もあります。「歴史モノ」とか、「SF」とか、「アドベンチャー」とか、「空想・ファンタジー」とか。
題材1&2はタイトルとなったりテーマとなる場合もあります。
題材3、(どんな風に)というのがジャンルと言えるものもありますね。「(展開が見ものの)サスペンスドラマ」だったり「(人情・感情に訴える)ヒューマンドラマ」だったり「(行動様式に注目する)アクション」だったり。或いは「(おもしろ可笑しい振る舞いの)コメディ」とか。

題材1や題材2が同じであっても、題材3(どんな風に進むのか)が違えば作品のジャンルというかイメージはだいぶ違ってきます。

例えば、題材1「登場人物→スパイ」、題材2「何をする→秘密の作戦」が同じだとしても
題材3(どんな風にすすむのか)の部分が違うと下記のようにイメージも違います。

→すごい物的アクションを伴って進むと「ミッション・インポッシブル」のような映画
→殺陣・人的アクションに注視したら「キングスマン」「ジェイソン・ボーン」
→好都合に色っぽく進むと「007シリーズ」のような映画
→お茶目で可愛く進めば「ゲット・スマート」
→おもしろ可笑しく進めば「ジョニー・イングリッシュ」
→ばかばかしくも色っぽくなったら「オースティン・パワーズ」
→シリアスに進むと「ブリッジ・オブ・スパイ」
→奇想天外な進み方をする「インセプション」
→見目麗しき男女に注目したくなる「スパイ・ゲーム」「Mr.&Mrs.スミス」

こんな風に、ジャンルとしてはぜんぜん別カテゴリに思えたりします。もちろん、見方は一つしかないわけでなく、複合的にさまざまな要素をもつものもあるわけですが。

そして、「テーマ」があるわけです。
「テーマ」は「何(について)が言いたいのか」で、ジャンルや設定とはまた別ですね。

「設定」は観る映画をチョイスするきっかけになります。(オモシロさには上記のその他のポイントの製作側のセンス・技術的な部分が占めるところも多いです、ということ)


言いたいことは次のことです。
映画を観るときに気をつけてほしいこと、、、
「先入観」を持たずに観てほしい。

ただこれ、難しい一面もあるんです。チョイスするために情報を得ようとすると、色々な情報が入り込んできます。ストーリーとかジャンルとか他人の感想とか。当然「設定」情報も入ってきますね。

でも、オススメするオモシロさはそこじゃないんです。それじゃ分からない。

何を、どう言いたいのか。  これなんです。

「何についての話を(テーマ)どんな風に伝えているのか(姿勢)」
これが大事。他はそんなに重要じゃない。というか観る前は不要でしょう。むしろ。

これら情報がジャンルとなっているものもあるので避けて通るわけにもいかないのですが。
恋愛に関するいざこざを笑い飛ばしたい「恋愛コメディ」とか、ある職員の行動を通して社会に問題提起したい「社会派サスペンス」とか。


私が映画を紹介するときには「テーマと姿勢」が最大注目項目となります。


レビューや紹介記事では肝心のそこを紹介してくれているとは限らないです。むしろ余計な情報を多く含みすぎてるな、と思っています。あらすじとかストーリーとか。そんなのは知らなくて良いんです。観てそのときに初めて知って良いんです。

そして、「ジャンル」これがクセモノなんです。
他の人の言葉でカテゴリ分けされることで、先入観を持ってしまう恐れ。本来のテーマを受け止めそこねてしまう恐れがあるのですね。


今回の紹介したい映画にはその恐れが多分にある。

だから、ここまで長ーく理屈を並べてきたんです。

ジャンル分けして無意識に何かのフィルターかけてしまっていないか?
そこに注意してほしいのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
では、ここから今回の映画の紹介です。


お互いを大好きで必要としている二人が引き離されることになってしまったのです。
元の二人の生活を取り戻すための物語。そのひたむきな奮闘ぶりに心洗われる。忘れていた大事ななにかを思い出させてくれる映画です。
目的のため必死にがんばる姿をこの映画は温かく見つめる視点で描きます。ハートウォーム系にありがちな他の映画と同様、ストーリーも展開も特に奇抜なものはありません。ただ、シンプルに登場人物の素直な努力を追う。製作側にはきっと優しい精神が満ち溢れているのだろうなというのが画面を通して伝わってきます。

