人という関数
人によって、態度を変えている自分に気がつくと、
自分とはなんだろうと思う。
求められている自分を演じている気がする。
自分とは・・・
数学っぽく解いてみる。
場合分けをする。
(1)〇〇と接する時の自分 ☆☆
(2)□□と接する時の自分 ★★
・・・
(n) △△と接する時の自分 ●●
したがって、
「自分」=☆☆+★★+・・・+●●
なるほど、
ようするに、特定の誰かと接する時の自分は、その一部分にすぎない。
自分自身が、変化しているわけじゃなかった。
(言われてみると当たり前のことだけど、論理的だと間違いがないと確信できる)
また、こうしてみてみると、人は関数に喩えられると気づいた。
f(t)=a+?
,
f(t)=a+u+?
,
f(t)=a+u+y+?
その人のことを知るごとに、項を見出していく。
人は、時間が経つと変化してしまう。
だから、ここで変数tは時間を表す
ここで、反論をいただいた。
そんなに単純ではないと、
ごもっともだと思う。
そもそも、人とは要素の集合ではない。
「人」=f(x,t)
とし、それはどのような式でも表せないという方が正確だと思う。
しかし、他に方法がない。
要素を切り出しながら試行し、近似していくしか
人を理解する方法がないと思う。
また、ここでいう要素というのは、確実な割合ではない。
たいてい相反する2つの要素を併せ持つ。
例えば、
利己的な人ほど、自己愛が低く、
何かを嫌いと蔑むひとほど、それに惹かれていた過去があったりもする。
(この部分は話すと長くなる)
人は関数のようにして、理解できる。
というのは、暴論かもしれない。
しかし、人という集合体を
少しでも理解する手助けにはなれば、いいと思う。
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