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これ以上女性同士を分断させるないでください

1.「若い女性は正社員として雇用しません」

 数日前に炎上したツイッターの投稿があった。
 大阪で企業経営している女性社長の「若い女性は正社員として雇用しません」の投稿だった。

 もう少し詳しくないようを見てみよう。ツイート本文:
「批判覚悟ですが、私は、寿退社や産休や育休をされると困るので、若い女性は正社員として雇用してません
本音は雇ってあげたいし心苦しいのだけど、うちのような弱小企業では雇う余力がありません
こういうところに政府の助成金を出してほしいと思う」

 最初はヤフーニュースでこれを知ったが、私が気になったのは、「意外と共感が多くて驚いた」「この声がたくさんの人に届いたのかな」と、この発言を擁護するヤフーのスタンスと、この発言をしたのは女性だったことだ。

2.女性のミソジニーは「自己嫌悪」

 1985年男女雇用機会均等法ができた時の空気を思い出す。
 多くの男性は総合職の女性に対して「女を捨ててかかってこいよ」という高圧的な態度で接していた。
 そこから何が起こるかというと、もともと存在していたミソジニー(女性蔑視)と相まって、弱さを認めず、「男性みたいになりたい」女性が現れる。
 女性が弱者だということを嫌い、男性に過剰同一化し、男性からの承認を得ることを期待するようになる。そうすると、自分と同性である別の女性が被害者面するのが許せない、我慢できなくなる。やがて同じ女性同士を攻撃する。
 この現象は上野千鶴子さんの「ミソジニー」という本を参照してほしい。
少し定義を引用する:
ミソジニーは男女にとって非対称に働く。男にとっては「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」

3.「自己嫌悪」の根幹にあるのは「弱さ嫌悪」

 では、そのような女性はなぜ「自己嫌悪」、やがて「他人嫌悪」に陥ったのか、「ウィークネスフォビア(弱さ嫌悪)」が根幹にあると思う。
 それは強さではなく、自分の弱さを認めることができない弱さだと思った。

 少し自分の経験を重ねてみます。
 私は今総合職として中国に駐在しているけど、現地で出会う駐妻や、スナックやバーで働く女性などを見て、最初の頃は確かに、やつらと同じ風に見られてたまるかとは思っていた。彼女らは彼女ら、私は私、私たちは違うものだと思っていた。
 ただやっぱり心のどこかで、自分のこの「女性同士嫌悪」が気がかりだった。それに気づいたのは、ほかの男性駐在員と「(女性ではあるが)同じ立場で」現地日本商工会の席や懇親会の席に座り、漠然と彼らのスナック話、おねえさんたちの話を聞いている時だった。
 「私はそのような女性と違う」とばかり思っていたが、でもやっぱりそういう嫌な話を聞けば聞くほど、心のどこかで、「彼女らも私と同じ女性なんだから」という声がだんだんと大きくなっていった。特に大した仕事をしたわけでもないのに、男性というだけで社会からたくさんの既得権益をもらって、それが当たり前のように平然と享受しているしょうもないおじさんたちに、どんな女性でも侮辱されてはいけないと、だんだんそう思うようになった。

4.女性の敵は女性じゃない

 少し脱線してしまったけど、このように、働く女性と主婦、昼の仕事と夜の仕事、総合職と一般職、正規雇用と非正規雇用、この社会のありとあらゆるところで男性により各種制度が作られ、女性を分断していた。

 矛先を向けるべきなのは弱者の女性ではなく、この男性による作られた男性のための社会と、この社会をコントロールし続けている既存権益の山から降りたくない男性たちだと思った。

田房永子の漫画 出所:フェミニズムについてゼロから教えてください

 既得権益を持つ男性が家庭にもたらす影響や、男性の「弱さ嫌悪」について、また別の機会で書けたらと思うけど、今回の発言はそもそも論外なのは、大なる差別発言だからだ。

 セクハラや差別発言などに対する認識は、この数十年でだいぶ変わった。けれど、本心はいつまで経っても変わるものではない。なので、変わったのは建前と、上野さんは言っている。
 「これを言ったら/やったらまずいんだ、社会から許されないんだ」っていう最低ラインを、女性活動家や障碍者活動家の先輩たちがこれまで数十年をかけて上げてくれたと思う。心の中でどう思うかは自由だけど、差別の公言は許してはいけません。

ちなみに、言及した上野さんと田房さんの本はこちら↓ ご参考ください。


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