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イメージできることは必ず叶う(受験編)Part3

こんにちは、ミサンガムーンです。こちらの記事は前回投稿記事の続きになりますので、まだ読んでいない方はこちらから宜しくお願い致します。

さて、付け焼き刃と言えばそうとしかいいようのない7日間の詰め込み勉強をした私はいよいよ、第一希望校の最後のお守り的に申し込んでいた、自分には到底受かることが難しいと思われる学部の試験に臨みました。

不思議とこの時の自分は、今までとはまた違う感覚を感じていました。

今まで段階的に色々な大学や学部を受験しては合格していく内に、本命の第一希望の学部の日にはすっかり自信をつけて「受からないわけない!」と思い込み、意気揚々とテストに臨んだ結果、思わぬミスをして見事に落ちてしまったわけのですが。

今思うとそこにはやはりどこか、浮かれて試験を舐めているような、驕りのような緩みがあったような気がしています。

それに対して、この第一希望校最後の受験では、何かとても殊勝な態度で望んでいる自分がいました。一度落ちてしまったことで、自分自身への過信や驕り高ぶりは消え、でも希望は捨てずにそこに向かって全力を出し切ろうと最大限の努力をしたことで、これ以上出来ることはない、あとは試験を一生懸命受けるだけだという、すっきりとした落ち着きと覚悟がありました。

まさに、人事を尽くして天命を待つというのはこのことだなと思いました。

試験の出来は可もなく不可もなく、この7日間で学んだことはそれなりに出来て、でもわからない問題もあり、そこは神頼みで鉛筆を転がして回答したりもしました(マークシートだから出来る話ではありますが。記述式の試験だったら私には無理だったでしょう。。)

そして試験が終わった後には、結果は気になるもののある意味では振り切れた気持ちで、日常に戻り、家族や友人と楽しく過ごすことができました。

実は同じような心境になっていたことが過去にも一回。

それは高校受験の時でした。地元の中学に行っていた私は、相変わらずの勉強嫌いと先生達に対する反抗的な態度で、3年間の学校の成績は中の下。ところが、進路を決める時期になって、どうしてもここに行きたい!という私立高校を見つけました。レベルを確認した所、世間的にはそこまで高いレベルではないものの、私にとっては雲の上。

当時は(今もかもしれませんが)、高校受験というのは中学の成績によって学校推薦枠、内申枠などあって、ある程度中学校で真面目に勉強していれば割と希望の高校に行ける保証が得られる仕組みになっていました。が、私の成績は全くもって引っかかりもしないレベルなので、推薦はもちろんのこと内申点も低く、希望の私立高校は一般受験で挑戦するしかありませんでした。

一般受験ということは、当日の試験結果のみで合否が決まってしまうわけですが、当然ながら枠も狭く、また上位校に落ちて滑り止めで受けている頭の良い生徒達も多く受けるので、とても倍率も激しく難しいと言われました。

でも、どうしてもそこに行くことを諦められなかった私は、その学校の一般受験を第一希望とし、これまた受験の半年前から勉強を開始。自分なりに頑張ったものの、その時は願い叶わず、一般受験の結果は不合格でした。

とてもショックで立ち直りに時間がかかりましたが、仕方ないと諦めて母と滑り止めの公立高校の制服を買いに行ったまさにその日。補欠で合格しましたというハガキが第一希望の私立高校からぽそっと届き、棚からぼたもちのような気持ちで、無事に第一希望に入学することが出来ました。

その時と同じような、精一杯やり切った後の結果はもう気にしても仕方ないという心境が、大学受験の最後の試験後にもあったように思います。

そして第一希望最後の学部の合格発表日。

一人で見に行った掲示板に、私の番号がありました。

この時の受験番号は「14050」と今でも覚えています。

後日談として、全くレベルの見合わない上位校を第一希望にしようとした私がみんなに反対される中、一人だけ「絶対に受かる、きっと大丈夫、僕は君を信じるよ」と太鼓判を押して励ましてくれた塾のチューターの先生に、興奮の渦の中でいの一番に合格を伝えた所、「えーっおめでとう!!。。。でも一体どうやって受かったの?」と聞き返されたことは今では笑い話ではありますが。


私の人生で過去を振り返ってみても、これほど嬉しいと純粋に感じたことは、後にも先にもなかったかもしれません。そんなことを言うとまるで、古い古い何十年も昔の武勇伝に酔っているようで恥ずかしくもあるのですが。

大人になってからはやっぱり色々な計算や思惑も働いたり、世渡りが上手くなっていく中で、自分が傷つくことを避けるために、無意識に自分の本当の気持ちやニーズを誤魔化してしまったり、そういうことが多くなってしまったのだと思います。

人間は、辛い感情、ネガティブな感情を避けようとすれば、必ずその反対の幸せな感情、ポジティブな感情も十分に感じられなくなってしまう。

10代の私は、自分の願いや本当の気持ちにもっともっと正直で真っ直ぐで、それゆえに失敗して派手に転んだ時は本当に悲しく辛く、でも願いが叶った時には、100%の手放しで心から喜べたのかなと思います。そんな鮮やかで力強い感情は、何十年経っても、きっと人生の終わりに近づいても、ずっとまるでその日に今もいるかのように、思い出すことができるのだと思います。

この時の経験は、「人が本当に心から純粋に願って努力したことは、どんなに可能性が薄くても叶うことがあるんだ」という、私の信念の原点になってくれています。

日々の生活の中で、嫌なことやうまくいかないことがあるたびに、所詮は人生なんてある程度決まってしまっているんだと失望するたびに、この時のことを思い出せば、

そうだ、なんでも出来るんだった!とまた元気が湧きます。

子供の時、まだ若い時に自分が100%の自分の気持ちに向き合っていたことがあったら、その時のことを是非思い出してみてください。そして大人になっても歳を取っても、何かに対する心からの思いや願いはありのまま純粋に感じたり表現したりしても良いんだと思えたら、今の日々がまた楽しく輝いてくるかもしれません。

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