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春日傘~ショートショート②梅雨空に

①浅い夢うつつ



飛行は定刻どおりに順調だった
途中の積乱雲を避けるときに軽い
タービュランスに機材は大きく揺れたものの
予定どおりにKIXに到着できる見込みであった
青い翼は伊勢湾上空で関西コントロールとの交信に忙しくなる
キャビンサービスも終了して座席ベルトのサインが点灯する頃には
ILSに乗ったまま最終侵入角度をきめてファイナルアプローチの段階に入っていく。
『よし、スピードを落とそう』『フラップワン』内田キャプテンは人差し指を一本挙げて低く言う
その指示に従い勇志はそっと
フラップをさげた
『フラップワン』と確認復唱する
『ギアダウン』キャプテンのオーダーでレバーを下ろす
ゆるりとタイヤがおりて車輪が着陸に備えてロックする
パネルのグリーンランプが点灯した
ゴトンと軽い音がして風切り音が大きくなる
オートスロットルはパワーを上げる、ヒューンと音が高くなる
読み上げる
素早く
ランディングチェックリストにそって手順を踏む
すべてノーマルだ

『アプローチングミニマム』『チェック!』勇志のコールアウトに内田キャプテンが答えた。進入灯の列と流れるようなストロボライトの閃光が浮かび上がる
『インサイト』『ミニマム!』
『ランディング』落ち着いた内田キャプテンの声がひびく
『スレッショルド』
『リバース!』
関空へとアプローチするときは伊勢湾上空あたりで伊丹と関空に振り分けられて紀伊半島から淡路島上空を経由しながら大きく旋回したルートでやっと着陸となる

機内ではCAによる到着時刻と
疲れ切った挨拶のアナウンスが流れる頃
コーパイの勇志は額の汗を拭う

次の休日には絵美子とのドライブデートを予定している。長距離運航から帰ると、ほぼ同じ日数分の公休がある。四日間の休日だ
『ようやく帰れるな』COCKPITの後部の棚から制帽を取り出し被りながら
サイドに置いてあった運航カバンを手に、シートから立ち上がるとようやく約14時間のフライトを終えることができた

キャプテンに挨拶をして機材を降りる『ありがとうございました内田キャプテン』『ああ、次はダブルで飛ぼうな』機長二名で飛ぶことをいう
pic内田機長sic国府田査察機長co勇志の三人はボーイング777を降りていく
 それにしてもB7は良くできた飛行機だ。暑さ寒さを感じさせずパワフルな双発機でありながら静寂性に優れていて快適そのもの、挙動を掴みやすいコントロール特性、、グラスコックピットが年長のキャプテンには不評なこともあるが、まだ30代の勇志は先進的なこの機材が憧れでもあった
B3からやっと上がって機種移行ライセンスを取得してここまでこれた勇志は、次期に機長昇格を控えていた。今回のフライトは査察機長の定期チェックも兼ねていたので、緊張感からやっと解放されたのだが。『機械ものだということを忘れるな』と言った内田キャプテンの言葉を疲れた頭で思い出してもいた。『いいか、機材はいくら進化したところでフラップを動かしブレーキを操作するときには、結局油圧でピストンを作動させるのだから機械ものだということを』『忘れるな、人間としての技量を磨くんだ』『お客様が危なくないように、常に選択肢が多く残るように決断をしろ』『後ろを見て飛ぶのがキャプテンの責務だ』『査察は気にしすぎるな』内田機長は常にお客様を意識してオペレートしていることを勇志は思い出していた。機械もの…それを忘れないために勇志はこの機械式の腕時計を買ったのだ

空港からクルーが宿泊するホテル迄は送迎のバスが来てくれる。空港シャトルバスの会社が出してくれるのだ。クルー達が疲れきった顔で運航カバンと共に綺麗に洗車された小型バスに乗り込む。
同時に横浜の日吉台のマンションでピコン!とスマホの通知音が鳴る。
絵美子は、そっと画面を解除して
LINEを開いた
『勇志、帰ってきたのね』
『無事に着陸(^-^)』『お土産に絵美子が欲しがってた日傘を買ったよ』『ほんと?嬉しいわ』いくつかのメッセージをやりとりした。勇志は最近のクリエイタースタンプのハンバーグがにっこりしているお気に入りのモノを絵美子に送ってあげた

