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高松の古本屋から 藤井佳之(なタ書)×齋藤祐平(YOMS)インタビュー | 家船特集

瀬戸内国際芸術祭(以下瀬戸芸)2019で発表された「家船」の会場である女木島は、高松港からフェリーでわずか20分の場所に位置する。高松港から南へ数分歩くと、日本最長と呼ばれるアーケード高松中央商店街があり、様々な店や人で賑わっている。このアーケード商店街は8つの商店街の総称で、瓦町駅付近にある南新町商店街を一筋路地に入ると、藤井佳之が店主を務める完全予約制の古本屋「なタ書」(図1)があり、田町商店街から路地に入ると齋藤祐平が妻・末度加と共に経営する古本屋「YOMS」(図2)がある。「なタ書」「YOMS」は古本屋というだけでなく様々なイベントを開催しており、瀬戸芸会期中に開催されたイベント「家船の可能性を巡って」(2019年10月28日)というトークイベントの会場が「YOMS」だった。藤井と齋藤はKOURYOUと交流があり、間接的に作品「家船」に協力している。

今回は藤井佳之と齋藤祐平に、高松周辺のオルタナティヴ・スペースについてや、瀬戸内の美術、文化、歴史などについてインタビューを行った。

藤井自画像

藤井佳之(ふじいよしゆき)
なタ書店主 1976年7月18日生まれ
横浜国立大学を卒業後、角川書店で新規事業の立ち上げ、プロモーション他に従事する。2006年に帰郷し、完全予約制の古本屋、なタ書を開店。本屋を営みながら、文章を書いたり、企画書を仕上げたりする日々を営む。瀬戸内国際芸術祭には第一回目の2010年から様々な面で携わっている。
https://twitter.com/KikinoNatasyo

斎藤自画像

齋藤祐平(さいとうゆうへい)
古書店YOMS店主 1982年新潟県生まれ
2015年より香川県高松市に住む。2017年より、妻の末度加とともに古書店YOMSを運営。詩や絵画作品などの制作も行う。
http://lopnor.archive661.com/
カセットテープ作品
https://lopnor1982.tumblr.com/

(聞き手=KOURYOU)

ー女木島での滞在制作中に瀬戸内海の様々な島を巡ったのですが、藤井さんにご案内いただいた高松市街地もとても面白いなと思いました。中央商店街にはハイブランド店やチェーン店が並ぶ一方で、少し路地に入ると「なタ書」や「YOMS」のような個性的な個人店がたくさんある印象です。まず藤井さんに「なタ書」を開店された経緯やどんなお店なのかご紹介していただけますか?

藤井:お店を開店したのは2006年。それまで20代は東京で会社員をしていました。10年以上振りに戻ってきた高松の街を歩くと、古着屋や雑貨屋、カフェやレコード屋など、地方都市の割には程々にいろんな個人店がありました。ですが、本にまつわる面白いことをしている人はいませんでした。当時はまだ高松の街にジュンク堂書店や、紀伊国屋書店(撤退しました)も無い状態。ヴィレッジヴァンガード(これも街中から撤退しました)もありませんでした。ちょうど東京を去る頃に、COWBOOKSやユトレヒトのような新しいタイプの本屋が現れました。それだったら「本」にちなんだお店をしようかなあと。本屋が特にしたかった訳ではありません。高松でお店をしてみようかと考えた上で、消去法で選んでいったらそうなった感じです。

図1

図1 「なタ書」店内の一部 撮影:藤井佳之


ー齋藤さんとは2014年パープルームHP開設の時に作品画像をご提供いただいて一緒に作品制作をさせていただいたのですが、その後東京から高松に移られて「YOMS」を開店されていた事を私は長い間知りませんでした。どのような経緯で「YOMS」を開店されたのでしょうか?またなぜ、高松を拠点にしようと思われたのですか?