そしてその温かな姿勢は画面を通してダイレクトにこちらに伝わります。主人公の視線の先、相手の表情のなんと優しいことか。これはひとえに俳優の演技によるものなんですが。

アイアムサム06

みどころですが、この映画のオススメMAXそれは俳優の演技っぷりです。

魅力を余すことなくカメラは伝えます。俳優をアップで映すことが多いのですがその表情のひとつひとつに目を見張り、心奪われます。

一人は、ミシェル・ファイファー。負け知らずのクールな女弁護士、、、という役どころ。ギリシャ彫刻のように美しいが冷たく感情のない女と思われた彼女の顔に浮かぶ憂いとか、悩み。感謝と深い敬愛に満ちた目に見つめられるだけでもう泣けてきます。

アイアムサム07

もう一人、主役のダコタ・ファニング。今作は彼女に託されたといっても過言ではないのですが彼女は見事に役目を果たしたと言えます。この映画の後、その天才ぶりを絶賛する評判が凄かったことが表していますね。聡明で機転が利き、意志の強さもみせる言動。くりくりのつぶらな瞳は時にキキラと輝き、時に慈しみ深さをたたえた愛情深い表情に。ほんとうに彼女に参ってしまいます。天使のような、という例えが陳腐にさえ思える表情豊かな可愛らしさに圧倒されっぱなしです。

アイアムサム04

さらに芸達者はもう一人の主役ショーン・ペン。
難しい役どころと思いますが、さすが。見事としか言いようがないんです。正直で真面目なながら不器用な性格。

アイアムサム02

仕掛けは他にもあるのです。劇中使用される楽曲やセリフにはビートルズがいっぱい。主人公サムが大のビートルズファンで何でもビートルズのエピソードになぞらえて理解する。他の登場人物の名前とかセリフにも曲のタイトルだったり歌詞だったりたくさん出てきます。
ビートルズの楽曲もドラマのやさしい雰囲気に一役買っています。

アイアムサム03


この映画のミソともなっている「設定」についてまだ触れていませんでしたね。

この映画、舞台はアメリカ・サンタモニカ。主人公サム(ショーン・ペン)と二人暮らしの娘のルーシー(ダコタ・ファニング)のお話。サムは知能が6歳程度という知的障害がある。7歳になる娘の成長に伴い知能が追いつかず教育・養育の点で父親として不適任だろう、ということで引き離されることに、、、という物語です。

ここで、長く前置きをした意義を感じてほしいのです。
サムの特徴の一つが知的障害、との情報を得たことで何か先入観が働きませんでしたか?ということです。
「知的障害を持つ身での子育てと社会生活の苦労話の話か。。。。」なら、そう遠くはないですが、場合によっては(他のレビューや解説などを読むと)先入観をもつ人もいるようです。
「かわいそうな話」
「弱者ががんばる姿で涙を誘うお涙頂戴モノか」とか。
「自分に酔いたいポジティブの押し売り、エセ感動モノ」とか。

でも、、、それ、違います。

この映画は確かに感動を誘います。けど、それは押し売りでも偽善でもない。
それはこの映画がしっかりと真正面から純粋な愛を描いているからです。

そのために、丁寧に技術や工夫を凝らしている。俳優の見事な仕事ぶりが反映されているからなのです。
「知的障害」という設定は、商業的な意図であってもいい。多くの人に観てもらうのは映画の大切な使命の一つですから。(因みにサムの度合いの知的障害は全体のおよそ2.2%の存在だそうです)

そこにあるメッセージが大事だと思います。メッセージの伝え方が私は好きだという話なんです。

例えばそれはカメラにも表れていると感じました。
カメラワークは心情を表すこともあるし、誰かの主観を共有したいときにも効果がありますね。
この映画ではサムの目線でカメラワークしているときはちょっと「寄り」気味に思います。何かを見るときはその見つめている部分。何かしている時はその手先の部分とかに寄り気味。対面している人が話しているときはアップ気味に感じます。これは後述するサムの性質にも関連した表現の仕方なんだろうと思いました。

