オンライン授業の良し悪しを考える。

全国の小中高とか、学芸大も例に漏れず始めた遠隔授業。
 正直言って、というか半分以上の人はそうなんじゃないのかなあって思うけど、言われたとき「そりゃそうだよね」と同時に「マジでやる気なの?できるの?」って感じ。なんなら学費払う意味ある?美術科だよ?なにすんの?てかこれで今までと同じように修了って認定できんのかなあ、とか思った。休学しようかなぁなんて呟く人の言葉が冗談じゃなくありえそうって思った。美術科だけじゃない。保健体育科、音楽科、書道科、技術科、理科、表現教育コース、その他もろもろ、いやみんな何も出来ないじゃんなんて思った。ひたすら憂鬱で、自分勝手にやだなあって思った記憶がある。


 遠隔授業が始まって早一か月と少し。画面の見過ぎで目は痛いし先生は設定ミスして資料無かったりするし発言とか超しづらいけど、まあそれなりに慣れてきた。全員が全員初めての事態なのだから、試行錯誤はあるに決まっている。文句ばかりでなく遠隔授業も悪くないかもなってことを考えてみようと思う。


 まずは、家で全部済むこと。私は外に出るのが好きだし、教室も好きだけど、家が遠いので楽だとは思う。朝早く起きなくていい。8時半に起きても1限に間に合うなんて奇跡だ。毎日往復3時間の移動が無くなっただけでこんなにも時間に余裕が出来るんだなぁと、小学校から電車通学だった私は新鮮だった。距離が関係なくコミュニケーションが取れるというのは偉大だなと思った。家だから環境も自由にしやすい。楽な服や場所、気温、手元に飲み物なんて用意したりして。学校は寒かったり暑かったりするし、自分に合ったスタイルで授業を受けられるというのはただの怠惰を除いても、体調が環境に左右されやすい人なども楽なのではないかなと感じた。あと私はノートをPCで取り始めた。文字を書かないと覚えられないんだよなと思っていたけど、ペンタブレットを繋いだならデータの資料にそのまま文字も絵も書き込める。ノートがかさばらない上にアナログらしさもあって、私には丁度いい授業の受け方だと判明した。これはペンタブを運んだり机の広さやPCの充電を気にしなくていい自宅での授業ならではだ。


 それと、全員が授業を一番前で受けられる。PCの音量を上げれば先生の声が聞こえないなんてこともない。スライドが前の人の頭で見えなかったりもない。距離感も同じようになっているので、発言も対等だ。チャットなら当てられるのを待たずとも同時多発的に意見が流せるし、同意もいいねのボタンを押すだけで可視化される。先生も学生も、授業を受けている人数に関わらずゼロ距離でやり取りすることが容易になった。


 授業を見返すこともできるようになった。動画は好きな速さで、聞き逃したら戻して、考えるときは止めて、自分のペースで自分の理解を進めながら受けられる。ノートやメモを取っていたらすぐ先生の話を聞き逃す私には助かるポイントだった。一回止めて調べたりすることもできる。やろうと思えばテスト前にまとめて見返したりも可能かもしれない。授業を二回聞けたら新しい発見があるかもしれない。(かく言う私は面倒臭がりなので、まだ一度たりとも動画や授業の録画を見直すことなどしていないのだが、テスト前になったらもっかい聞きたいなあと思っている。) Streamに上がっている他の授業の動画が見放題で面白い、なんて先輩が言っていた。私も気になっていたあの授業を見てみようか。


 遠隔になってから課題がたくさん出てやってられない、という友達も大勢いるが、あまり私はそれを感じていなかった。そんなに増えたかなあ。時々出るくらいじゃないかな(今のうちだけかもしれない)。この形式が合う人と合わない人と、あと合う授業と色々あるかもなと思った。時間に余裕が出来たので、よっぽど時間のかかったり準備の必要なもの以外の課題はその場でやってすぐ出すことができるようになった。今までリアクションペーパー以外の課題なんてほとんど提出ギリギリに思い出して泣きながらやるような私なのだが、家だとよっぽど計画的に進んでいるなあと今のところは感じている。決して私は真面目なほうじゃないけれど、なぜかと言えば他にあまりすることがない。いや、あるんだけど、今までだったらまず家に帰るにも時間がかかるし、私の毎日はサークルとバイトに追われていた。放課後は稽古だし、本番が近づけば空きコマにも作業をしたり、家帰っても公演のこと考えてたり。あとなんだかんだ友達と他愛のない話をしているうちに時間は過ぎていたりする。でもサークルは出来ないから次の舞台の見通しは立たないし、バイトも3月末で辞めてしまったし(次の職を探す前にコロナ禍に巻き込まれた)、友達は隣にはいない。あとは普段生活するだけで消えて行ってギリギリの体力が動かないおかげで有り余っている。そんな感じで、だいぶ余裕のある生活を送っている私は柄にもなくきちんと課題をこなしている。

 きっと対面授業がすべて再開して、今までの日常に戻れば、また私は朝起きれなくて走りながら駅に向かうし、時々もう無理だって諦めるだろうし、電車の遅延に苛立っているのだろう。授業を聞き逃しては取り戻せずノートを取るのも追いつかないかもしれない。また会話に花を咲かせ、サークルに傾倒して時間を溶かし(あとご飯を食べて帰りたくなるので金も溶かし)終電でほとんど眠りながら帰って、疲れて倒れこむように寝て、課題は直前になって焦るような頭の悪い生活に凝りもせず戻るのだろう。人よりある体力と健康体にだけ救われてギリギリ成り立っていたような頭の悪い生活に。今の方がよっぽど有意義に時間を使って真面目になれているかもしれない。だけど前の方が楽しかったなあと思う。走り回っていないと落ち着かないなあと思う。
 どっちのほうが良いだろう。真面目にしっかりこなすことができている私も嫌いではない。見返せるとか、家でも聞こうと思えば授業が聞けるとか、そういう良いところは新しい日常に戻っても残しておけばいいんじゃないかなと思った。それぞれが形を好きに選べることは、より多様な学び方につながっていくのかもしれない。

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