齋藤:もともと古本屋を開業したいと考えていたのは妻で、東京に住んでいた頃から物件を下見していました。しかし家賃も高く、また震災もあって「いっそ東京から離れてしまおうか」という迷いもあり、時間ばかりが経っていきました。高松に初めて来たのは、2013年に瀬戸内国際芸術祭を見に行ったのがきっかけです。商店街の雰囲気が気に入り、「東京から移り住むならここにしよう」という思いを強くしました。東京都から香川県に越してきたのが、2015年の11月になります。しばらくはダブルワークしつつお金を貯めて、自動車免許をとったりしていました。鍛冶屋町の雑貨店サンリンシャさんや、瓦町駅東側のhopefulというお店で間借り販売をさせてもらいつつ、準備を進め、2017年1月に実店舗をオープンしました。

藤井斎藤図2

図2 「YOMS」外観 撮影:齋藤祐平


ー「なタ書」や「YOMS」は古本屋というだけでなく、様々なイベントなどを開催されていますよね。どのような活動をされているかご紹介いただけますか?

齋藤:店内にてトークイベントやライブイベントを開催しています。現在定期的に開催しているのは2つで、自作のzineやフリーペーパーを交換するイベント"Paper Talk"(図3)と、香川県志々島在住のあんどさきこさんによる月例ライブです。他に今まで開催したものとしては、NPO法人柑橘ソムリエの広井亜香里さんによるみかんについてのトークイベント、岩手県在住の音楽家・村上巨樹さんによるミャンマー音楽についてのトークイベント、香川県・豊島で「てしまのまど」というお店を経営されている安岐理加さんによるパンの販売と徳島のイノシシ猟についてのトークイベント、東京・高円寺で「円盤」というお店を経営されている田口史人さんによる「出張・円盤レコード寄席」などがあります。

藤井斎藤図3

図3 開始して間もない頃の"Paper Talk"の様子。2017年 撮影:齋藤祐平


藤井:店内でのイベントはお店を開店した当時はよくやってました。音楽ライブもしてました。岡山でライブハウスのペパーランドを主宰する能瀬さんという方をお呼びして、「四国遊会」というものも定期的に開催してました。まだYoutubeが今ほど浸透する前でしたので、「Youtube Night」なんてのもしてました。ですがここ数年は店内でイベントをすることはほとんどありません。興味の対象が「店内」という限られた場で何かをすることではなく、「なタ書」、つまり私自身がお店から離れてイベントに出店したり何かをする(図4)。今はそちらの方に関心は傾いています。ですがそうなった一番の原因は、開店当時と違い、本が増えて単にお店が手狭になったということもあると思います。

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図4 琴平町でのイベント。空きテナントを期間限定の本屋へ。 撮影:藤井佳之


ー「YOMS」での音楽イベントやzine交換イベントは、音楽にお詳しくご自身の作品でzineも制作されている齋藤さんと末度加さんならではですね。高松で島民の方に話を伺える機会も貴重だなと思いました。また藤井さんが「なタ書」=ご自身と捉えられているのも面白いです。そう言われると「なタ書」店内の作りは藤井さんの体内のような感じもします。
高松近辺では高松市美術館や3年に1度の瀬戸芸がありますが、お二人のお店のように日頃からふらっと立ち寄って本を読み、話をしたり、作品発表や催し物を行っている場所があるのはとてもいいなと思います。高松周辺には他にもそのような場所やお店などがあるのでしょうか?

藤井:むしろイベントスペースのようなものは多すぎじゃないかと思ってます。作品発表という点では、残念ながら良いスペースは無いかと。要は「ギャラリー」とうたっている場所のほとんどが単なる「貸しスペース」になっているケースが多いかと。作品を売るという意識が乏しい、ギャラリストのいないギャラリー。音楽に関しては、地方都市の割にはライブハウスなどは頑張ってるのではないでしょうか?なタ書にもライブがてら遠方から来られる若いお客さんがよく来ますが、それらのバンドのほとんどを私は知りません。ですが彼ら彼女らと話をしていると、高松は音楽環境にとても恵まれているとよく聞きます。

齋藤:人と人とが交錯したり、制作物の発表を行うような場所は、高松市のアーケード周辺だけでもたくさんあると思いますが、ここで具体的な名前を挙げるのは控えます。街を歩いて気になったお店に入って、お店の方にいろいろ聞いたり、ショップカードなどを頼りに自分の中の地図をじわじわ拡げていくのが面白いと思います。

ー齋藤さんは東京から拠点を移されて、違いを実感するこの地域の特色などありますか?

