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【連載】家船参加作家 / CLIP.3 山本和幸インタビュー | 家船特集

作品「家船」は多数の作家と地元住民、様々な協力者によって共同制作されている。この作品への参加作家が個人では普段どのような活動や制作をしているのか、レビューとレポート3月号「家船特集」を皮切りに、各人へのインタビュー記事を連載形式で掲載する。
今回は山本和幸へインタビューを行った。


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山本和幸(やまもと かずゆき)
会社員
1968年生まれ 徳島県出身

(聞き手=KOURYOU)


ー山本さんの今までの活動や作品についてご紹介いただけますか?

山本
:うーーーん…。いろいろあって自分でも整理していきたいので、高校時代からお話ししていいですか?(笑)
高校時代は「おじいちゃん」と友人から呼ばれるほど覇気のない学生でしたが、部活動は漫画同好会、文芸部、映画部、美術部(3日間だけ)と、制作活動自体は参加していました。
高校時代は「同人」という存在を初めて知った時期で、自校の漫画同好会や他校生との漫画クラブで同人誌制作をし、文化祭や地元コミケで販売したのが制作活動の始まりです。
余談ですが、同じ徳島県で、他校の映画部の先輩にパルコキノシタさんがいらっしゃって、パルコさんが参加されてる映画の同人誌も読んで刺激を受けました。
漫画という個人制作活動から、共同制作の楽しさを知った時代でしたね。


ーパルコキノシタさんと同世代で同郷なんですね。実際に映画制作をされていたんですか?

山本:パルコさんが3つ年上ですね。映画部では僕が監督で制作した作品はないのですが、役者と撮影雑用で制作協力をしていました。当時から特撮好きで、撮影用小道具として爆竹から火薬を集めて、お手製の「電着式ちょっと大きめ爆竹」を友人と作り、学校の裏山で爆破実験をしたりして楽しく文化的活動をしていました。破裂音が大きかったのか、麓の病院から患者さんや看護師さんやらが出てきて山頂のこちら側をゾロゾロ見に来たので、急いで実験スタッフ全員で下山したのがいい思い出です。(笑)
その後1987年3月に「学校法人多摩美術大学付属 多摩芸術学園デザイン学科 絵本・イラストレーション専攻」に入学します。
親から出された条件の『入学金100万円以内』の学校が、当時はその学校と東京藝大しかなかったので、高3になって進路を決めた僕は「なんの準備もしてないで藝大は受からないよなー…浪人がダメみたいだし……じゃあもう多摩芸術学園にしよっと!」な感じで学校を決めました。
また余談ですが、学校は後に「多摩美術大学 美術学部二部」、「多摩美術大学 造形表現学部」と形を変えますがそれも廃止され、今は完全なる廃校となりました。

ーその頃はどんな作品を作られていたのでしょうか。

山本:学生時代は特にコンセプトもなく、思いつくまま描いていたような気がします(図1)。今も似たようなものですが。

山本_図1

無題(1987年)

山本_図2

無題(1987年)

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無題(1987年)

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図1 多摩芸術学園時代の作品(1990年) 撮影:山本和幸

ーオバQのお面を被っている人がアトムに近づいてますね。一番下の作品群も面白そうです。

山本:絵柄は見たまま…、暗い感じが好きだったようです。
「オバQとアトム」は……なんなのでしょうね(笑)、今から思えば「平和な日常」を表す仮面の下の「人殺しもある日常」というような「違和感」が描きたかったのだと思います。
一番下はたしか『梱包』という作品で、黒人、白人、アジア人、骸骨、何もないものを当時興味があったボンデージの手法で包んだ絵でした。
魚(?)の絵は、中学〜高校の頃によく大きな魚の夢を見ていましたので、そのイメージだった気がします。僕が空から近所の川に落下するのですが、沈んでいく僕の横を20メートル級の鯉や錦鯉が泳いでいくのです。夢占いでは「欲求不満」と出ていました。

ー山本さんと初めてお会いした時、「プールに浮かぶ水着女児の腹部の水をすする直前」というような造形の過去作を見せていただいたのですが、この頃から水のイメージが出てくる作品を作られていたんですね。学生時代の先生はどなただったんでしょうか?

