人生50年過ぎると見える出身地の変化。
おはようございます。今朝も勢いで書きます。
街は、40年もあれば大きく変わり、そこに住む人も変わる。
これまでにも何度か書いているのだが、私が生まれて育ったのは、大阪府でも泉州エリアと言われる泉佐野市。当時も今も人口10万人ほどの小さな市だ。ただ、私が子供のころに育った40~50年前と今では街の様子は大きく変わった。
私が育ったのは、泉佐野市のなかでも、家から海まで50mもないほど海のそば。漁港も自転車であれば10分ほどで行くことができる漁師町だった。私の友達にも漁師や魚屋さんの子がいた。また、当時の泉佐野市は日本有数のタオル生産地で、私の父もタオル工場を経営していた。
40年ほど前は、魚とタオル、農業の街だった。
それが今は関西国際空港ができて、海岸は埋め立てられて、海だったところに、今はアウトレットモールなどのショッピング施設、飲食店、カーディーラー、ホテル、大学など様々な施設が建っている。
私が子供だった頃には、まったく想像できなかった街に生まれ変わった。
今のような新しくなる前の街を知らずに、この街に住む人は、街のことをどう思っているのだろうか。マレーシアから日本へ来て、この街に4年ほど住んでいた人に聞くことがあった。彼は、「都会と田舎の両方がある街ですね。」と言った。
確かに、今の街の姿を見ればそうだ。
泉佐野というのは、もともとは「狭野」が語源と言われる。「狭い野」から泉佐野になった。どういうことかと言うと、泉佐野は海と山に挟まれた地になっている。私が育ったのは海のすぐそばなのだが、車で30分も走れば山に入る。そこには、昔からある天然の温泉がある。
また、海から山へ車で走らせていると、のどかな田園風景もひろがる。私が抱くこの街のイメージは、海と山、そして田んぼである。つまり、田舎の街というイメージだ。
それが今は「都会と田舎の両方がある街」となった。昔は「田舎しかない」街だった。
私はどちらの街も好きだ。
さて、このように街が新しくなると住む人も変わる。特に、泉佐野は最近、外国人が増えている。中国、韓国、台湾、そしてマレーシアやネパールなどの東南アジアの国々の方が増えている。
実際に、スーパーなどへ行くと、時間帯によっては外国人ばかりがお客さんになっていることもある。
これほど分かりやす変化も珍しいかと思うが、街は50年もあれば変わるし、そのことで住む人も変わる。これが続けば、街の文化も変わっていくのだろう。
人生50年を過ぎると、このような変化を目にすることになるのが、面白い。他にも、私のまわりで、どのような変化が起きているのだろう?
変化に意識を向けて、今日もステキな一日に。
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