齋藤:小さな山とため池が、地形の複雑さと景色の起伏を生んでいます(図5)。自分は新潟県の、東側にいつも遠く山脈の見える平野で育ったためか、「山が常に近くにある」ということが新鮮でした。また、香川は本を読む人が多いと感じています。マクドナルドなどのチェーン店に入っても、本を読みふけっている人を見かけることが多く、嬉しくなります。


ー絵本の中のような形の山がたくさんありますよね。本を読んでいる方が多いのは気づかなかったです、面白いですね。

藤井斎藤図5

図5 女木島から見える高松 撮影:KOURYOU


藤井:なタ書から歩いて15分くらいで丸亀町の壱番街に着きます。グッチやヴィトンなどの高級ブランドの店が並んでいます。そこから更に10分歩くと高松港。今では世界から多くの人が訪れる直島へはそこから船で1時間で行けます。観光地として人気の高い小豆島へも行けます。KOURYOUさんが「家船」を展開した女木島は船でわずか20分です。私は横浜の大学に通っていました。日本で言えば「港町」の代表でしょうが、横浜港から船に日常的に乗ることはまずありません。高松の街と港とそれぞれの島々の関係性と距離感は、特色というよりも世界の都市で他には無いのではないでしょうか?

ー今瀬戸内海は世界的に注目されていますよね。高松と島々の距離感が近くて、高松の街全体が個々の別世界への大きな入口の街という感じもしました。
藤井さんと初対面の時には「家船」にご参加いただいた小豆島の妖怪画家・柳生忠平さんにご紹介いただいたのですが、島々の方とは普段から交流があるのでしょうか?また興味深いと思われている島はありますか?

藤井:私が高松に戻ってきた当時、同じようにもっと香川県の島の方にも目を向けるべきだと考えている人たちがいました。その人たちと作り始めた雑誌が「せとうち暮らし」です。2007年くらいの話でしょうか?今でも「せとうちスタイル」(1)と名前を変えてその雑誌は続いています(図6)。ですのでそもそも私は香川県の陸側の部分よりも、島側の部分に興味関心がありました。そして2010年に瀬戸内国際芸術祭が始まります。前年の2009年には、芸術祭をサポートする「こえび隊」の活動を島で暮らす人たちに一軒一軒回って説明していました。ですので交流があるというより、古本屋とは別の自分のライフワークになっています。興味深い島となると直島諸島です。皆さんが言う直島は20以上の島々から成り立っています。ほとんどの人は直島本島しか訪れたことがないと思います。かなりの島は無人島になっていますし。とにかく直島諸島のアジア感は半端ないです。チャーター船などを利用すれば行くことが出来ます。土器のカケラとかが普通に砂浜に残っています。

藤井斎藤図6

図6 写真左が「せとうち暮らし」中央が「せちうちスタイル」 撮影:藤井佳之


ー直島諸島は私も豊島、直島しか行けていません。他の島にも是非行ってみたいです。
北浜町に北浜alley(2)がオープンしたり、瀬戸芸が開催される事で街の雰囲気がどのように変わりましたか?

藤井:瀬戸芸が開催されるにあたり、香川県の島々に多くの方が注目するようになったことは事実です。ですが、街の雰囲気というのが瀬戸芸と直接影響しているのは、宿泊業とあくまで一部のお店だけかと思います。瀬戸芸に初めて来られる方は、高松駅に近い場所に宿をとられることが多いです。高松駅、高松港から街中までは徒歩で15分ほどかかります。瀬戸芸に来られる人たちは、日中は島に行って夜は疲れて早めに休みます。ですので旅の最終日に北浜alleyだけ立ち寄って帰る。という人は多いかと思います。そしてこれは高松だけに限った話ではありませんが、アジア圏を中心として海外から来られる人がグッと増えました。その流れと瀬戸芸がちょうど結びついたのが昨年だったと思います。

齋藤:自分は北浜alleyが既にあって、瀬戸芸も始まった後で香川県に引っ越してきました。瀬戸芸の会期中は海外からの、特にアジアからの観光客が非常に多くなります。近年は団体客だけでなく、個人の旅行客が増えているように感じます。ここ2〜3年の間にゲストハウスやカフェがたくさんできました。ただ2019年の瀬戸芸では、国交の影響で韓国からの観光客が非常に少なかったのが印象に残っています。