山本:あの「プールに浮かぶ水着女児の腹部の水をすする直前」(1)のことは忘れてください。(真顔)
多摩芸術学園時代の講師はイラストレーターの秋山孝さん、テンペラ画の講師で宇佐美圭二さんの奥さんの宇佐美爽子さんがいらっしゃいました。(他の講師は失念しました…。すみません。)
学校で真面目に絵を描いていると、自分がどんどん上手になっていくのが分かり、「このままでは上手い絵で仕事しなければいけなくなる! いやだ!」と思って、あまりちゃんと絵を描かなくなります。当時は「ヘタウマ」とかが出てきた時期で、楽な手数で仕事を多くできればお金になると思っていたんですね。バカですね。

ーヘタウマ全盛期の渦中で学生時代を過ごされたんですね。よく聞く上手い絵はダサいとかじゃなくてコスパ重視とは。

山本:そこで簡単にアイデア重視で完成度の高いイラスト制作の現場を見たくて、学生時代に秋山孝さんの事務所にアルバイトで入るのですが、3ヶ月でクビになりました。役立たずだったようです。本当に世間知らずでした。
またさらに余談ですが、当時大学生(もしくは卒業したばかり?)だった宇治野宗輝さんも秋山孝事務所に在籍されていて、僕の勤務の最終日に「将来価値が出るから」と宇治野さんのサインをいただきました。(10年前までは持っていたのですが、今は紛失してしまいました…。すみません。)

ー卒業後はどうされたのでしょうか?

山本:卒業後、印刷会社の制作部に入ります。カット描きとしての入社(バブル!)でしたが、あんまり需要がなく業務命令もあって、グラフィックデザイナーとなりました。
当時は社会人になってからのデザイナーなので、当然壁にぶち当たります。イラストレーターとしても壁にぶち当たる前に止めていたので、なんだか自分の自分への評価がわからなくなり、自分の価値基準を求めて一般公募のアート展などに応募していきます。
それで1993年に「第2回パルコアーバナート展」で佳作を受賞しました(図2)

山本_図5

図2 第2回パルコアーバナート展 佳作「気がつけば、西方にて。」図録画像
(展覧会図録『PARCO ART PROJECTS 1993 URBANART #2』(発行:株式会社パルコ)より)



ー青い動物たちが中央を見ていますね。涅槃図でしょうか?この頃から立体作品も作られるようになったのですか?

山本
:ちゃんとした作品としての立体はこの頃からですね。
昔から仏教の世界観が好きなので、曼荼羅のイメージで作ったのだと思います。流されるままな僕の気持ちそのままのタイトルでした。
その後審査員の一人だった日比野克彦氏に新作を見せに行ったりするのですが、「良くもなければ悪くもない」と酷評されたり(コンセプトが無いので、そりゃそうだと今は思う。)、とんねるずのTV番組『生でダラダラいかせて』の木梨憲太郎企画に制作協力(番組出演含む)したり、そしてついでに印刷会社を退職したりと迷走していました。

ーTV番組の制作協力もされていたのですね。

山本:木梨憲太郎個展会場の名古屋パルコまで、協力者名欄の「山本和幸」の名前を見に行きましたよ。(笑)
この頃の1995年にはオリコン株式会社に転職してチャート誌をデザインしていました。
アート活動に関しては何回か制作スタイルを変えて、またいくつか公募展に応募するも落選が続くので、ガックリして個人でひっそり作っていました。
でもひっそりとか言いつつ、やっぱり誰かに見せたいので、年賀状や暑中見舞いなどに力を入れるようになります(図3)。
こうして制作者としては長い引きこもり期間に入ります。(笑)

山本_図6

図3 年賀状や暑中見舞いで制作した作品群


ー年賀状が作品発表の重要な場になっていったんですね。お宅にお邪魔して作品を拝見したら凄い力の入った年賀状用の立体作品が飾られていてびっくりしました。

山本
:ご覧いただいた2011年卯年の作品から、また粘土工作を作り始めました(図4)。
神社仏閣などに施した彫刻に関心があったので、その影響を受けたものです。
古事記や中国の故事など、彫刻それぞれに物語があり、それを作品に内包できることに興味がありました。
なので、僕の作品1つ1つにも童話のような物語がついています。

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図4 2011年から年賀状用に制作されている立体作品 
タイトルは上から「卯年(2011年)」「辰年(2012年)」「巳年(2013年)」
撮影:山本和幸


ー実物を拝見すると何か妙な手触りというか質感がある作品で、この方に関わっていただくのは面白いと思いました。毎年年賀状を受け取る方は楽しみでしょうね。

山本
:彫刻って、触ってナンぼというか、手に伝わる感触は大事だと思っています。
年賀状は割と楽しみにしてくれている方がいて、自分でもちょっと驚きました。
その間、ちょっとだけ自信が復活してきたので、fukaさんという方と共同制作で造形込みの写真撮影を行ったりしました(図5)。

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図5 モデルを使った写真撮影(造形物制作含む)(モデル・写真現像/fuka)


山本
:図5を制作していた頃、また再就職していた株式会社エンターブレインという会社で『ファミ通Xbox 360』という雑誌やゲーム攻略本などのアートディレクターをしていました。
その数年後に大手のKADOKAWAグループに吸収合併され、全部署から早期退職者を募ったので、そのまま依願退職しました。……なかなか定着しませんね、僕は!(笑)
そしてその年、2015年の無職時代に「ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校」(以下、新芸術校)の一期生の募集を目にして入学を決めます。
あんまり課題の制作物の写真は残ってないのですが(図6)、下記の新芸術校1期のサイトに当時の授業風景の動画などがあります。
https://school.genron.co.jp/gcls/gcls-2015/

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図6 新芸術校で課題制作した作品の一部 撮影:山本和幸


ー新芸術校に通ってみていかがでしたか?

