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斎宮とは何だったのか(2)豊かな地域であった伊勢…米・海産・朱(丹)

 斎宮の歴史を見て行く上で、一体、伊勢とはどのような地域であったのかを見ておく必要がある。
 まず伊勢地方の地図(google earth)を見てみよう。

伊勢地方 赤丸:斎宮、赤破線:伊勢神宮、赤▲:丹生鉱山

 伊勢地方には、広い沖積平野が広がっており、河川もあるため古来稲作にも適した土地であった。
 地図・右下はご存知、伊勢志摩海岸である。古来より、漁業や海に潜る漁法により海産物にも恵まれていた。伊勢エビなど華やかなイメージを持っており目出度い席に出される。
 海岸線も複雑になっており、入江は船の出入りや停泊にも適していた。
 潜水漁法は、現在は女性によって『海女(あま)』と呼ばれる人達が従事しているが、古代では『海人(あま)』と書き、男性が従事していた。
 ここで
  ★★大海人皇子とは、(大)海人(皇子)であることに気付く。
 当時は、日本の海岸線に沿った場所には多くの『海人』達がいたことが知られている。
(例えば、推古天皇は、『炊屋姫』(詳しくは、豊御食(とよみけ)炊屋 
 (かしきや)
比売命(ひめ)であり、飯や食事を作るなんらかの職業に従
 事していたと考えることもできる。古来朝廷にとっても食は非常に重要
 で、神に捧げるもの、天皇への贄なども食に関係する。後には、大炊天皇
 なども名前には『大炊(おおい)』とついている。『大炊』とは、宮中で
 行われる仏事、神事の供物、宴会での宴席の準備、管理を分掌する役職で
 ある。)
 以上のように、徒に皇子の名にその出自に無関係な名称が付くことは無いと思われるので、『大海人皇子』が、これらの『海人族』と密接な関係があったと考える方が自然であろう。
 もう一つ、古代には欠かせないものが伊勢地域の西にあった。
 それは、丹(に)である…伊勢(の)丹➡伊勢丹
 ★★『丹』とは、硫黄と水銀の化合した赤土。辰砂(しんしゃ)とも言う。
ご承知の通り、古来、不老不死の薬として扱われた。実際には、水銀は有機化合物になると毒性が強く、腐敗しない(腐敗菌が寄り付かない)ことからも、秦の始皇帝が不老長寿の薬として珍重した(水銀中毒で死んだ?)。
 丹はまた、朱とも呼ばれる。(朱は、天然には辰砂(しんしゃ)として産する。紀元前から使用されていた赤色顔料。水銀朱ともいう)
 古墳の埋葬でも多くの地位の高い人間の古墳には朱塗りの棺などが出土する。例えば、斑鳩町の法隆寺の西にある『藤ノ木古墳』にも、20kgと言われる量の朱が塗布されていたのは記憶に新しい。
 神社の柱などは朱塗りであり、防腐剤のようなものであろう。
 この水銀朱は、実は、金メッキ(鍍金)にも必要不可欠であった。東大寺大仏の製作に当たっては、伊勢より数百kgの水銀朱が奈良に送られている。この水銀朱は、伊勢国の税金の一部として納められた。また、ここには、『水銀座』(銀座のようなもの)が一時置かれていたこともある。
 さらに、かつては公家に愛用された伊勢白粉がある。
 三重県(射和)特産の白粉である。昔は射和の軽粉(けいふん)または「はらや」の名で知られた。櫛田(くしだ)川上流の丹生(にう)(多気(たき)郡多気町丹生)の丘陵地帯から産出する水銀と、射和(いざわ)の朱中山(しゅなかやま)産の丹土(にど)(赤土)を使用して軽粉業が興った。最盛期は室町時代で、釜元(かまもと)が83軒もあったが、のち粗製乱造をおそれ16釜になる。伊勢神宮の禰宜(ねぎ)は軽粉を京都の公卿(くぎょう)たちに贈り、山田(伊勢市)の御師(おし)も御祓(おはらい)配りのため諸国の檀家(だんか)回りにもこれを土産(みやげ)物としたことで知られる。実は、有害なもので化粧していたのです。
 さて、以上、伊勢には貴重な特徴があり豊かな地域であったことが分かります。要約すると下記になります。
 ①稲作に向いた広い平野
 ②漁業や海人(海女)にも豊かな漁場
 ➂海運にも適した海岸
 ④古代に重用した『丹(朱)』が産出
 さて、このような特徴から古代の伊勢、大海人皇子、斎宮の出現の謎に迫って行きます。そう、大海人皇子と斎宮、人質になった天皇皇女達の物語です。


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