ー藤井さんに高松をご案内いただいた時には、瓦町から片原町、北浜町と路地を歩いてご紹介いただきました(図7)。華下天満宮や大きな恵比寿像があるスナック、北浜から見える歓楽街など古い街並みが残っている印象でした。高松周辺は古くから港町だったと思うのですが、どのような歴史がある場所なのか教えて下さい。

藤井:高松は瀬戸大橋がかかる以前は四国経済の中心でした。大企業の四国支店は高松。ですので転勤で出る人、逆に入ってくる人が年間で一定数います。それゆえか他から来る人に対してさほど閉鎖感を持たない人が多いのではと思います。ただ「古い街並み」という話で言いますと、高松空襲で街中は焼け野原となった上で出来たのが今の街です。空襲以前は路面電車も走っていた街でした。ですので、街中に歴史が残っているかと聞かれたらさほどは無いかと。高松駅から徒歩20分くらいで扇町というエリアがあります。空襲の被害から免れた場所です。そのあたりを歩くと、戦前の街の様子が少しは伝わるかと。いただきさん(行商で魚を売る女性)が暮らしているのもそのエリアです。

ー確かにご案内いただいた路地は古いと言っても戦後の昭和の風景という感じでしたね。

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図7 路地を案内する藤井佳之 撮影:KOURYOU


ー女木島では展示中に住吉神社大祭が開催され間近で見させていただきましたが、暴れ太鼓や獅子舞が独特でかなり古くからのお祭りの形態を残している印象でした(図8)。他にも瀬戸内で興味深いお祭りや行事などありますか?

齋藤:YOMSで月例ライブをやっているあんどさんから聞いた話なのですが、香川県三豊市の志々島で行われる盆踊りは、何番まであるかもわからない長い歌を歌いながら夜通し踊り続けるというものだったそうです。さすがに現在は夜通しということはないそうですが、かなり過酷なものだったろうと思います。人々にそこまでさせるものは何だったのか、ずっと気になっています。

藤井:「とうどおくり」と言えば、瀬戸内では隣県の愛媛県を思い浮かべる方が多いと思いますが、香川県の島々でも年明けに行っています。中でも小豆島の場合はそれぞれの地区でとうどの組み方が違います(図9)。船渡御(3)は今でも普通に行われてます。ただ、瀬戸内ならではとなると、それほど特色があるものがあるかどうかは分かりません。香川県で言えば「ひょうげ祭り(4)」などは奇祭としてよく紹介されるものですが。

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図8 女木島住吉神社大祭2019の暴れ太鼓の様子。神様である子供たちが乗る太鼓台を大きく左右へ揺らす。 撮影:KOURYOU

藤井斎藤図8

図9 小豆島、苗羽地区空条でのとうどおくり。とんど、どんとなどと呼ばれる。地域や家庭によって手法が異なるが、松や竹などで作った円錐に注連飾りなどを入れ炊き上げる。 撮影:ヤーミンツアーズ:辰巳雅敏


ー女木島にお住まいの西岡藤八さんから「讃岐彫」を教わって個人的にすごく気になっています。讃岐彫はアウトラインを彫ったレリーフ状の平面で、蒔絵が主流だった時にできた技術だと聞きました。凄く繊細な立体感が気になり展覧会にも行きました。私は工芸に詳しくないのですが、何かご存知の事はありますか?

齋藤:香川県の工芸については、特に漆芸が有名ですが、自分もそれほど詳しくありません。高松工芸高校には漆芸科があります。香川県漆芸研究所も行政の施設が集中している一帯にあり、いかに力を入れているかがうかがわれます。漆芸作家の方々が、自身で制作した雑貨を委託で販売していたり、イベントでワークショップをしているのもよく見かけます。

藤井:讃岐彫というのは、全国的に見れば無名の部類に入るかと思います。香川県でしたら、金比羅の一刀彫りがありますが、あれは観光地のお土産の一貫として生まれたものです。織に関しても、高松には保多織という独自の織り方がありますが、大半の方には身近では無いでしょう。讃岐三白(5)という言葉がありますが、香川県というか讃岐は工芸ではなく、産業が多くの人の暮らしを支えてきました。瀬戸内独特の技術という話になりますと、塩飽諸島の船大工の技術などは、世界的に見ても一流のものでしょう。咸臨丸(6)のような船が大洋を航海出来たのは瀬戸内の船大工の力です。

