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たとえ夢の中でときめくことができたとしても ー 梅津庸一展『ポリネーター』ワタリウム美術館 紺野優希[日本語訳]

編集注:本稿は韓国語で書かれたレビューの日本語訳です。執筆者である紺野優希さん自身による翻訳となります。韓国語のレビューはこちら


梅津庸一が主宰するパープルームというコミューンについては、筆者が何度か韓国語で紹介している[1] 。美術教育システムへの懐疑からはじまり、都心から離れた相模原の小さな場所で「予備校生[1] (現在は「メンバー」)」と共に行われているこの活動は、独自の動きをこれまで展開してきた。

プライベートな空間を一時的に展示会場に仕上げ、ツアーのように案内をし、さまざまな制作者・アーティスト(美大出身を問わず)と影響を受け合う過程によって、不規則な影響関係にパープルームは置かれている。では、パープルームの活動と梅津本人の作家活動はどのようにつながっているのだろうか? また、個人としてどのような活動・制作を行ってきたのか?

ワタリウムで開かれた個展『ポリネーター』では、これまで紹介されてきた多くの作品に出会える。だが、彼の正体が掴みにくいほどまでに、多岐にわたるメディウムが用いられている。ドローイング、絵画(写実的で、抽象的、さらには点描までも)、陶芸、映像が一つの場に並べられ、鑑賞者は困惑するだろう。パープルームの活動をある程度知っていたとしても、結びつけるのは容易ではない。本展を説明するにあたって、余白というキーワードを切り口として分析を行いたい。

大きな窓から陽の光が展示場に差し込む。その場所に飾られたペインティングと映像には、作家本人が全裸になった姿が現れる。ここで作品は、都心や人工の対極に自然を設定する構図を取るかわりに、不安が生まれる仕組み を描く[2] 。純粋と無垢ではなく、不安と不安を拭う拒否の関係を描いており、それは余白によって露わになる/表される。筆者の視線は、余白に自然と向かった。例えば、「フロレアル」(2004-2007)(図2)のベッドの端の余白、「昼―空虚な祭りと内なる共同体について―」(2015-2020)の妙に空いている中央がそうである(図1)。また余白は、会場で手書きの一言を通して姿を表す。2階の入り口近くの「おはよう」と書かれている壁がそうだ。字が書かれていることによって、その周りと壁にもともと何もない=空いているという事実が明らかになる。


図1 Photo by Fuyumi Murata


図2 Photo by Fuyumi Murata


妙にぽっかりと空いているところは、展示で何を語るのか。梅津による余白へのアプローチは、少なくとも純粋さに対する賛美や原初への回帰とは異なる。彼が描く裸体が自己愛から出発したかは不確かである。しかしそれでも一方的な自己愛にとどまらない理由は、この余白がお粗末な装飾の役割をする直前と直後の合間に置かれているものとして存在するからだ。ベッドの端の余白に掛け布団を描いてもよかったはずである。また、祭儀を連想させる場面の中央には、何も描かれていないままだ。同じ会場に展示された肖像画「霞ヶ浦航空飛行基地」(2006)の人物は軍服を着ている(図3)。真珠湾攻撃で亡くなった大叔父が空軍に勤めていた頃の写真を元に描かれた作品だ。画中の人物は、梅津にとても似ている。彼らは軍服を着たことで勇敢になれたかもしれない。しかしそれは、戦争という名目で 召喚された[3] が故に、可能だった。


図3 Photo by Fuyumi Murata

 

裸のままの姿と軍服を身につけて仕事に着手する姿は、両隣りの関係である。純粋さから繰り広げられる肯定の結果、言い換えると自然のままの状態や勇ましさを称賛する代わりに、梅津は純粋さ(の表象)から、より根底から揺さぶられる不安という次元へ掘り下げていく。赤裸々な姿=裸体を光が入る空間で直視することは、闇、つまり夢の中でいろいろな妄想と想像を広げていく動力と結びついている。会場のドローイングには、夢の一場面のような、想像に基づいた欲望が描かれている。画中には、夜――「液体と夜」「Long Long Night」「月と少女」――という文章が並べられている。「昼間なんだけど、カーテンを閉め切って、うす暗くなったその部屋で、」という一文のように、昼と夜は不安の根底において見える・見えない状態を転換する[2]。この転換は、陶芸作品(図4)でより明確に表現されている。会場に並べられた陶芸作品の穴は、展示タイトルである「花粉媒介者(Pollinator)」の役目を現している。穴を通して花粉を飛ばす装置と説明されるからだ。梅津が頻繁に言及する花粉のたとえ話は、作品や制作過程で及ぼす影響力、すなわち「表現様式の伝染」のことを指す[3]。そのような側面はもちろんのこと、今回の展示で穴は、「不安」と「(不安を)拒否する=隠す」関係性を代弁している。陶芸作品では壊れやすく、隙間や弱点になってしまう穴は、私が直視し、また私が直視される空間になる。