『これ、かわいいねー』とすぐにレスポンスがあったので二人で愛用していたのだ。
出会ったころは勇志のほうが絵美子に夢中で
『付き合おうよ』『ええッ』『考えさせて』『いいわ』と心を通わせてお互いに同じ道なりに歩いて行ったつもりだったのが、このような結論にも成るとは思わなかった。『愛の反対側にあるのは無関心』いつか貴女は言っていた。『愛するからこそ僕はなりふり構わずいつでも君を探す』と…そう答えて

②シンクロ



勇志の夢はそこで終わった。少し寝汗をかいていたようだ。3階の中古マンションの一室では雨の滴る音が微かに響いて聞こえた。蒸しむしする6月の梅雨時へと季節は凄い速さで50代半ばの勇志の上を通りすぎようとしていたのだった。眠りの浅い頭には白いものが少しばかり増えてもいた。それにしても最近は若い頃の夢ばかりを見る。夜中に何度も目を覚ますのだった。『まいったな、』とひとり呟きが洩れた。『なんでまた関空スティで終わってんだ?変な夢だよ、ふふ、』『日傘をプレゼントしてドライブ行ったのいつだったか』『桜は興味ないけど、桜見に行ったっけ』と寝起きにぼうと、ひとりごちていた
『あの頃は、i-modeのメールだったよな』LINEはおろかスマートフォンすらない時代だったことを思い出しながら。



傘をとじて


雨落ちる
そして君は去ってゆく
去られる痛みを知らぬまま
僕は最後も君を愛した
端から端まで君を愛した
愛したことを懐かしく
今頃にもの想う

ときに梅雨空は
あじさいの色を染めるために泣く
君去って残る
雲間に一筋の逆光線
立ち止まる僕は
眩しさにただ目を細めて
止みかけの雨
そこには明日が見える

振り返らずに君は
傘をとじて
僕はただ見送ろう
悲しみは梅雨空に投げつけて
思い出はこの胸にたたんで、、、

詩人ミストブルー記より



横浜の大学キャンパスもある閑静な住宅街、そこにある低層マンションの一室で絵美子は朝の出勤の準備に追われていた。一人暮しが長くなると様々な心配事、不安感に悩まされることが多くなった。 
日傘を喫茶店に置き忘れた桜を見るデートからはもう二十余年の歳月が過ぎていた。
結局は日傘を取りにも行けず、行方もわからずに喫茶席に置いてきたことにしたのだが、そうすることで
自分の未練を断ち切ろうとしたのだと
絵美子自身、本当は気づいてもいた。静かにニ十余年前まで脳内で時間を戻した。昨夜の夢の続きを思い出しながら、、

③もう一度

 
あの時、引き返したこと。私は強くなれないと思った
『お客さん、乗りますか?』夕暮れ迫るオレンジ色の空のもとバスの停留所に路線バスが入ってきてゆるりと停車した。ぼうと立っている絵美子に外部スピーカーでドライバーが声かけしてくれた。『お客さん、、』『いいえ…乗りませんごめんなさい…』絵美子はそのように答えると、桜を見ながら今きた道を気づいたら引き返していた。『もう一度だけ、』カランカラン、と数時間前に桜ブレンドを頂いた喫茶店の扉をあけていたのだ。

『いらっしゃい、、あ』
『先ほどはどうも』『桜の御車返しとはこのことですね』『傘をもう一度探したいの』『ほほう!』『諦めては後悔するような気がするの』『それはもっともなことです』『だからお願い、』『どうぞどうぞ、忘れ傘が全部でニ十本ほどありますので』
『ゆるりと見て下さい』『ありがとうございます』『ニ十本の傘たちは、秋にはかささぎになって』『大空に帰ってしまいますのでね』『ふふ、おかしいわ』『どうです?コーヒーでも』
『ありがとうございます』『いえいえ、私も傘が鳥になるまえに飼い主の方にお返ししてあげたいのでね』『ふふ、頂きます』絵美子は一口コーヒーを口にした。ダークローストの柔らかい風味が不安定な気持ちに沁みていった