ー高松出身の文化人には、マティスに指導を受けた画家の猪熊弦一郎や文芸春秋を創刊した作家の菊池寛がいます。少し地域を広げると平賀源内や空海も出身ですね。海外に行ったり様々な人と交流したりという方が多いように感じました。

齋藤:2019年末、香川県立ミュージアムにて「日本建築の自画像」(7)という展覧会が行われていたのですが、その展覧会で取りあげられていた鎌倉芳太郎という人物が気になっています。1898年、香川県木田郡三木町生まれ。東京美術学校を卒業後、沖縄県で美術教師の職に就き、教職と並行して沖縄の風俗を写真に記録し、伝統工芸の研究にいそしみます。大正時代には内務省による首里城取り壊しの計画を、建築家・伊東忠太に働きかけ中止させました。1973年には琉球紅型の人間国宝に認定。1983年に没しています。

藤井:逆に、そういう様々な交流を求める人は少ないのでは?と私は思ってます。高松って気候も温暖ですし、そもそもが裕福な家庭で育った人が多いです。ですのでハングリー精神のようなものがあまり湧いてこない土地柄かと。芸能人やミュージシャンでも高松出身の人はさほどいません。スポーツも全体的にあまり強くありません。例えばですが、鹿児島生まれの長渕剛のように、この地から一刻も早く離れ花の都"大東京"へ!という環境ではそもそも無いんですよ。30代くらいでUターンで戻ってくる人も多いです。香川県は求人倍率が全国でも常に上位です。それくらい仕事もあるんで、戻って来てもなんとか暮らせます。同じ四国でも、高知県とかになると状況がかなり変わってきますので、坂本龍馬のような人物が現れるんじゃないでしょうか?まあ、坂本龍馬を挙げたのは例として悪かったですね。龍馬の今のイメージはほぼ司馬遼太郎で出来上がっているものですから。

ー齋藤さんは羽原又吉の「漂海民」を読まれていると聞きました。作品「家船」は今後も展開を続けていこうと思っているのですが、家船や海民について何かご存知の事があれば教えてください。

齋藤:瀬戸内海には家船に住む方々がたくさんおられたということを聞いていますが、まだあまり調べられていません。「てしまのまど」の安岐さんは瀬戸内の漁業史についても研究されているのですが、お話を伺って、漁業における経済圏の複雑さを感じました。文学との関連では、深沢七郎「東北の神武たち」(図10)に収録されている短編の中に、東京の川で家船生活を送る家族が登場する話があります。舞台が東京となると、瀬戸内とはまた事情も変わってくるかと思います。都市生活における家船の存在というのも、気になるところです。

藤井:海民について、日本という国は歴史上ほとんど無視してきました。宮本常一などの民俗学者が僻地に足を運び聞き書きしていったのもそれ故でしょう。その一方で国からの漁業法など法律で彼ら彼女らの暮らしは縛られてきました。瀬戸内の家船に関しては広島県に資料や文献が多く残っているのではと思います。ルーツが海賊の末裔と言われていることとも関係しているかもしれません。日本で家船と言えば長崎ですが、両者を比較したらかなり違いが見えてくるのではないでしょうか?そもそも「家船」という言葉自体が、学術的な用語として使われたものです。「イエブネ」「エフネ」と地域ごとに呼称が違っていたものが一緒くたになって今では語られてますので、KOURYOUさんのように、それをテーマに作品をつくる人は気をつけないといけないかとは思います。

藤井斎藤図10

図10 新潮文庫・深沢七郎「東北の神武たち」


ー「YOMS」は小作品やzineなどを見ながらゆっくりコーヒーを飲めるスペースがあります。「なタ書」も秘密基地のような面白い空間で、どちらのお店もとても居心地がよかったです。お店づくりや運営はとても大変だと思いますが、何か大事にされている事や今後の展望などあれば教えてください。