図4 Photo by Fuyumi Murata


直視されて、また直視するところ。不安に晒されて、自らを隠そうとすること。その力学を梅津はパープルームの活動にも内面化している。パープルームは予備校生と梅津本人が「花粉」に/として媒介され、また直視して直視される場所として運営される。しかしだからといって、趣味に行きつくわけではない。コマーシャル・ギャラリーの所属作家や、知名度のある若手作家の作品を予備校生(すなわち「コミューン」の一員)の作品と共に並べることで[4]、権威を与えたり失墜させようとしているわけでもない。ワタリウムで見ることができる、何も纏っていない裸体を描いた絵や映像と(まるで夢のように)想像が突発的に繰り広げられるドローイングは、前者や後者をそれ自体で賛美しているわけではない。軍服を着たり、西洋の形式を踏襲した近代画家(黒田清輝)の作風 を 纏った自画像を介して、時代的要求に召喚された歴史、さらには現代美術という今日の歴史までもが、不安を根底に抱えていることを示唆する。今回の展示で作家の正体を知るには、裸を純粋なものとして褒め称えるのではなく、純粋さを取り巻いて繰り広げられる媒介関係、つまり不安と不安を解消しようとする関係を直視する必要がある。本展で余白は、「空っぽは、満ち足りえること」のような美学に回収されることはない。むしろ展示場は昼夜を問わず、そして隠すことなく[5]訪れる不安をめぐる力学が突発的に広がった/広がってゆく空間だ。空いていたり、隠されたり、そして同時に境界を越えた空間。先に言及したドローイングのように、たとえ夢の中でときめくことができたとしても、そのときめきは何も着ていない状態の裏面である。その様々な制作[4] による取り止めのなさは、彼が直視した/直視された不安の「前後を選ばない/隠さない」[6]結果と言える――前と後は不安の両面であり、線引きをしたり隠すことは、不安の根底において突発に先んずる[5] ことはない。



[1] 韓国語で紹介した内容は、次を参照。展示《Hovering》図録『Hovering-Text』収録、「東京とソウル、何のための代案(オルタナティブ)か?:疑似戦略としての展示空間(도쿄와 서울, 무엇을 위한 대안일까?: 의사-전략으로서의 전시공간)」

(2019)、月間『美術世界』2019年11月号WORLD ART:「日本の展示空間③アートシーンで教育し、実践すること(일본의 전시 공간③미술씬에서 교육과 실천하기)」(2019.11).

[2] 梅津のドローイングは、彼に酷似した叔父が残した日記の内容と共に、展開される。その日記には、夢で見たある女性のことが綴られている(梅津庸一「ラムからマトン」, pp.8を参照、梅津庸一ほか 『ラムからマトン』 ART DIVER 2015収録) 「霞ヶ浦航空飛行基地」は、軍服を着た叔父を描いたのか、それとも作家本人を描いたのか。とある人物、あるいはある物の名前で呼ばれること/召喚されることは、戦争において国家を代表したり、ドローイングのように時空間や真偽の境目を越える装置ともなり得る。

[3] 梅津庸一、「ラムからマトン」 pp.8-9

[4]一例として、『星座と出会い系、もしくは絵画とグループ展について』(パープルームギャラリー、2019.10.5-10.14)が挙げられる。

[5] 昼夜問わず訪れる不安は、隠し、線引きさえすれば、解消する。

[6] 韓国語では「隠す」と「分つ・選ぶ・線引きをする」は「가리다」と同じ書き方をする。よって、「앞뒤를 가리다」を「前後を隠さず」とも、「後先を選ばず=考えず」とも読める。一糸まとわず裸のままだったり、後も先もないが故に、不安が訪れてくる。

 



紺野優希(콘노 유키)
韓国のソウルと日本で美術展を見て、文章を書く人。韓国ソウルの弘益大学大学院で芸術学を専攻。2017年から美術批評コレクティヴ「Wowsan Typing Club」のメンバーとして活動。2018年『アフター・10.12』(Audio Visual Pavilion ソウル 韓国)、2019年『新生空間展:2010年以降の新しい韓国美術』(カオス*ラウンジ五反田アトリエ)、『韓国からの8人』(パープルームギャラリー)、2021年パク・ジヘ個展『Lepidoptera』(FINCH ARTS)などの企画に携わる。GRAVITY EFFECT 2019次席。

韓国語校正:ユ・ジョンミン(유정민)
ソウルで大小の事物(事がらと物)を作って暮らしている。個展として2021年『いつもぼくはここでわらってるよ』(everyArt ソウル 韓国)、2020年『MYŪJIAMU』(artspace hyeong ソウル 韓国)、2018年 『私がちゃんとするから』(DimensionVariable ソウル 韓国)を開催。2020年『三Q』(三Q ソウル 韓国)、『韓国からの8人』(パープルームギャラリー 相模原 日本)などのグループ展に参加。二人のアーティストと一緒にショールーム型のスペース「三Q」をソウルで運営している。
三Q:@3q2021(Twitter)/@3q_3q_3q(Instagram)




梅津庸一展 ポリネーター
ワタリウム美術館
2021年9月16日(木) - 2022年1月16(日)(終了)
休館日(月曜日(9/20、1/10は開館)、12/31-1/3)
http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202109/

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レビューとレポート第34号(2022年3月)