それ、言い換えすぎじゃね?(猿田彦命の場合)
日本神話の中で、僕が好きな神様のひとり(神だから一柱?)に「猿田彦命(さるたひこのみこと)」という神様がいらっしゃいます。どんな神様かっていうとこんな感じ。
猿田彦命は「みちひらき」の神様なんですよ。「みちひらき」っていい言葉ですよね。「導いてくださること」の ”言い換え” として、とても神聖な感じがする良い言葉だと思います。
会社の近くの神社にも猿田彦命がいらっしゃるので、時々足を運んで日々の感謝を伝えたり、良い結果につながる道を開いていただけるようお願いしたりしています。
ところがですよ。
先日参拝した、別の神社の祭神の中にも猿田彦命がいらっしゃって、その神社の看板には、猿田彦命の説明がこう書かれていました。
祭神 猿田彦命:交通安全の神
交通安全て。
確かに高天原から地上に降り立った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を無事に高千穂まで先導したわけですからね。そりゃ途中で馬にひかれたりしないように、瓊瓊杵尊が進む道の安全を確保したの知れない。そういう意味ではある意味「交通安全」なのかも知れない。でもね、
それ、言い換えすぎじゃね?
頭を柔軟にすれば確かにそう言い換えられるのかも知れないんだけど、ひとことで「交通安全の神様」って言っちゃうさ、何となくですよ、何となくのイメージですけどね、どっちかっつーとこっちじゃね?
無事カエル的なアレ。
この看板の「交通安全の神様」っていう説明は、多分「祭神」というよりは「ご利益」をわかりやすく書いてるってことなのでしょう。神社に参拝する多くの人が求めているであろう「この神社のご利益は何?」という疑問に答える、親切な看板なのだと解釈しました。
でも「ミサイルさんの推しって交通安全の神様なんすね?」と言われると、それは何か違うんだよね。念のため言っておくけど猿田彦命って
これでもないからね。
正しい方向へ導かれたいと願うことは、正義感のようで、時に言い訳でもあり、あきらめでもあり。
そんな折り重なる想いを胸に秘めながら、僕は猿田彦命に手を合わせに行きたくなってしまうのです。
ロックンロール。
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