人物像を説明するシーンがいくつもありますが(登場人物の人となりは物語の展開に説得力を持たせる上で重要です)そこにも丁寧な姿勢は発揮されています。

サムの特徴として「知的障害」に触れているものは多いです。
6歳程度の知能という表現がなされています。お金の計算が苦手なことは物語の中でも何度か表現されていますが、「知的障害」がある状態はそれですべてではないのですね。
この人物描写を見ると、他に「自閉症スペクトラム障害」という症状も併せ持っているようです。特徴は「興味が限定的」「行動が反復的」「活動の様式」などとして劇中描写されています。
きちんとモノが並んでいないと気がすまないとか、日常的な習慣を阻害されることに強い不安を感じるとか急激な変更を嫌うとか。または急な音や刺激に対応することが苦手とか、かんしゃくなど感情の不安定性とか。サヴァン症候群的な特定部分に特に秀でた記憶力とか。

そして、これらの性質があるということを長く付き合いのある人は理解しています。ルーシーの時々見せる表情にもきちんとそれが描かれ、演技として表現されているのです。
こういったことをキャラクター設定としてきちんと観客に描いて見せている。性質の一つである「限定的な興味」を表現する目線としてのカメラワーク。見つめるような見方をするサムの表現なんだろうなと感じました。

アイアムサム01

「設定」である「知的障害(者)」を「~だから可哀想」「~なのにがんばってる」という感動の煽りの道具として使っているのではないのです。物語の展開と説得力のため描写している。他の映画で登場人物が野球選手で身長が何cmで趣味が何で、性格が乱暴で、軽率で、、、とかと同じです。丁寧な表現といえます。

これが私が先に言った、「姿勢」なんです。
映画を印象のためだけに都合よく展開させると白けてしまうんですよね。これはアクションであろうがヒーローものであろうが、サスペンスであろうが同じことが言えます。ご都合主義で展開する映画はツマラナイです。

心配したのは先にジャンルとか設定を耳に入れると、「障がい者フィルター」がかかってしまって、反発を覚える人もいるかなということです。

感動を煽られる と。

そうでなく、「愛」というテーマについて、丁寧な姿勢で描かれたとても温かい優しい目線の映画だと言いたかったんですね。


テーマは「愛」ひたむきな愛です。
親子愛と言ってしまうと印象が少し違ってくると感じます。
サムの愛もあればルーシーの愛もある。弁護士リタの愛もある。友人達の友愛もある。

そして、メッセージがあります。
劇中、サムが読み聞かせてあげる本の中に象徴的にこめられています

「Stellaluna(ステラルナ) ともだち、なんだもん!」の中の一文
「僕らはこんなに違うのに、気持ちは同じだね」


そしてサムが大好きな絵本「緑の卵とハム」の一節
「アイ・アム・サム」

登場人物が同じサムという名前だから特に好きだ、というだけのことかもしれません。ですが私には本当にこの一言がすべてだな、と感じられたんですね。

誰がなんと言おうと、なにがどうであろうと、人と違っていようと自分は自分だと思える生き方をしていられるのか、ということ。
「アイ・アム・サム」
この絵本では何度も繰り返しこの言葉が出てくるんです。そしてこの言葉がこの物語のタイトルとなっているのです。
「アイ・アム・サム」

「ともだち、なんだもん!」はルーシーの勉強が進み少し難しい言葉が出てくるようになってきたころ。読み聞かせに苦労をしながら「今度の宿題は難しいね」と言ったサムの様子をみて「この本はツマラナイから「緑の玉子とハム」を読んで」と頼むルーシーの優しさ。それを聞いて純粋に喜ぶサム。
この部分に一番涙腺が緩みました。。。。

アイアムサム05


この映画、いつもと違う順番で紹介を進めてきましたが、ぜひオススメします。
一見の価値あり、の良い映画です。

以前のファミリー向け映画の紹介記事もあります 
→ https://note.com/mitikusa_synapse/n/nfd983d61bcec


 



この記事が参加している募集

NOTE手探りで始めたばかりです。もしサポート頂けるととてもありがたいです。撮影に関する技術、機材、スポット情報と映画レビュー投稿の共有に役立てたいです。