山本
:いま振り返っても授業や同期生との交流も含め濃いぃぃ体験でした。「事件」と言っていいくらいの出来事もあって刺激の連続でした。(その時の体験の面白さから今度は2017年に株式会社ゲンロンに転職しますが、のちにまた辞めたりしました…。)
授業では40歳半ばにしてやっとコンセプトの大切さと「なんで作るのか」を考えるいい機会となりました。(遅い)
授業も後期の頃、新芸術校最終課題の成果展の制作準備のために必要かと思い、新御徒町駅近くにアトリエ『B.Esta337』を第1期生の有志を募って構えます。それが今も続いていて、今年(2020年)で5年目に入りました。メンバーは若干変わりましたが。
卒業後は新芸術校関係のチラシデザインやアーティストの冊子デザインなどで、アート周りにうっすら関わってますが、自分のアート制作は停滞しておりました(図7)。

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図7 現在制作中の未完の絵 撮影:山本和幸


ー思いつくままと仰っていましたが、並べてご紹介いただくと何か通底するものがある感じがしますね。

山本
:「通底するもの」…なんでしょう…逆に気になりますね。長々と自分語りをしてしまいましたが、今までの自分の作品を振り返って思うことは「孤独」「ここじゃない何処か(異世界)」「予感」というキーワードで描いていたのかと思います。…なんかタロットカードの意味にありそうな単語ですね。(笑)
そうやって制作が停滞している時にシゲル・マツモト氏からKOURYOUさんの「家船」を手伝えないかとお声がけいただきました。
KOURYOUさんの世界観を聞きつつ、構想内での展示イメージに配慮しつつ、造形したつもりです(図8)(図9)(図10)。
気持ちとしては、先ほどお話しした神社仏閣の彫刻で有名な「左甚五郎(2)」でした。職人であり、その範囲内で作家であろうとしました。

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図8 トリカジ側入り口の恵比寿様 撮影:KOURYOU

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図9 水虎(着彩は小豆島の画家・柳生忠平)頭上などのお金は観客が置いていったお賽銭のようなもの 撮影:KOURYOU

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図10 紫雲丸(表面に重なっているのは福士千裕の作品) 撮影:KOURYOU


山本:久々の大型作品なので、「家船」の作品を最初は自分のアトリエで作っていました。
制作イメージはKOURYOUさんから見せていただいてましたが、この「家船」はどこを航海してきたのか範囲を広げて(時間軸も広げて)、インドネシアあたりも想像しつつ造形しました。
都合により途中でカオス*ラウンジ中井アトリエでの制作になりましたが、そこで新芸術校第4期生の浦丸真太郎さんと知り合いになって、彼の作品を間近に見て違う世界観を感じたりと、僕の中では制作期間は「得る物の多い『80日間世界一周』」でした。

ー山本さんは私が何かアイデアを話すと快く聞いて下さるのですが、私がしっかり受け取れる玉と予想外の玉を臨機応変に投げ返して下さるので、大人の仕事だなぁと思いました。共同制作のご経験が沢山あるからなのですかね。

山本
:いえいえ、本当に長々と失礼いたしました。自分でも「ただ流されるまま生きてきたなぁ…」と思います。恥の多い生涯を(以下略)。
流民の僕は港で見かけた「家船」に、船員に呼ばれるまま乗船して、『これはどこに行くのだろう』と行き先もわからず船旅に出ました。現在もどこに漂着するのか分かりません。僕はそれが楽しいです。なかなか旅が終わらなそうなので、また協力作家として参加できればと思っています。(笑)
個人の活動としては「個展したい!」と考えていて、題材も考えているのですが、3〜4年くらい放置中の絵もあるので、「はてさて…」といったところです。(ダメダメ)


(1)「プールに浮かぶ水着女児の腹部の水をすする直前」(新芸術校第1期課題作品)

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(2)左甚五郎
江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%94%9A%E4%BA%94%E9%83%8E

TOP画像タイトル
『テンタクル図 ー葛飾北斎に捧ぐー』一部(新芸術校第1期生成果展 出展作品(2016年))

動画:https://www.youtube.com/watch?v=sGDr_hJXQZo

レビューとレポート 「家船」特集 / 第10号(2020年3月)