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ミスコン女子だってただの棒人間のモブに過ぎない、私の人生という物語に於いては

「彼氏んちの隣の部屋に越してきたのはミスコン美女だったという拷問みたいな体験をしたのちに、人生で初めて他人に不幸を喜ぶという体験をしてしまったけど、人はみんな違ってみんな良いよね、という気づきを得てからは負の感情が浄化されたよ」ということを書きたかったのに記事2つ分にも渡る超大作ができてしまって、我ながら当時の自分の執着心にドン引くのでした(笑)

はぁ、構成とかボリュームはずっと私の課題だ。

皆さんは今までこんなふうに誰かのことをうらやんだり嫉妬してしまったりした経験がありますか?

私はこの一件だけでしたので、より一層自分の中に学びが深く残っています。


ネット上でキラキラ輝いている人を見ていると、知らない間に目の前のスマホ画面が世界の全てに思えてしまって、画面の9割くらいをぎゅうぎゅうに占めて存在するその人が主役に見えてしまう。

と同時に、そこに映っていない自分は主人公の後ろにちぢこまって画面の端にすら映り込むことすらできない、ステージの裏側にいるような脇役か、なんなら裏方なのではなんて錯覚をする。

SNSが自己肯定感や幸福度が下げるっていうのはこういう流れで起こっている気がする。

最近はSNSなどのネット上で顕著に起こるけれど、リアルの世界でも起こりうることだ。

まさにネットでもリアルでもこの錯覚に苦しんでいた当時、自己啓発系か何かの本を読み終わった後の自分の思考回路はこうだった。

自分の人生においては自分が主人公である

それ以外はみんな棒人間とかもはや点で省略された脇役

イメージとしては漫画のある1ページを開いたとして、主人公である自分はそのページの9割を占める大きさででかでかと真ん中に描かれており、脇役は私の100分の1くらいのサイズにしか描かれていない棒人間か点

自分以外=脇役=ミスコンの彼女でさえも例外ではない

まじで?そうなの?!彼女があんなにちっちゃい脇役で私が主役!!??

みたに(20くらい)の脳内

(↑ミスコン最終審査よりも後に自分の中でこの考え方が発明されたことによって大人の階段をひとつ上がることができ、彼女のことを純粋に応援できる自分になれた。)

「自分の人生は自分のもの」系の受け売りはよく耳にするけれど、大人になった今だからこそ言ってることも理解できるし長く生きてきて自分の中にも落とし込めている。

でも当時まだ20歳やそこらの若造だった私にとってそれは初めて気づけた概念で、かつそれまでの自分の苦悩を強く打ち破ってくれるものだったので、まるで生まれ変わったような気持ちになった。

本に書れた誰かの言い回しではなく、自分の中で湧き上がってきた文字たちだからこそ今でも大事にしている気づきだ。




ネット上で華やかな写真や人物を見ているときに陥りやすい感覚がある意味錯覚だとは20代の頃はなかなか気づけなかった。

スマホ画面を見ている間とその後しばらくの時間は、ぺらぺらの奥行きもないスマホ画面がまるで厚みのある世界の全てのように見えてしまう錯覚。

でもその画面は単なる二次元だ。
主役はその人なんかじゃない、主役は自分以外にいないんだって。

このことに気づけたときの世界の見え方の変わりように感動できたのは、それまでの縮こまった時期を乗り越えたご褒美だと思っている。

だから今後も人生で迷路から抜け出せないようなことがあっても、迷った距離の分だけ飛躍して前に進めるんだということを胸に留めておきたい。

ちなみに人は、到底手に届かないものには嫉妬心すら起こさないらしい。

普通に考えて、あんなとんでも美女と自分を比べようとしていた時点で、当時の若気の至りで傲慢だった。

私ってもう少しで彼女に手が届くくらいの存在なんじゃないか、私だって彼女みたいになれるんじゃないか、なんて身の程知らずの勘違いをしてもがいていたと今になって思う。

自分自分に対する理想が馬鹿みたいに高すぎることは良くも捉えられるけれど、悪く捉えれば傲慢とも言える。

ちなみにその後もたまに彼女の投稿を覗いているけれど、以前までのような負の感情は一切なく、好きな芸能人の投稿を見るのと同じ気持ちでただただ素敵だな、憧れだな、と思う。

ここで、自分には全く縁のないものだと思っていた「ファンとアンチは表裏一体」説がもろに自分にも当てはまってものすごく自分が恥ずかしくなるのだった(笑)

どっちにしろ共通して興味・関心がものすごいのだ。



可愛い人や綺麗な人ってたくさんいるけれど、自分の好み!理想!の人ってなかなかいない。大人気のアイドルや俳優だからって自分にとって魅力的とも限らない。

彼女は、当時の私がほしいもの全ての詰め合わせセットをそのまま持っているような人物だった。

・外見丸ごと(目鼻立ちはっきりしていて細くてセンスのあるおしゃれさん)(私は全部逆)

・雰囲気丸ごと(明るくて社交的で愛嬌もあって嫌味の全くない爽やかさ)(私は全部逆)

・海外生活経験があって英語がペラペラなこと(私はTOEICとか地道に勉強してるだけで決しペラペラではない)

・私がもともと志望していた学部に入っていたこと(私は学力不足で夢に終わった)

・私と同じ趣味をやっていてそれで輝いていたこと(私も頑張ってたけどひとりきりでやってて別に輝いていない)

・吃るほど当時の彼に絶賛されていたこと(私は丸太)

多分まだあるけどこのように彼女はまさに私の好み=理想であり、そしてそれが外見だけじゃなかったってのが私の中にでかでかと執着を爆誕させたんだなという結論にも至った。

まぁ自分は到底はなれないタイプの人間になりたいなんて思ってたからほんと若かったなぁなんて。

↓タイトルからして一体何がどうなって繋がるねんって感じだけれど、この記事にあるように、私は本当に大事なものにしか影響を受けたくないし受けないようにしているから、つまり影響を受けてしまってるものって自分にとって重要な何からしい。

彼女は自分の理想像すぎて、当時の自分にとっては重要というか大事(おおごと)だったんだなぁ。

最後に言いたいこと。

男子校出身理系男子って女心分からないよね!!!(笑)

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