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難病日記②~スティーブンス・ジョンソン症候群~

前回は入院に至るまでの経緯を書き記した。https://note.com/misojinoippo/n/nd5058f7f10e4

今回は入院中のICUでの記憶、長男との再会、長期入院、ママが倒れるヤバさを書き残しておこうと思う。

ICUでの記憶

ICUでの記憶はとても曖昧だ。SJS(スティーブンス・ジョンソン症候群)を妊婦で患うというのはかなり稀なケースだったらしく、皮膚科・眼科・産婦人科・消化器内科・膠原病科etc...実に様々な科の医師や看護師さん達にお世話になった。

記憶を振り返ってみて鮮明に覚えているのは、大量のステロイド投与の影響なのか、目を閉じて寝ているけれど、脳(?)がパッキパキに冴えてる状態が続いていて、いわゆる幻覚のようなものをずっと見ていたことだ。しかも、その幻覚はとてもリアルで、自分が実際に体験し、そこに存在しているような感覚で、現実と幻覚との境目がわからなくなっていた。これって、ドラッグをした感じにそっくりなんじゃないかと今は思う(ドラッグ未経験なので何とも言えないけど…)。

現実ではありえないような光景や展開が目の前を目まぐるしく回っていく感じ…うん、ここから芸術生まれそうって思いました。笑

ICUで願っていたことはただ2つだけ。お腹の赤ちゃんの無事と突然母ちゃんがいなくなってしまった長男の心配、それだけだった。

長男との再会

ICUで1週間ほど過ごし、一般病棟の個室に移動。入院してから2週間たち、やっと長男に再会できる日がきた。眼科の診察から病室に戻ると夫と長男がいた。長男を抱きしめ、涙が止まらなかった。本当にごめん。こんな思いさせてごめん。それしかなかった。

たった2週間会えないだけで息子の成長はすさまじく、今までいかに自分が彼の一番身近にいられていたのか、それがどのくらい幸せな事だったのかを実感した。長男のために1日でも早く退院しようと強く誓った。

その後、夫が休みの日には長男を連れてお見舞いに来てくれるものの、すっかり父ちゃんっ子になったのと、病室にいる母ちゃんには甘えられない・僕の母ちゃんじゃないっていう複雑な思いがあったのか、久しぶりに会っても甘えるわけでもなく、抱きついてくるわけでもなく、寂しいと泣きじゃくるわけでもなく…いつも私の顔をみて10分くらいで「父ちゃん、帰ろう」と言って帰っていった。長男なりに消化しきれないたくさんの思いがあって、なんとかぎりぎりのところで気持ちを保っていたんだと思う。

子どもの適応能力のすごさに驚かされることはたくさんあるけれど、100%が適応してるなんてことは稀なことで、危ういアンバランスな上でなんとか適応しているという事を親として忘れないようにしよう、子供のサインを見逃さないようにしよう、いざという時は子供の逃げ場としていつでも受け入れられるようにしておこうと学んだ。

長期入院

私の入院は実に2か月半に及んだ。最初の2週間ほどは身動きも取れず苦しんでいた日々だったけれど、体はみるみる回復していき元気な状態になり、2か月半という入院生活は刑務所のようなものだった(もちろん入所したことはございません…)。

小説を読み漁り、ワイドショーを見まくり、美味しくないけど楽しみな毎食を待ちわび…とにかく時間がたつのが遅かった。周りに迷惑をかけ、長男に寂しい思いをさせ、何もできず病室にいるしかない自分を責めるしかなかった。

途中でポケットWi-FiとPCを病室に持ち込み、そこからはアマゾンプライムでドラマや映画を見まくって時が過ぎるのをやり過ごした。あとは、モノ作りが好きなので、長男の誕生日プレゼントに編みぐるみを作ったり、夫の店の1周年が控えていたのでノベルティー用にエコたわしをひたすら作り続けていた。

ママが倒れるヤバさ

最後にママが倒れるとどうなるのか…。もちろん、子供が何かの病気やけがをして入院していたら、それは見ているこちらも辛く、代わってあげられるものなら…と思うはずだ。

様々な家庭があるとは思うがママが育児・家事を請け負っている家庭が多いと思う。そんなママが倒れたら…想像は容易いが、現実は想像以上に周りに負担が降りかかってくる。

夫は片道1時間半かけての自営業、近くに住んでいた義父母は高齢で義母は車いす生活をしていた。即戦力の実母は北海道在住だった。こんな状況でも夫は諸手続きのため役所を周り、見舞いに訪れ、仕事から疲れて帰宅し長男の相手をして寝かしつけに2時間かけ、その後にやっと一息ついて自分の食事をしていた。70代の義父は長男をイオンや公園に連れ出してくれ、保育園の送迎もやってくれた。義母は長男のご飯を作り、根気よく彼の遊びに付き合ってくれた。実母も北海道から何度も飛んできて義父母の負担を減らし、長男の支えになってくれた。

この感謝は一生ものだ。私は助けてくれる人がこんなにいて幸せで恵まれていた方かもしれない。

今でも長男は「母ちゃんが入院してたとき、オレ泣いてたんだよー」と思い出したように言ってきたりする。

もう二度と子供にこんな思いをさせたくない私が掲げている毎年の目標は30代半ばにして「健康第一」である。

ちなみにこの大病を患ったのは厄年の中でも「大厄」と呼ばれる年回りだった。恐ろしや。

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