『やはり、ここではないようね。』
『そうでしたか、、』『ありがとうございました。お手間とらせてしまって』『お代を』『そんなのはいいんですよ、私の好きでしてることで』『様々な想いを抱えたお客さんに美味しいコーヒーをのんでいただく、これは喫茶店の粋な使命です』『そんな、、』
『後水尾天皇さんの御車返し、桜のあまりの美しさに御車を引き返させた話です』『風流なこと』『お代よりもお客さんの日傘のことが気になりますよ。』『やはり、どこにもないのよね』最後に店主がひげを見せながら『無関心がいちばんいけません、何事も』『桜の美しさも無関心ならば気づかないのですよ。』、、

そうね、無関心はだめなのよね。と今に引き戻された絵美子は、スマホの過去のLINE通知を見ながらグラタンの可愛い図柄のスタンプを送っていた
『おはよう、元気?』
中年期のLINEのやりとりはあっさりと。既読スルーにも動じなくなる。
友人同志に戻った勇志とのやりとりは尚更シンプルに短く済ました

④雨の妖精


絵美子に婚約破棄されてあっさり受け入れた勇志だったが、弱った自分を受け入れられずにいた。あれから機長に昇格する事で50を過ぎた頃までベテランパイロットとしてカンパニーの意図するキャプテンになれはしたが、パンデミックののち心を病んで飛行停止処分になり、半年後には定期運送用操縦士免許も失効して地上勤務を一年間経てからの早期希望退職となった。クルーとのコミュニケーションに難ありと査察に指摘を受け、CRM訓練にも再び投入された。そこでもフェイルしてしまったのだ。パイロットとして定年まで職務を全うするのがいかに難しいか、プロフェッショナルの世界の厳しい現実を思い知らされるのだ。
勇志は傷心のまま若い頃に演奏していたベースをまた引っ張り出していた
Stardustを練習したのだが、若いベーシストの動画で学んで楽しんだ。
『いくらでも希望はある』
『Go around!着陸復行、だよな』

『おはよう絵美子はどうしてる?』『今から出勤』『気をつけて』夢から目覚めた勇志は、スマホを片手に一人コーヒーをドリップした。浅煎りの甘い香りが部屋に充満する事で孤独を再確認した。
3LDKの中古マンションの外ではいつか雨の妖精が舞っていた。しとしと降る梅雨空は傘を求めて地上を涙に濡らそうとする。
あの時、日傘を取りに戻ればよかったのか、、
と、勇志の心は、なぜ?に濡れていた。もう伝わることのない想いを、雨の妖精に願い伝える。

⑤粋であること


無関心ではない、けど会えない。会うつもりもない
ならばせめて友人絵美子の幸せを祈ろう。
それが粋ではないか。忘れてもいい、なりふり構わず生きて来たことを誇りに思うだけだ。
梅雨の空にえがくようにフライトの夢を見た。絵美子はそこにいなかったのだ、と
想い出といつもセットで思い出すのは
The pied pipersの名曲
Dreamを聴く度に、それがノスタルジーであり夢であることは今ならばわかる

LINEには『元気だ今起きたところ、ちょい頭痛い』と、スタンプ一個を添えて。二人の好きなクリエイターのスタンプだ。

絵美子は返信を見て、自分の判断は正しかったのか思い悩んだ。
別れ話のあと友人として繋ぎ止めたのは私のわがままだった。それが最良であると決めたことが彼の人生にも多少の影響を及ぼしたのかも知れない、それが日傘一つのことで。彼が訓練をフェイルしたのもエンパスな私は自分のせいのように思うのだ。
『日傘は鳥になって、いったいどこへ飛んでいったの?』
絵美子は朝刊をひろげた。新聞の俳句のコーナーには俳人、白咒の一句が載っていた。


『おひさまに むかってヒマワリのびていく』

梅雨が明けるのはまだ先の事だけど、
梅雨明けのあとにはヒマワリの季節が巡ってくる。今年の夏は二度とは来ない夏だと毎年思うのだが、どんな素敵な出来事に出会えるのだろう?この人の俳句には、あつい希望のようなものを感じる。
『たいへん、もうこんな時間!』絵美子は遅刻しそうなことに気づくと、急いでトートバッグを手にして器用に足だけでヒールを履いたら勢いよくドアの外へと飛んで出た。
雨上がりの朝の空には白い雲がひとつ、浮かんでいた

~つづく~




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