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「東京から島根の高校へ留学→塾なしで東大に推薦合格」 川瀬さんの異色の受験記・前編


みなさん、こんにちは!
現役東大生の川瀬ありさです。 

私はタイトルにある通り、東京から島根県の高校に自分の意志で留学し、そこから東大に推薦合格しました。
 
中学受験で越境入学する人は少なくないと思いますが、私のように高校生で他県に留学するケースはかなり珍しいと思います。
 
そこでこの前編の記事では、私がなぜ東京から島根県の高校に留学したのか、そしてなぜ東大の推薦入試を受けようと思ったのかを中心にしてお話ししたいと思います。
 
後編の記事では、具体的な推薦対策や試験本番での内容をお伝えする予定です。これから受験を迎える人にとって、少しでも参考になる部分があれば幸いです。 

 

①島根の高校に行こうと思ったきっかけ 

私は東京で生まれ育ち、都内の中高一貫校に在学していました。元々は他県に留学するつもりは全くありませんでした。

最初に留学を考えたきっかけは、4年前の新型コロナウイルス蔓延という出来事です。当時私は高校1年生に進級したタイミングで、学校の授業を全てオンラインで受けることになりました。

私は教室で行われる授業の周りの生徒の反応が見えたりする雰囲気が好きだったのですが、オンラインだと淡々と授業内容が進むだけで、自分だけ分からずに取り残されているんじゃないか、と思い悩むこともしばしばありました。つまり、私にはオンライン授業が合っていなかったんです。

そうした経緯で、あまり勉強に身が入らないまま高一の11月、文理選択の時期を迎えてしまいました。

当時はなんとなく文系に行こうと思っていた程度で、その先のビジョンが決まっているわけでもなく、こんな思いで偏差値だけで選んだ大学に行くくらいなら、高校のうちにやりたいことを見つけられるように、自分が経験したことのないことを経験できる環境に行きたいと思ったのです。

そうした環境について調べる中で、国内留学プログラムである「地域みらい留学」を見つけました。「地域みらい留学」とは、自分の興味関心にあった高校を都道府県の枠を超えて見つけ出し、その地域で学校生活やその他の日常生活を過ごす国内進学プログラムのことです。

そのプログラムの対象校の中から課外活動が盛んな学校を探し、そうして見つけたのが島根県にある津和野高校でした。ここで、通っていた学校を自主退学して津和野高校に進学しようと決心しました。

 

・留学を決めたら父からは猛反対に 

留学については誰にも相談せず自分だけで考えていたため、両親に打ち明けた時には本当に驚かれました。

母は「ここで行かせなかったらこの子の人生を壊してしまう」と思ったようで賛成してくれましたが、父は大反対でした。どうしてせっかく頑張って中学受験をして入った学校をやめて田舎の高校に行くのか、理解ができないと言われました。

親の目線で考えたらその考えも無理はないなと今では思いますが、当時の私は「留学させてほしい」という思いが強く、大喧嘩しました。最終的には説得し、留学を許可してもらいました。

友人に留学を打ち明けた時には、「自分の進路をきちんと考えてかっこいい」と言ってくれ、励まされました。また、通っていた学校の先生は「新しい進路だね」と私の選択を肯定的に捉えてくださり、これまた励まされました。

私が通っていたのは私立の学校で、辞めることに対して否定的な態度を示されてもおかしくないと思っていたので、私からすると衝撃的かつありがたいことでした。


②東大を目指したきっかけ

島根県での高校1年生の時に、東大の工学部に推薦で合格した卒業生が津和野町に来ていて、その方と話して初めて東大の推薦制度の存在を知りました。

また、1年生から2年生の間にかけてその方が連れてきてくださった東大生と話す中で、東大生は勉強しかしないという偏見が薄れ、好奇心旺盛で様々なことに興味を持ち、究める人たちだという印象を持ちました。

そこで初めて自分自身もそんな人になりたい、そういった人たちと共に学びたいという思いから、東大に憧れを抱きました。

とはいえ、「留学当初は進学するかさえ決めていなかった自分が、東大を目指すのか…」と、当時は半ば諦めモードでした。高校1〜2年生は部活動や課外活動などの「東京ではできなかったこと」に重点を置いて生活していたので、その間にずっと勉強してきた他の受験生に私が追いついて、勝てるわけがないと思ったのです。

そもそも私は「やりたいこと」を基準に大学を選びたいという思いがあったので、東大にしても他の大学に行ったとしても何をしたいのかというところをもう少し考えようと思い、一度そこで東大について考えない時期がありました。ちなみに当時の全科目総合の偏差値は、高二7月進研記述で72.7、高二2回目全統記述で62.0、高二2月進研マークで73.0でした。

少し時が経ち、自身の留学のきっかけを振り返ったり、部活動・課外活動をしたりする中で、自分は教育学に興味があるのだと気づき、教育学部を志望するようになっていました。

教員養成ではなく教育学を専門的に学べる教育学部を調べ、そこでまた東大が有力候補として浮かんできました。私が学びたいことが研究されていた上に、専門的に学びつつも多分野に渡って学びたいという願いと、東大の教育が合致していたのです。

そしてその時に東大の推薦制度の存在を思い出し、前述の先輩やそのご友人、地域で偶然出会った東大の教育学部推薦生とお話する中で、自分の活動や思い・考えは東大推薦に合っているかもしれないと思えるようになったのです。

こうした経緯で、高校3年生の4月頃にやっと東大志望を決めました。当時の全科目総合の偏差値は、高三4月全統マークで59.0、高三6月進研マークで67.9でした。


③高校時代の勉強や受験対策について 


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