藤井:古本屋は商売です。接客業ですので、一番はお客さんとの距離感を大事にしています。100%の接客なんてあり得ません。あるとしたらそれは本人の思い込みでしょう。気分的にのらない日もあります。60%〜70%の接客がどんな方にも出来ればといつも臨んでいます。場に本が並べば「本屋」となります。ですので、その本をどう手にとって見てもらうかなどは日々考えてます。空中本棚や流れる本棚、今年は地中本屋館(図11)というのを作りました。ここだけにしかない本と出会えた、ということも大切ですが、ここだけでしか見られない本を魅れた。という空間を引き続き作っていきたいです。それは単純に、本屋ってカッコいい、面白いともっと思ってもらいたいからです。ですので同業者より他の仕事をされている方を意識しています。アーティストも然りです。世の中には様々な職業があります。それぞれの職業の人たちが日々切磋琢磨して誇りを持ちその仕事に就いてます。その中でも、こんな本屋(空間)は他の業種だったら絶対に真似出来ない、ってお店にしたいです。たまたま選んだ仕事が古本屋になった以上、そこだけは拘っていきたいです。「YouTuberより本屋の店主の方が断然かっこいいし、金を稼げる。」と、本屋の意義が不確かだとしても、社会に問い続けたい。今後の展望は取材などでよく聞かれます。ですが正直なんにも考えてません。ただ、高松という日本の地方都市で素人が始めた古本屋が、果たして世界でどれくらいの「存在」になれるのか?という意味で考えれば、今の自分が立っている場所はまだ前半戦の途中くらい。自分が目指しているだろう場所にたどり着くには相当の時間がかかりそうです。

藤井斎藤図11

図11 「なタ書」店内の一部。床に設置された地中本屋館。 撮影:藤井佳之


齋藤:古本屋をやっていると、日々買取でお客さんから本が持ち込まれます。ある分野の専門書をまとまって買い取る場合など、お売りいただいたお客さんの時間の堆積がモノとなって向かってくるようです。専門書だからそう感じるというわけでもなく、その中に例えばベストセラーの小説が入っていたら、その本の見え方も変わってきます(その変化は、セレクトショップに置かれている商品の見え方が変わるというのと同じです)。街を歩いている人達の奥深さ、自分の趣味趣向の狭さを思い知らされます。店を通して何かを発信していくというよりは、土地や人の時間の堆積に注意深く意識を向けていきたいです。その結果が、店で料理を出したり、トークやライブのイベントをやったり、冊子を発行したり、展覧会を開催するという形をとることもあるでしょう(図12)。東京に住んでいた時は自分の描いた絵を展覧会で発表するという活動を主に行っていましたが、高松に拠点を移して、また違った形で表現や歴史と向かい合うことができていると思っています。

藤井斎藤図12

図12 「YOMS」店内の一部。小作品や本を鑑賞しながら店内で注文した飲食ができる。 撮影:KOURYOU


(1)せとうち暮らし・せとうちスタイル
瀬戸内の生き方、暮らし方を紹介するライフスタイルブック「せとうちスタイル」。前身は「せとうち暮らし」。美しい海や島に育まれたものたちのストーリーを届ける季刊誌。
https://setouchistyle.jp/

(2)北浜alley
香川県高松市北浜町にある築100年の古い倉庫を活用した複合商業施設。
https://www.kitahama-alley.com/

(3)船渡御
神体や神霊を船に乗せて川や海を渡す神事。一般的には、神霊の移った神輿を船に乗せて行われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E6%B8%A1%E5%BE%A1

(4)ひょうげ祭り
香川県高松市に伝わる民俗芸能、祭礼。高松市の無形民俗文化財に指定されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%92%E7%A5%AD%E3%82%8A

(5)讃岐三白
江戸時代中期以降に香川県で生産された砂糖・綿・塩の三品。砂糖の代わりに米が入る場合がある。その色合いから讃岐三白と呼ぶようになり特産品として盛んに生産された。

(6)咸臨丸
江戸幕府の海軍が保有していた木造の軍艦。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%B8%E8%87%A8%E4%B8%B8

(7)日本建築の自画像
https://www.kagawa-arts.or.jp/event/201909/event01207.php

参考文献
羽原又吉 『漂海民』 岩波新書 1963
深沢七郎『東北の神武たち』新潮文庫 1972
鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』岩波書店 1982
与那原恵『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』筑摩書房 2013
香川県中学校社会科研究会『郷土歴史人物事典 香川』第一法規 1978

レビューとレポート 「家船」特集 / 第10号(2020年3月)