【後編】人生で一度だけ、他人の不幸を喜んでしまった話
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怠惰な普通の大学生
別に四六時中、彼女に嫉妬心を抱いて自己嫌悪に苛まれていたわけではなく、私は私で自分の生活を普通に楽しんでいた。
でも、彼女が何かを投稿するるたびに血眼になったし、大学で見かけるたびに気づかれないようにその美貌などなどを私の目は記憶した。
興味ないフリして興味津々なのっていちばんダサい。
そのときの自分のテンションと言えば高くもなく、低くもなく、無みたいなものだった。
嬉しいわけでもないし悲しいわけでもないし、虚しさでもなく、自分がああなりたかった気持ちと、どうやってもああはなれない気持ちとを繰り返し噛み締めることで何にもしないでいるだけの時間をただただ消費しているのがひたすら楽だった、無意識下で怠けていただけなのだと思う。
彼女は私のことなんて知らないし、友達でもなんでもないし、話したことがあるわけでもないのに、一方的に彼女についての情報を取り揃えてゆく自分に嫌気がさしていた。
とことん自分が一番なりたくないやつ。
指を咥えて見てるだけ。
でもそれがやめられなかったのは、結局はそれが一番楽だからだ。
自分を磨こうと勉強したり運動したり人と会ったりするのに重い腰を上げるよりも遥かに。
手の届かない美女ではなく、手の届く丸太のままでいるの方が楽だったのだ。
本当はただただ彼女を称賛したい気持ちだったのだと思う。
でも、自分は彼女にはなれないと分かっていたからこそ、悪あがきで時間潰しをしていたのかもしれない。
どうにかすれば私だってなんて思い込むことを自分でも気づかない意識の下では楽しんですらいたのかも知れない。
表裏一体
私が嫉妬心を燃やすことに時間を溶かしている間にもやはり彼女の人生は彼女自身の努力により上昇し続けていた。
ある日の彼女のSNS投稿で、とあるミスコンテストに挑戦するという内容を見てから私の眼球はより多く速く血走るようになった。
出場者はミスコンテストが用意した様々なジャンルのプログラムをいくつもこなしていったらしい。
数ヶ月が経ち、彼女は地方予選を見事通過した。
きっと誰もがそれを予想していたし、私も当然だと思っていた。
だって、どう見たって他のどの出場者よりも彼女は際立って美しくて力強い。それはもう嫌になるほど。
ともなると、彼女のSNSにあがる写真はそれまでのような単なる日常の自撮りや友達が撮影した集まりの写真などではなく、プロにより施されたヘアメイク、何十万円もしそうなドレスを身に纏い、ステージ上でカメラマンによって撮影された完璧な姿になっていった。
彼女が綴る言葉も洗練され、より磨きがかかっていった。
嫌になるほど彼女は丸ごと美しくなっていった。
普通の大学生としてその他大勢とともに、その他大勢と同じ場所で、その他大勢と同じ生活をしている彼女には違和感を感じていた。
むしろ大きなステージの上で煌びやかに照らされている彼女を見て、彼女はやっと本来の彼女の姿になった、いるべき場所に立つことになったんだなとすら感じていた。
この頃も変わらず私が抱いていた感情は「負」寄りの「無」だったけれど、その「負」寄りのエネルギーはそれまでより大きくなっていたと思う。
認めざるを得ない美しさが外見だけではないということ。
その事実が私の独りよがりな自意識に刺さり、せめてもの抵抗として私はこう思うようになっていった。
彼女に挫折を味わってほしい。
自分でも勝てない世界があるんだと、大きな世界で身の程を思い知らされるような思いをしてほしい。
同時にこの頃、彼女への純粋な憧れの気持ちと疎ましい気持ちは表裏一体であることに気づき始めていた。
彼女の願いと私の望み
卒業論文やら就職活動やらで私は自分の中の負の感情もいつの間にか薄れ、消えつつあった。ちなみに彼氏とも遠距離になってお別れもした。
ふと久しぶりに見た彼女のSNS投稿でミスコンテストの最終審査の情報を知った。全国大会の最終審査はライブストリーミング方式らしい。
胸が躍る気持ちになった。
なに、なんなのこのよくわからない気持ちは。
なぜ真顔でものすごく高揚してるんだ。
都道府県で1名ずつが代表で選ばれ、その候補者たちの中から1名だけがその年のミスコンテストのグランプリに選ばれる。もちろん粒揃いの候補者たち。
どの段階にいようと変わらず彼女が誰よりも輝いていて、ミスコンテストのコンセプトにもしっかり沿う、グランプリになるべき人だと強く思うと同時に、その熱量と同じくらいにグランプリに選出されないことを望んでいた。
ついに最終審査の日がやってきた。
まず数人ずつのアピールタイムが終わると、その中から1名ずつが選ばれ、勝ち上がった人同士でまた上位が選ばれるトーナメントの予選のような形式だった。
彼女はいつものように堂々たるパフォーマンスをした。
が、
選ばれたのは彼女ではなかった。
彼女はついに選ばれなかったのだ。
通勤途中のバスに揺られながら、私はと言うと片手に持ったスマホの前で、「っしゃ!」と小さくつぶやいていた。心の中では拳を握っていた。
そんな自分にちょっと引いた。
明からさまに人の不運を喜ぶことが自分にもあるなんて。
自分の中の執着を改めて見た。
落選後の彼女のSNS投稿も追いかけていた。
やったぁと思ったことは確かに覚えている、でもどう思ったかは細かくは覚えてない。しめしめとでも思っていたかもしれない。
画面の中の彼女は相変わらず嫌になるほど美しかった。
彼女がグランプリになれなくて悔しい思いをしても、彼女の美しさや強さが誰かより下になることなんてなかったことを覚えている。
彼女の願いが叶わなかったからと言って、私の血眼は血眼のままだった。
私はまだ気が済んでいないのか?
それとも、私は単に彼女の不運を望んでいたわけではなかったのか?
浄化
最終審査の日から数日過ぎ、わりとすぐに彼女への熱量溢れるよくわからない気持ちも徐々に消え去っていた。
彼女のことを思い出すことも少なくなり私はまた自分の生活を送っていた。
数年後、なんとまた別のミスコンテストに挑戦している最中の彼女を知った。
そのとき、本心から「頑張って!」と応援している私がいた。
心の中ではあのときとは違う種類の拳を握っていた。
どうやらその時には私の中で負の感情は一切なくなっていたみたいだ。
はじめから今まで一貫して私の中にあったこと。
彼女は強くて美しい。
輝いている女の子が世にたくさんいるなかで、彼女はどこを取ってもまさに私の理想だった。
彼女が持っているものを自分がひとつも持っていないからといって、彼女へのそのやりきれなさみたいなものを抱くなんてどうかしていた。
彼女への憧れや尊敬の気持ちが、彼女への嫉妬心や疎ましさという形でしか現れなかったのだ。
自分と向き合うのには勇気がいる。
私は視線を彼女に向けることで自分と向き合うことから逃げていた。
自分は自分、他人は他人。みんな違ってみんな良い。ができなかった当時の若かった私はずっと自分から目を逸らし続けてきたけれど、やっと自分と彼女を切り離してひとつ、ひとつ、として見ることができた。
純粋に彼女をただただ素敵だと今は思える、彼女に彼女だけの良さがあるのと同じように、自分には自分だけのの良さがあるのだ。
自分の心が浄化された感覚があったのと同時に、嫉妬している間の心の中は、地獄そのものだと思い知った。
↓考察編もあります!
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