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私のプロティアンの軌跡

ウープロwalkerの皆さま、はじめまして。
プロティアン界隈では、長く居候させて頂いています笠原美鈴と申します。
ウープロでの登場は初めてです。

ご存知の方、はじめましての方
プロティアンなエネルギーを持つ方とは、お会いしたことがなくても不思議と共鳴共振してしまいます。
ウープロwalkerの執筆機会をいただきましたことを光栄に思います。

私をSNSでご存知の方は、私を”スポーツの人”と認識されている方が多い気がします。このNoteも「スポーツと社会を繋ぐNote」と題して綴っています。(でも、まだ2本しかない💦)

でも、ファーストキャリアは、栄養士・管理栄養士という国家資格で医療福祉の世界で健康支援者として仕事をしていました。ここに多くいらっしゃるキャリアコンサルタントも、社会的健康を支援するという意味で健康支援職のお仲間だと私は考えています。栄養士である私たちもまた食という切口から、クライアントである個人や集団の生き方、キャリアを支えているという自負があり、キャリアコンサルタントの皆さんといつも勝手に親和性を感じています。

今回は、自己紹介も含めて、私のプロティアンキャリアの軌跡について書いてみたいと思います。

私とは何者か…

仕事や社会生活の場で、自己紹介する時に「キャリアコンサルタントの〇〇です」「管理栄養士の〇〇です」「〇〇社の〇〇です」資格や社名をラベルに使う機会が多くあります。私はこれを社会的ラベルと呼んでいます。専業主婦になって、社会に帰属しない期間があった時、社名はおろか、持っている資格さえも自分の肩書に使うのに躊躇いを感じたことを覚えています。「だって、今、その資格で仕事をしていないんだもん。」と。

私が何者であるかを説明する時に、所有する資格や学歴、所属先の名前が強く影響していたことに気が付きます。でも、それぞれの社会的ラベルに実存的な価値はなく、生活する社会の中で自分がどんな社会的役割を担うのかを定義することが必要と感じています。それは、キャリア資本として蓄積されたコアコンピタンスから、常に外界の環境に応じて変幻自在に自己開発をしてできる新しいものまで様々です。

現在の私

現在の私は2021年に自分の会社を創業し、経営を行う経営者という立場です。同時に総務省の地域おこし協力隊という制度を活用して、元々、夫が単身赴任をしていた地方(佐賀県)に東京から移住し、委託契約型の個人事業主として地方創生事業の活動も行っています。起業家と個人事業主のパラレルキャリアを歩んでいます。

海外生活で気づいた自分自身を定義する行為

経営者という社会的役割を意識し始めたのは、実は20代の頃でした。都内で開催されていた女性起業塾に通ったり、国際女性ビジネス会議に参加したり、女性起業家からの刺激に心地よさを感じていた私がいました。その頃から、私の中にはアントレプレナーシップの自覚があったことを覚えています。
30代は、ライフイベントで住む場所も自分の中にあったキャリア観も大きく変わる経験をしました。配偶者の海外駐在で香港・シンガポールという同じアジアの先進都市での生活は、自分と日本という存在を客体化して考えざるを得ない体験でした。0歳児の子どもと共に海外生活が始まり、駐在妻と専業主婦という社会的ラベルを着た自分に気づいた時、むしろ明確に「私とは何者であるか」を自分で定義していく必要性を感じました。異国の社会環境においても、私は母であり、日本人であることは変わらず、むしろそれらは強化されました。逆に日本の国家資格を持っていても異国の社会制度で市場価値はなく、私はこの環境で何ができるのか、この社会において私は何者であることが私にとって心地よいのか、これまでのアイデンティティを大きく揺さぶられたことは言うまでもありません。
「ありのままの自分を大切に」と言われますが、その「ありのまま」は所属する社会空間が変わると大きく揺るがされる・・・ということにも気づいたのです。つまり主体的、能動的に自分自身を定義する行為が必要であることを深く感じた経験でした。それがプロティアンキャリアであったことを、田中研之輔氏の記事を読んで後から理解しました。

プロティアンを知った私

帰国した時、私の専門領域であるスポーツの中でアスリートのキャリアを支援する産学官連携事業のプロマネの仕事にご縁を頂きました。プロティアンを知っていた私は、タナケン先生に何とかしてこのプロジェクトに関わってほしいと思っていたところ、親しい友人から「私の先輩にキャリアの専門家がいる」と紹介されたのがタナケン先生でした。なんというセレンディピティ。迷いなくラブコール。その後の展開はご想像の通り。

プロティアンという言葉を知った時、自分のこれまでのキャリア形成のプロセスに腹落ちし、自己肯定感が強まったことを覚えています。過去のNoteにも書きましたが、私の職業の原体験は、地方医療の現場にあります。栄養士・管理栄養士という国家資格で日本の社会システムの中で職務を担っていました。私の初めての上司となった管理栄養士が、入社早々に言いました。「栄養士“も”できる人間になれ。」と。この言葉は、その後の私のキャリアに大きく影響しています。その後、いくつか所属が変わりましたが、私の中には一貫したアイデンティティがあり、所属する場所、役割に応じて、使うスキルや言語が増えていきました。むしろ、そのアダプタビリティの中に、社会的ラベルがあって役割定義は自分で決めるという感覚です。


自分を再定義

今、私は産学官連携コーディネーターというラベルを使い、経営者として経済活動を通じた社会への貢献を目指しています。日本社会の近代化は、男女の役割や組織、コミュニティの役割を分離することにより効率性を担保してきましたが、これからの時代はそれらが融合する時と考えます。言語、商慣習が異なる組織、社会が交流する中で生まれる新しいコミュニケーションの形と新たなる価値。私はその組織間、個人間を翻訳者として繋ぎ、人間社会の進化に貢献することを自らの役割として定義しています。
 
経営者としてはまだ赤ん坊ですが、赤ちゃんのように保護者がいるわけではありません。不安やプレッシャーで押し潰されそうになったり、選択に迷ったり、悩んだり。それでも常に自分の役割を定義して、業を起こすためにトレーニングとチャレンジが続き、プロティアンは深まります。

経営者として、まだ多くのことを言語化するまでには至りません。ただ、経営者の先輩方から学ぶのは、自分の美学に基づいた内発的な欲求、身体の内から湧き出る衝動を大切にしていること。起業は私にとって、身体表現であり、一つのスポーツだと思っています。

「答えはいつも自分の身体の中にある」

神秘的な身体のダイナミズムな営みは、DNAに刻まれるアイデンティティとインプットとアウトプットを繰り返すアダプタビリティの活動であり、プロティアンそのものであると感じています。

明日はそんな私の身体が、他者から分離した日。
生を授けてくれた両親と
プロティアンな営みをご一緒してくれた全ての皆様に感謝します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました♡


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