死ぬ権利

「死ぬ権利」が人間の権利の一つとして加えられた。

元々、生存権という「生きる為の権利」があったのにも関わらず「死ぬ為の権利」がなかったという点から考えれば不思議な事ではないのかもしれない。

この「死ぬ権利」は自由権の内の一つとして考えられており、他人の権利を侵害しない限りは有効なものである。

つまり公共施設での自殺や申請の無い自殺は「死ぬ権利」には含まれない。

この権利を行使する場合は国に対して申請をし、その申請が受理された場合のみ専用の施設での死が認められる。

薬の投与が主な方法であり、ただ初めに自ら薬を服用する事が義務付けられている。イメージは切腹と同じである。初めに自分で腹を切り、死の覚悟を見せた後、介錯に首を切ってもらう。

この「死ぬ権利」によって命を落とした場合、それは自殺としては数えられずに尊厳死として数えられる。

その為この制度の導入後、日本の自殺率は急激に減少したが死亡数だけを見ると増加しているという事は後に大きな社会問題となった。

しかしこの「死ぬ権利」を行使しようとする国民があまりにも多すぎた為、申請が受理されるまでに多くの時間を要し、再び自殺率が増加する事態が発生した。その対策として自殺を違法としたが「死ぬ権利」の存在意義が問われる事となった。

また「死ぬ権利」を執行する人々の精神的ダメージや遺族らの精神的ダメージが深刻な問題となり多くの人々の生活にまでも影響を及ぼす為、これは生存権を侵害しているという結論に至った。結果として「死ぬ権利」は大きな矛盾を背負う事となった。

何かを主張する事で何かを失う。

この世の中はそういう風にできている。

皆の意見が平等に全て通る事は無いのだ。

誰かの幸せは誰かの不幸せ上に成り立っている。

そういう、世の中なんだ。

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